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記憶のかけら

 この町は箱庭と呼ばれている。  海のない県にある地方都市。町は山と壁に囲まれ、自由に出入りできないようゲートと呼ばれる検問が存在する。  出る者も、入る者もかならずチェックが入り、特に入る者については必ずいつまで滞在するのか、滞在する理由まで届け出なければならない。  自由に出入りができない、移住も町に死者や転出者が出ない限り受け入れない。  日本でありながら、日本の法律が通じない土地。  それがこの町、翠玉(すいぎょく)市だ。  アルたちにとって、それが当たり前だし町を取り囲む批判をみると不思議にしか見えない。  自由に出入りができないと言っても、申請をすれば誰でも出入りができる。  移住に制限があるのは、住める人口に限りがあるから仕方がないだろう。  壁に囲まれ山も多い以上、住宅地も限られる。  山を切り崩すわけにもいかないし、景観法でマンションもそうそう建てられない。  ならば仕方ないだろうと思うのだが、外から見たら違うらしい。  人口が減れば、町に移住できる。  だから殺そう。  そんな発想からショッピングモールでの爆破事件はおきた、らしい。  事件について検索することは禁止されているし、そもそも調べたいと、アルは思ったことがない。  ニュースやワイドショーでもやっていただろうが、記憶にほとんどないため、詳細は正直知らない。  死者は6名だった。らしい。  それを聞いた犯人は、 「もっと死ねばよかったのに」  と言ったと、人の噂で聞いた記憶がある。  そして、今は義母となっている葵がキレて犯人を殺すと騒いでいた記憶もなんとなくある。  覚えていないことが多すぎる。  事件のことも、その後のことも。  あまり気にしたことはなかったが、兄がいなかった記憶がなんであるのか思い出せないのは不安で仕方ない。  そして、心の中に確実に存在する後悔。  思い出さなくていいと人は言うが、思い出せないのはただ不安でしかない。  しかも兄はいろいろと覚えているというのに。  もやもやと、時間だけが過ぎていく。  期末試験も終わり、やってくるのはクリスマス。  日曜日からまた、リンに抱かれる日々が戻ってきた。  彼に誘われ、抗うこともできずただリンに流される。自分の本意がどこにあるのかわからないまま。  以前見た、オミとリンが抱き合う姿。それは脳裏に焼き付いているが、あれがなんだったのか確認することもできずにいた。  授業中、ぼんやりと教室にいる同期生たちを見る。  彼らの大半は、オメガだとかアルファだとかに振り回されることがない。  なんて不公平だろう。  オメガもアルファも確実にいるのに、彼らにとってそれは遠く、虚構の中の出来事なのだ。  とくに女子生徒の口にのぼることがおおい、バースものと呼ばれるアルファやオメガを題材としたドラマや漫画の話から、それは推測できる。  同期生にいる有名なアルファである夏目は、まるでドラマの中のアルファそのものだった。  カリスマがあり、見た目もよく、親は議員だという。  成績もトップクラスで、いつも取り巻きがおり、誰彼かまわず寝る、という噂も絶えない。  反面、静夜のように目立たないようにひっそりとしているアルファは珍しかった。 「目立つの嫌いなんだよ。  アルファとオメガの間に生まれた子供なんて、高確率でアルファだぜ。  確定するのが中学生くらいとはいえ、アルファだと扱われて俺たちは生活するんだけど。  それだけで色眼鏡で見られ続けるんだよな。そう言うのが嫌で俺、中学から私立に入ったんだぜ」  と、静夜が言っていたことがある。  アルファがベータと偽装するのは理解できるが、なぜオミは、オメガを偽装するのだろうか。  聞けば不機嫌になってしまい、オミからは何も聞きだせない。  兄と喧嘩をしたくないので、不機嫌になられると二の句をつげなくなってしまう。 「クリスマスか……」  あと1週間少々でクリスマスだ。  25日から正月3日まで、実家に帰ることになっている。  葵は毎年張り切って、リンに手伝わせながらもパーティー料理を作る。  少し前に、何ケーキがいいか聞かれ、兄とアルとで違うことを言ったら怒られた。 「双子なんだから、同じこと言いなさいよ」  と言われたが、ケーキの好みは同じではない。  オミはフルーツがのったケーキが嫌いだし、アルはチーズケーキが苦手だ。その時点で選択肢は限られてしまうと思うが、それでも葵は毎年希望を聞いてくる。  そして毎年同じ答えを言っている気がする。 「リン、どうするんだろう」  クリスマスにデートしようという話は、本気なのだろうか。  正直考えられない。  そもそもリンは、オミにべったりだ。  何かあってオミが外に出たいときは必ず誰かが付きそう。  事件の後遺症でいつパニック起こすかわからないからだろうと思っていたが、実は他にも理由があるのかもしれない。  反面、アルが外に出たいときは割と自由だ。  門限はあるけれど、友達と一緒なら何も言われない。  ひとりで出かけるは許してもらえず、たいてい紫音や大和と言う、研究所の職員で幼いころから知っている兄のような人間のどちらかがくっついてくる。  リンが付いてきたことなんて一度もない。  静夜と約束もあるし。  だからと言って、リンに言われたら断れないだろう。  アルファの絶対的な支配力で従わせるくらいしそうだ。オメガは、アルファに逆らうなんて簡単にはできないのだから。  心が揺らぐ。  静夜と、リンと。  次、発情が来るときどうしたらいいだろう?  リンはうなじを噛むだろうか?  アルの望まない形で。  それくらいリンはやりそうである。  でも静夜はどうする?  静夜は、アルを外にいくらでも連れ出せる。そう言う力を持っている。  たとえリンがアルを閉じ込めようとしても、家ならば簡単に彼は転移してくることができる。  そんなのリンもわかるだろう。  それに、オミと言う存在がいる。  彼がいる状態でリンは無茶はしないだろうし、次の発情の時、いったいどういって彼を遠ざけるのだろう?  いっそのこと、オメガであると言ってしまった方が気が楽だろうか?  けれど、そうしたら兄弟の関係を壊してしまうような気がして言えない。  できるなら、兄と番になりたいのに。  その想いが溢れてしまいそうで。言ったらすべて崩れてしまうのではと思うと、何も言えなくなってしまう。  匂いで気が付かないことを祈り続けて3年が過ぎた。  このまま、せめて他の誰かと番になるまでオミが何も気が付かなければいいのに。 「アル?」  放課後、背後から声をかけられてハッとする。  静夜が心配そうな表情を浮かべて、こちらを見ている。 「大丈夫か?」 「え? あ……まあ……」  大丈夫かと言われたらあまり大丈夫ではないだろう。その想いが、曖昧な返事を、アルにさせる。  この間彼に抱きしめられて眠ったことを思い出し、心が揺れる。   「……あれ以来、大丈夫か?」 「……うん……いや、なんだろう。  なにか忘れていることがあるみたいで。  思い出せなくて気持ちが悪い」  普段なら言いもしないだろうことが、すらすらと唇から零れ落ちていく。  それだけ気になっている、と言うことだろう。思い出せないのは、正直不安でしかない。  心の中に一番引っかかっているのは、兄がいなかった時のことだ。  たぶん2年前。  何があったのだろう? 「ねえ。静夜」 「ん?」 「静夜は、2年前オミがいなくなった話って知ってる?」  すると、静夜は不思議そうな顔をした。 「あぁ。覚えてるけど……でも、すぐ見つかったって。  詳しい話は聞いてないし、お前も言わなくて。  ただ、2日? なんかいなくなってたって」  2日、いなくなっていた。 「それっていつ」 「夏休み中。だからお前から電話きて。ただパニック起こしてたみたいで要領えなかったな」 「パニック……」 「オミが連れて行かれた。それだけで電話切れた」  連れて行かれた。  その言葉が、心に深く突き刺さる。  誰に?  どうして?  記憶の奥底に沈んでいるものが、わずかに浮上してくる。   夏休み。  夏祭り。  たくさんの人。  近くで花火が見たい。  花火なんて爆弾事件を連想させるもので、パニックを起こすかもしれないと確か葵は反対した。  だけど、リンが何か言って……  花火を見に行くことになった。  だけど近くはだめだと、市庁舎の展望室の抽選に申し込んで。  当選して、兄と、リンと、紫音で見に行って。  それからどうした?  兄に身体を押された。  そして、振り返ると兄の姿はなかった。  たくさんの人の波に埋もれ、兄は見えなくなっていた。

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