9 / 39
病院
病院に連れて行くと言われ、最初は拒絶したがうむも言わさず連行されてしまった。
全身に、発情していた間につけられた情事の痕跡が大量についている。
それを医者にみられるのは正直恥ずかしかったが、相手はよく知る研修医の紫音だった。
なぜ研修医がとは思ったが、今日は日曜日で人手が少ないせいだろうと勝手に納得した。
アルの身体を見ても眉一つ動かさないのはさすが大人と言うところか。
ただすべてを見透かされてしまう様で嫌で仕方なかった。
問診のあと血液検査と言って血を抜かれ、アルは軽い貧血を起こして診察室のベッドに横たわった。
今、部屋には誰もいない。
紫音は抜いた血液などを片づけに行っている。
アルはこの1週間に起きたことを考えていた。
街中で発情し、静夜に部屋に連れていかれ……そのまま関係を持ってしまった。
いったいどんな顔をして学校で会えばいいのだろうか。
そして、その後はリンと――
しかも何度も中に出された。
薬を飲んだから大丈夫だとか言われたが、本当に大丈夫かなんてしばらくたたないとわからないだろうに。
不安だ。
発情期がいつ来るかと言う不安はなくなるだろうが、今度は妊娠したかもしれないという不安が生まれた。
結局その繰り返しか。
いつまでたっても不安は消えない。
今夜は眠れるだろうか。
兄はどうしているだろう。
リン曰く、実家に帰っているらしい。いったいどう言いくるめたのかわからないが。
早く会いたいけれど、兄は、気が付くだろうか。
オメガである自分に。
「向こう面白かったぜ」
研修医の紫音がノックもなく入ってきて、そう声をかけてきた。
長めの漆黒の髪はさらさらとしていて、女性ならうらやましいと思うだろう。
二重の瞳のこの美丈夫の彼とは、リンたちと同じように、総合科学研究所で出会った。
アルファやオメガ、そして強い超能力者を集め研究する施設だが、おおむね7歳前後になると素質ありと認められた子供たちが集められ教育を受ける。
そこからふるいおとされ、高校生まで残るのは、1学年にひとりふたり程度だった。
まったく残らない年もある。実際、アルとオミの上の世代は6歳上の稔と天音 のふたりになるし、それより上は今年で25のリンと紫音だ。
アルファやオメガ、というよりも超能力の強い人間を集める、ということに重きが置かれていたように思う。
実際アルファやオメガと言うだけではこの研究所に残ることはない。
より強い能力を持つ者は残りやすい。
いくらアルファでも、身についた超能力が一般と差がなければ残されることはない。
目の前にいる紫音は、たぶんオメガだ。今まで気にもしなかったが、そういう匂いがする。アルが知る、唯一のオメガ。
彼は笑って、向こう……というか診察室の外であった出来事を話し始めた。
「葵が来てて。リンにつっかかってた。同意の上なのかって」
その言葉の肝が冷える思うがする。
そんな話を、人の多いところで話したのだろうか。
いや、義母の葵はそこまで常識知らずとは思いたくはない。
自分やオミが関わると、周りが見えなくなるという事実はあるけれど。
動揺が顔に出たのだろう。
紫音は首を振り、
「心配しなくても、人前じゃねーよ。僕とリンしかいなかったし。
葵が問い詰めて、リンが困惑してたの面白かったぜ」
と心底愉快そうに笑う。
詳しくはわからないけれど、彼らは葵が苦手らしい。
葵の命令にはだれも逆らわないし、反抗もしないと聞いたことがある。
「仕組まれていることとはいえ、リンに持っていかれるのは嫌みたいだぜ」
「持ってくって何。仕組まれてるってどういう」
不審に思い尋ねると、彼は腕を組んで言った。
「お前とリンが結婚とか死ぬほどいやだと。
仕組まれてるっていうのは、リンは、国が選んだお前の番ってことだ」
番、と言う言葉に心が震える。
リンと自分が結婚とか。想像がつかない。
そんなことになりえるのだろうか? いくら仕組まれているとはいえ、当人たちの意思を無視してそんなことできるわけがない。
「アル」
不意に首筋に触れられ、そこがじん、と熱くなる。
「うなじ、気をつけろよ」
「うなじ……?」
問うと、紫音はまじめな顔をして頷いた。
「あぁ。聞いたことあるだろう。
うなじをアルファに噛まれたら、番にされて一生そいつと離れられなくなるからな」
「あ……」
それを聞いて、背筋が凍る思いがする。
番。結婚。
あまりにも非現実的な言葉に、アルの脳は処理しきれなくなっていた。
「なあアル。
お前、リンと番になりたいの?」
そんなこと考えられるはずもない。法律は16歳で結婚を許しているが、現実にその年齢で結婚を考えるかと言ったら無理だ。
「まあ、あんな奴でも番になったほうが楽は楽だと思うけどな。
少なくとも街中で発情して襲われることはないし」
「……紫音は、どうしてるの」
「あ? 僕?」
驚いたような声を上げる彼に、アルは頷く。
番がいる気配はないし、長期間病院にいなかったという記憶もない。
抑制剤を飲んだとしても、発情期に仕事なんてできるんだろうか。
「番、いないんでしょ」
「いや、まあいねーけど。
魂が呼応するってやつだろ。僕の周りには残念ながら、ね。
医者ってほとんどアルファなんだけどな」
「そんな状況で発情したらやばくないの」
すると、紫音は苦笑して首を横に振る。
「結婚なり相手いるやつが多いんだよ。
僕みたいな研修医に構ってる暇なんてねーよ。
それにここ病院だぜ?
オメガのフェロモンにいちいち左右されてたら仕事に何ねーよ。
アルファにはアルファの抑制剤ってあるからな」
それもそうだろうが。
紫音が発情期をどう過ごしているか答えてない。
「俺、あのバカみたいにあっちこっちに愛人作ったりしねーし。
辛いときは相手してくれるやつぐらいいるよ」
「リンて愛人多いよね。俺、なんで刺されないのか不思議でしょうがないんだけど」
「ははは……
まあ、1回だけの関係も多いみたいだからな。
ずっと続いているのはすくねーはずだけど」
よくそんなやつと暮らすことを義父母は許したと思う。貞操観念が崩壊している事さえ除けば家事は完璧だし、いたって普通のお兄さんだからだろうか。
よくわからない。
「紫音はリンとはやってないの」
「誰があんな貞操観念崩壊した馬鹿と寝るかよ」
心底嫌そうな顔をして、紫音は首を振る。
「だいたいあいつ、高校の時からそんな感じだぜ?
オメガに言い寄られたときは相手にしなかったみてーだけど」
「なんで?」
貞操観念が崩壊しているといわれるリンなのにオメガは無視し続けてきたのは意外だった。
「妊娠したらめんどくせーからじゃね? 女とだってちゃんとその辺はしっかりやってたみてーだし。
だから今まで1回も妊娠させたって話ないんじゃねーの」
「……でもリンが好きなのって……」
呟いて言葉を飲み込む。
彼が好きなのは兄だ。
それは態度に現れているし、本人は隠そうともしていない。
兄は気が付いていないみたいだが。
紫音はあー、と言った後、苦笑いを浮かべた。
「だからあいつ、歪んでんだよな。
好きな人には何にもできないの。
そのかわり好きでもないやつには何でもできるっていう」
心にぐさりと刺さる言葉だった。
好きな人には何もできないけれど、好きでもない人には何でもできる。
自分を抱いたのはなぜだろう。
リンはアルのことも好きだという。
それに偽りはないのだろうか。よくわからない。
アルファの本能に従っただけだろうか?
アルファは、発情期のオメガが出すフェロモンには基本逆らえないというし。
「……ねえ、紫音。
俺、どうなるの」
「リンはお前を離したくはないだろうな。
何かあれば言えよ。あの馬鹿と同意なんてなかったんだろ。しかも生でやりやがってあの野郎」
心底嫌悪するような声音でいい、紫音はアルの頭を撫でた。
あぁ、そんなことまでばれているのか。
恥ずかしさで穴に埋まりたい気分だ。
明日は学校に行くと思うと気が重い。
「3か月後。時期が近くなったら薬飲み始めてかまわねーからな」
「うん」
頭を撫でられるのは、子供扱いされるようで嫌だけれど、そんなことに不満を口にする余裕はなく、アルはじっとされるがままになっていた。
ともだちにシェアしよう!