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いない夜
目が覚めると、静夜はいなかった。
あれは現実だったのだろうか、それとも?
と思うくらい昨夜の出来事と言うのは、現実味を感じなかった。
今日は第2土曜日で学校が休みだが、リンはだからと言って寝かせてはくれない。
食事は一緒に食べる、というのを徹底している。
兄は相変わらず眠そうだった。
パジャマから私服に着替えてはいるが、髪の毛までは手が回らないらしく前髪がはねている。
「俺、仕事で出るから。
帰り遅くなる」
「珍しいね。遅くなるって」
眠い声で兄が言うと、そうだねとリンは頷く。
彼が仕事で家を空けることはあまりない。
それはそれでいつ仕事をしているのか謎ではあるけれど。
「イルミネーションで撮影って言うから。
夜中になるかも。
だから紫音が来るから、食事の心配はしなくて大丈夫だよ」
「紫音料理するっけ?」
オミが首をかしげて言うと、リンはあんまり、と答えた。
「たぶん、外食になるんじゃないかな」
「外食?」
目をぱちくりとさせて、オミが言う。
兄はあまり外に出るのは好きではないが、食事に行くのは好きらしい。
正直基準がよくわからない。
9時前に紫音がやって来て、入れ替わるようにリンは外に行ってしまった。
黒に赤で包帯を巻いた猫のイラストがかかれたのカットソーに、黒いボンテージパンツを穿いた紫音は、うっすらメイクをしているようで普段と雰囲気が違う。
ロックテイストなオミは目を輝かせ、アルはこの格好で外を歩ける紫音はすごいなと感心した。
ただ正直一緒に外は歩きたくない。
あの服で厚底のブーツまで履いているのだ。
目立って仕方ない。
とりあえず一緒に外出は勘弁したいが、こういう服が好きなオミは、どこで買ったの、とか食いついている。
「何時までいるの?」
「明日。つーか、あの馬鹿には明日いっぱいいろって言われてるし」
馬鹿というのはリンのことだ。
仲はいいらしいが、なぜか紫音はリンのことをあまり名前で呼ばない。
「前から不思議に思ってたんだけど、なんで俺たちっていつも大人が一緒じゃないとだめなの」
「あ、え? お前説明受けてるんじゃね―の」
驚きの表情を見せる紫音に、無表情なオミ。
対照的なふたりの反応に、アルはきょとんとした。
「お前ら|守護者《ガーディアン》だし、死にかけてるし、それにだってオミが……」
と言った後、紫音はやばい、と言う顔をした。
守護者というのは強い能力者のことだ。
アルファやオメガ以上に数は少ないと言われている。
まあ、アルファ等の数は統計によってばらつきが大きく、正確な数は結局のところよく分からないが。
「紫音?」
不思議に思い、紫音を見た後オミを見るが、相変わらずの無表情だった。
「監視役、でしょ。
僕たちがどこかに逃げないように。
僕だってアルだって、町ひとつ滅ぼす力を持ってるんだもん。
そんな生物兵器、放っておくわけないじゃない」
あぁ、そうか。
ふつうはこの町にいなければ力は使えないけれど、ごくわずかだが、この町を出ても力を使える者がいる。
兄はそうだ。
兄はこの町を出ても力を使える。だから自由に町の外に出られない。
修学旅行に行くのだって許可が必要だった。
淡々と語るオミに対し、紫音は苦笑して彼の頭を撫でる。
「そういうこと言うんじゃねーよ。生物兵器とか」
「だって事実だし。だからリンや紫音は僕たちにべったりなんじゃないか」
言いながらオミは嫌そうに首を振り、紫音の手から逃げて行く。
「それはお前が……いや、いいや。
試験おわったんだろー? 宿題とかないんならなんかしねー?」
「ウノかジェンガかトランプ」
そう言って、兄は壁にある棚からカードゲームなどが入った箱を持ち出した。
夜になっても、本当にリンは帰ってこなかった。
紫音はそのまま泊ると言って、リンの部屋に行った。客間がないので、彼が泊まるのはいつもリンの部屋だった。
彼がいない夜、というのは正直落ち着かなかった。
リンがいない夜は別に初めてではない。今までに何度かあった。
けれど、発情してからは初めてだ。
誰かが一緒でないと、落ち着かない。
あの日が近いからだろうか。不安が心の中でくすぶっている。
いつだって、被害に合うのは兄の方だ。
中学の時だって、兄は……
「あれ?」
去年、兄はオメガに襲われたと言っていた。
それより前、中学の時何かあっただろうか?
「オミ……」
呟いて考える。
誘拐。中学。オメガ。なにか引っ掛かるが思い出せない。
『僕は大丈夫だよ』
ベッドに座り、自分を抱き締める兄の姿を思い出す。
『君が傷つかなくてよかった』
この記憶はなんだろうか。
記憶の中の兄は今とたいして変わらないように思う。
ということは、兄は中学生くらいだろうか。
なにか思い出せそうで思い出せない。
気が付いたら、兄の部屋をノックしていた。
時刻は12時前。
起きているか不安だったが兄は起きていて、枕元のスタンドに明かりをつけて布団に横たわり、本を読んでいた。
「オミ」
「珍しいね、僕の部屋に来るなんて」
言いながら、兄は本を置く。
「ごめん。
眠れないというか……思い出して、いろいろ」
「そう」
兄は言いながら、布団をめくり隣りをぱしぱしと叩いた。
寝ろ、と言うことだろうか。
促されるまま、兄の布団に入り込む。
オミは、大きく欠伸をして、スタンドの明かりを消す。
暗闇が部屋を包む。
「大きくていいな」
ぼそりという兄の呟きを、聞き逃さなかった。
「身長のこと?」
「うん。僕より10センチ以上大きいじゃない、アルって」
「175かな……たぶん」
オメガはあまり大きくならないという。
ここまで背が高いオメガは珍しいらしい。
だから同期生たちは、アルをアルファと勘違いする。
「僕もいろいろ思い出すことあるし、フラッシュバックしてパニック起こすから。
全部覚えてるしね」
全部覚えている。
覚えていない自分とはえらい違いだ。
「傷は治ってるけど……匂いとか、痛みとかって忘れないんだよね」
「オミ……俺……
ごめん、何も覚えていなくて」
「謝ることはないよ。覚えてないならその方がいい」
言いながら、兄は背を向ける。
なんで背を向けるのかと思ったが、いつも同じ方向を向いて寝ているのを思い出す。
左側を向かないと眠れないと言っていた。
兄の、アルファの匂いがわずかに香る。
もっと嗅ぎたいと、背中から兄を抱き締め身体を密着させた。
オミの身体が一瞬、びくん、と震える。
「珍しいね。そんなことアルがしてくるなんて」
「匂いがするから」
その匂いが心地いい。
「匂い? あぁ……僕の匂いわかるんだ」
「あ……うん、まあ……」
言ってから後悔する。
ベータもアルファの匂いが分かるものはいるらしいが、その割合がどの程度かはわからない。
オメガならほぼアルファの匂いがわかるという。
兄は、アルの第二の性について知らない……はずだ。
知っていたとしても、近親者であるし、オミがアルに惹かれるとかはない、と思う。
何事にも例外はあるからわからないが。
今の発言で気が付かれただろうか。アルがオメガであること。
なにか言ってくるかと思ったが、オミが口にしたのは全く関係のない話題だった。
「ねえ、アル」
「なに」
「中学くらいは一緒に寝てたっけ」
オメガどうこうと言われるんじゃないかと身構えていたため、全然関係ない質問に思わず拍子抜けしてしまう。
「一緒にっていうか、同じ部屋で隣同士で寝てて、いつのまにかオミが俺の布団に侵食してて」
「そうだっけ」
オミは寝相がよくないせいか、朝起きると布団からはみでていることがよくあったように思う。
「そうだよ。でも、押すと戻っていってた」
「なにそれまじで」
「マジだよ」
ごろごろと転がって、自分の布団に戻っていったのを初めて見たときは正直驚いた。
兄はもぞもぞと動き、アルのほうへと振り返った。
似ていない、とよく言われるが、顔の造形はよく似ている兄。
オミは、じっと顔を見つめて来たかと思うと、おもむろに動きだし、アルに覆いかぶさってきた。
予想していなかった行動に、目を瞬かせてオミを見つめる。
「僕だって、我慢できなくなるんだよ」
「オミ?」
覆い被さる兄の顔が、ぼんやりと暗闇に浮かび上がる。
普段と違い、余裕の無さそうな顔。
その顔に、アルは思わず息を飲む。
「ねえ、アル。どうして僕たちは兄弟なんだろうね」
唇が触れるほど近くに顔を近づけ、兄が言う。
どうして、兄弟なのか。
それは、兄を好きだと自覚した時に何度も考えたことだ。
「オ、ミ……?」
戸惑いながら、兄の名を呼ぶ。
オミは首を振り、アルから視線を外す。
「ごめん、寝よう、アル。
おやすみ」
兄の唇が額に触れる。
そしてオミはアルに背を向けてしまった。
いつも、兄は何を考えているのかわからない。
けれどこんなの初めてだ。
大好きな兄。ずっと片想いで、その想いには気が付かれていけないと思っていた。
なのに、なんなんだろう今のは。
呼吸の感覚から、すぐにオミが寝付いたことに気が付く。
このまま一緒に寝ていいのだろうか?
それとも戻ったほうがいいのか。
兄から香る、アルファの匂いは心地いい。
このまま部屋に行っても不安に押しつぶされるだけだろう。
考えるのをやめよう。
わからないことを考えても、答えなんて出ないのだから。
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