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記憶の糸口
オミが連れ去られた。
何故連れ去られたのか。
アルにはそれが理解できなかった。
その頃。
オメガを狙ったと思われる誘拐事件が起きていた。らしい。
特に報道があった訳でもなく、そんな噂が流れていた、程度で本当に起きていたのかはさだかではなかった。
アルはオメガなので、義父母は心配し、決してアルをひとりにしようとしなかったと思う。
そもそも外にあまりでないし、危ないとすれば登下校時だが、毎日送り迎えである。
危ないことなどないだろうに、過剰に心配された。
それは高1で家を出ようと決めていたせいだろうか。
義父母とは相当揉めたけれど、結局向こうが折れた。
葵曰く、アルが発情した時アルファである義父がどうなるか。
番がいれば発情したオメガがそばにいても影響を受けないというが、実際どうなるかわからない、というのが怖かったと聞いた。
知らないだけで、もしかしたら発情したオメガに遭遇して何かあったのかもしれない。
義父は何も言わないし、悩んでいる様子は何もなかった。
あの日も、アルは離れないよう言われていた。
それでも花火、ということもあり人は多くほんの一瞬、リンたちとはぐれた時のことだった。
兄がいなくなったのは。
オミはオメガではないのに。
噂の事件と関係あるのか、とリンに突っかかったがわからないと言われた。
そこに紫音が現れ、いつの間にか病院で兄といた。
オミがどんな目にあったのか、何も知らない。
ただ、その力を使い自分で逃げ出した、らしい。
それはそれでニュースになったような気がする。
それから、オミはますます家からでなくなった。
思い出せたのはそこまでだった。
詳細はおぼろげで思い出せない。
いなかったのなんて、たぶん2日程度だと思う。
けれどとても長かったように思う。
事件のあらましは多分聞いていない。
検索すればわかるかもしれないが、そこまで情報が流れたかと言ったら違うと思う。
事実、静夜は知らないようだったし。
強い力を持つ超能力者である時点で、国の庇護下に置かれ監視されているのに誘拐されるとか。
滑稽である。
この町にいるなら、その力を使って逃げ出せるだろうけれど。
リンは国が付けた監視役であり護衛であるはずなのに、なぜそんなことが起きたんだろう。
あぁ、でも。
オミ、と言うのは想定外だったのかもしれない。
オメガを狙っていたのではないだろうか。なぜ、オミだったのだろう?
考えてもわからない。
夕食を食べる気力はなく、部屋に戻り引きこもり、食欲がないことをメールで伝えた。
リンからは短く、
『わかった』
とだけ返事が来た。
ひとり、ベッドに寝転がり天井を見つめる。
オミは大丈夫だろうか。
紫音も、蒼い顔をしていたし。
「俺、何やってるんだろ」
呟きは、静寂の中に消えていく。
オミを傷つけたかもしれない。
それはショックだが、だからと言って顔を見に行く勇気もない。
我を見失い、力を使ってしまうとか。こんなこと初めてだと思う。
下手をしたら、このマンションを壊していたかもしれない。
そう思うと、心が痛い。
がちゃり、とドアが開く音がして、驚いてドアのほうを見る。
入って来たのはオミだった。
上半身をおこし、戸惑いながら兄を見る。
特にこれと言って変わった様子はなく、お盆を持って近づいてくる。
「食欲ないってきいたけど、お茶と、おにぎりもってきた」
言いながら、ベッド横の棚にお盆を置く。
そこにはラップにくるまった三角のおにぎり2個と、お茶のペットボトルがのっている。
「ありがとう」
「ううん……じゃあ、僕はいくね」
去ろうとする兄の手を思わず掴む。
「あ……待って」
そう言うと、オミは振り返り小さく首をかしげて、
「何?」
と言った。
「さっきは、ごめん」
「別に。僕は大丈夫だよ。
アルこそどうなの。色々言ってたけど」
「俺は……混乱して……」
そこまで言って、顔を伏せる。
「……ごめん。いろんなこと思い出して。よくわからなくなったから」
「何を、思い出してたの?」
突っ込まれ、言葉に詰まる。
言っていいのだろうか。言ったら、兄は何か教えてくれるだろうか。
怖いことを思い出させることになるのではと思うと、何も言えなくなる。
悩んでいると、握っていた手に、オミの手が重なる。
「君に触られるのは大丈夫なんだけどな」
ぼそりと呟くようにオミが言う。
「オミ?」
「僕にはオメガがわからないし。わかりたくもないんだよね。
僕が誰かと関係もつとか。そんなの、気持ち悪い」
淡々と、オミが語る。
その顔を見上げるが、そこには特に表情はなかった。
何を言っているのかわからず困惑していると、兄は首を横に振る。
「僕は君を守りたい。
そう思ってるけど。そんなの、僕の思い上がりかな」
自嘲気味にオミは言うと、手を離していく。
わざとなのか。
それとも偶然なのか。
オミの、アルファの匂いが強く漂う。
まとわりつく甘い匂いに、思わず首を振っていると、オミは離れていってしまった。
「僕は部屋に戻るよ」
そう言って、兄は部屋を出て行ってしまった。
なんだったのだろう。今のは。
部屋の中には、確かにオミの匂いが漂っている。
兄に欲情しそうで、それは嫌だと思い、たち上がって窓を少し開ける。
冷たい空気が中に入ってくる。
真っ暗な外。
部屋からは駅前のイルミネーションは見えないが、個人の家のイルミネーションが見える。
匂いが薄まったのを確認し、窓を閉めながら、オミの言葉を思い出す。
触られるのは、大丈夫なんだけどな。
どういう意味だろう?
オミが、誰かに触られるのを嫌がっているのを見た記憶はない。
というか、そもそもリンと自分と、義両親以外にオミと接触する人間はいないかと思い直す。
他に何か意味があるのだろうか。
そのあと、オメガがどうのとも言っていた。
もしかして、兄は知っているのだろうか。
「俺が、オメガだって……」
オミは匂いがわからないのではないだろうか。
それとも、わからないふりをしていたのだろうか。
けれど兄弟だし、影響は受けないのではないだろうか。
いや、アルがオミの匂いに敏感に反応するように、オミもまた、アルの匂いに反応することはあり得るかもしれない。
「まさか……いや、でも……」
またわからないことが増えた。
「わけわかんないよ。オミ」
呟いて、アルはドアを見つめた。
兄は部屋にいるだろうか。
考えるよりも先に、身体が動く。
心臓が、早鐘のように鼓動を繰り返しているのが嫌でもわかる。
すぐ隣にあるオミの部屋。
アルはノックせず、兄の部屋のドアを開いた。
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