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古い傷
11月にもなれば、町はクリスマス色に染まる。
マンションから夜の町を見下ろせば、至るところでイルミネーションが星のように煌めいている。
小さい頃は、親と一緒に町へイルミネーションを見に行ったように思う。
親が死んでからは一度も行ってない。
そもそも外が好きではないし、わざわざ寒い中外に出たいとも思わない。
「駅前、綺麗だね」
リビングの窓越しに外を見つめていると、兄が隣にやってくる。
駅前から市役所近辺まで、街路樹をイルミネーションが彩っている。
年々イルミネーションの範囲は広がり、駅前だけでなく小さな商店街でもそれは行われるようになっていた。
「見に行きたい?」
目を輝かせて町を見つめるオミにそう問うと、彼は首を横に振る。
苦笑して、
「外はあまり」
と答える。
去年の夏、祭りの日に出店のある通りに出たとき、オミは発情したオメガに襲われた。
詳細を兄は語らないが、
「もう外に出たくない」
と言うようになり、実際学校と病院以外には行きたがらない。
服を買いにもいかないし、髪を切りにもいかない。
髪が伸びると、手先が器用な総合科学研究所のスタッフに切ってもらっている。
校外学習にすら行くのを拒否しており、なかなか傷は深いらしい。
「べつに、ここからも見えるし」
そう言って、オミは窓に手を当てて外を見つめる。
ダイニングキッチンのほうから、揚げ物の匂いがする。
今日は唐揚げだと、リンは言っていた。
彼は料理もするし、掃除や洗濯などもすべてこなす。
アルもオミも家事を手伝うことはあるが、料理だけは手を出させてもらえない。
「クリスマス、何がいい?」
「何って、プレゼントのこと?」
兄の問いかけにそう答えると、彼は頷く。
クリスマスは毎年、プレゼントのやり取りをしている。
それは小学6年生の時から続けているものだった。お互い、誰か大切な人が現れるまでは続けようと、子供の頃約束を交わした。
何が欲しいかと聞かれると正直悩む。
去年はアクセサリーだった。
十字架のネックレスだ。
兄には犬の顔の形のクッションをあげた。
お揃いのものがほしい。
そんな言葉が思い浮かび、子供みたいだと、自嘲する。
恋人にはなれない。番には決してなれない。
ならば同じ形の物を持つことくらい、許されるだろうか。
オミは何かを思いついたようで、アルのほうに顔を向けて笑って言った。
「お揃いでもする?」
同じことを考えていた。
そのことに驚き、心臓がバクバクと音をたてはじめる。
「え?」
できる限り冷静に驚いて見せると、オミは首をかしげて、
「それは嫌か」
とふざけたような口調で言う。
嫌じゃないとも、嫌とも言えず、一瞬悩んで出た言葉は、
「お揃いって何」
というものだった。
「服とか? アクセサリーとかかな」
「恋人じゃあるまいし」
そう言って、アルは窓から離れる。
「別にいいじゃん。双子なんだし」
本気なのか冗談なのか。
その声音や表情からは判断ができず、アルは内心戸惑った。
アルは、オミに背を向けてキッチンのほうへと向かう。
料理の手伝いはなくても、お皿を出す手伝いはいつもやっている。
10畳はあるダイニングキッチンに入ると、青いエプロンをしたリンが、フライ鍋から唐揚げを取り出していた。
あのエプロンは、オミがプレゼントしたものだ。
そのせいか、リンはよく身に着けている。
彼はアルに気が付くと、いつもの優しい笑みを浮かべて、
「お皿だしてもらっていい?」
と言った。
「うん」
アルは、アイランドキッチンの下にある収納の戸をあけて、お皿や箸などを出す。
リンは揚げ物をしながら、エプロンのポケットからスマートフォンを取り出した。
メールか何か来たのだろうか。
画面を見つめる顔が険しくなっていく。
リンはスマートフォンから視線を外さないまま真剣な口調で言った。
「アル、テレビついてる?」
「え? あ……もしかしたら」
リビングのテレビがついているかどうかなんて気にしていなかった。
テレビはドラマ以外あまり見ないが、オミはいろいろ見ている。
ニュース番組はあまり好きではないらしいが、それ以外のどこのお店がおいしいとかの特集は見たがる。
時間的に、今テレビをつけたらどこのチャンネルもニュースだろう。
リンは、鍋がかかっているコンロの火を消すと、走ってリビングへと向かって行った。
『……で起きた爆弾テロでは、多数の犠牲者が出ているようです』
そんなアナウンサーの声がリビングから聞こえる。
爆弾テロ。
その言葉に、背筋が凍りつく。
爆弾テロ事件のニュースは見たいものじゃなかった。
どうしても、自分がまきこまれた事件を思い出してしまう。
「オミ!」
リンの叫びにも近い声が聞こえる。
慌ててリビングに向かうと、蹲り、ぜーはーと荒い息を繰り返す兄の姿が目に入った。
そんな彼を、リンが抱きしめる。
テレビは消され、兄の荒い息遣いだけが、静かな部屋に響く。
「い、た、ぃ……」
リンに縋り、うめき声をあげる兄の姿に身体が動かなくなってしまう。
オミは、爆弾事件のニュースを目にすると、フラッシュバックを起こすことがある。
背中の傷の痛みを思い出し、パニックを起こしてしまう。
「オミ、俺のこと見える?」
言いながら、リンはオミの頭を優しくなでる。
「う、あ……り、ん……にい……? なん、で……」
リン|兄《にい》。
子供のころ呼んでいた、リンの呼び名だ。今はリン、としか呼んでいない。
意識が混乱しているのだろうか。
リンに縋り、傷がいたいと繰り返し呻いている。
「アル、水くれる?」
「え、あ……うん」
我に返り、アルはキッチンへと向かうとコップに水を汲んでリビングに戻った。
先ほどと変わらない姿勢で、ふたりはまだそこにいた。
リンは口に何か放り込むと、コップを受け取り水を口に含んだ。
そして、水を飲み込まないままオミに口づけた。
それを見て、心の奥底でひびが入るような音がする。
たぶん薬を飲ませているのだろうが、なんでリンはキスなんてしているんだろうか。
「ん……ンン……」
リンはオミの頭を押さえつけて逃げないようにし、深く口づけているようだった。
薬を飲ませるだけだろうに、なんでそこまでするのだろう。
胸が痛み、アルは顔をそむけて右手を左胸にあてる。
イタイ。ココロガイタイ。
リンが慌てたのは、あのニュースのせいだったのだろう。
ニュースサイトの速報か何かが、スマートフォンの通知に来たのだろう。
一年に何件か、世界のどこかで爆弾テロは起きている。
そのすべてをアルたちが目にしない様に、たぶんリンは気を配っているのだろうと思う。
見たいものがない限りテレビをつけないし、食事スペースにテレビを置かない。
そんな配慮に初めて気が付いた。
自分がオミを支えたいのに、ニュースの音声を聞いただけで身体が動かなくなってしまった。
守りたいのに、守れない。
そう思うと、悔しくて仕方ない。
「アル」
名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。
リンの腕の中で、兄がぼんやりとした顔をしていた。
「安定剤飲ませたから……部屋に寝かせてくる」
そうリンは言うと、オミの身体を抱えたまま立ち上がった。
「え、あ、うん……」
頷くことしかできず、リンの背を見送る。
追いかけようか、それとも、と逡巡しているとリンが戻ってきた。
普段と同じ、柔和な笑みを浮かべてリンは言った。
「俺、ご飯の用意の続きしてるから。部屋でオミが呼んでるよ、アル」
返事もせず、アルはたたた、と走ってリビングを出る。
ノックもせず兄の部屋に入ると布団に仰向けになっているオミの姿が目に入った。
彼は青白い顔で自分を見て、笑みを浮かべる。
「ごめん。心配させた、よね」
掠れた声で言う兄に、アルは首を振る。
ドアを開けたまま彼の布団の横にしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
何と声をかけていいかわからず、月並みな言葉を口にする。
オミは背中が痛いと言い、アルのほうへと腕を伸ばしてきた。
その腕は首へとまきつき、そのまま抱きしめられてしまう。
戸惑いながら、アルは体勢を変え、兄の隣に横たわった。
アルより、10センチ近く低い兄は腕の中にすっぽりと収まってしまう。
こんなこと初めてだ。
過去にも発作が起きたことはあったけれど、オミはアルに甘えてきたことなどない。
「やばい、寝るかも」
そう言って、兄は大きな欠伸をする。
寝るのは勘弁してほしい。
正直理性を保てる気がしない。
でもこの場合どうなるのだろう?
オミはアルファで、アルはオメガ。
寝ようとしているのはアルファのオミで……アルはオミを抱きたいのではなく抱かれたいと思っているのだから、寝てしまったらどうすることもできない。
男同士でセックスをすることくらい知識としてもっている。
オメガとかアルファは関係なく、普通の一般人 の男同士でだ。
ならば自分が抱く方でもいいのだろうか。
わけがわからなくなり、アルは思考するのをやめた。
薬のせいか、オミはうつらうつらし始める。
それを見て、アルはどうしようかと思い悩んだ。起きているか、同じように目を閉じ寝る努力をするか。
眠れはしないだろうが、この状況で起きているのは拷問に近い。
ならば寝る努力をする方がましである。
そう思い、アルはオミを抱きしめたまま目を閉じた。
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