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想いを重ねる夜16

***  朝目覚めると、穂高さんがいつの間にか帰っていて、台所にて忙しなく働いていた。 「おはようございます……」  寝ずに帰って来て、そのまま朝ごはんを作らせていることに、申し訳なさを感じながら、大きな背中に思いきって声をかけた。穂高さんは包丁の動きを止めて振り返り、満面の笑みを頬に浮かべつつ、晴れやかな声で話しかける。 「おはよう千秋。昨夜はお父さんと、たくさん話ができただろうか?」  瞳を細めながら訊ねられた言葉に、俺はうっと口ごもるしかない。  せっかく穂高さんが気を利かせて、お父さんとふたりきりにしてくれたというのに、お互いわかり合えぬまま、会話が終了してしまったことについて、非常に告げにくかった。 「えっと…たくさんではないけれど、ほどほどに話せた感じだったよ。ばあやの具合が悪くなって、お母さんが駆けつけたことで、うまく仲直りできたこととか」  たどたどしく説明するセリフを聞いて、手に持っていた包丁をまな板の上に置き、手を洗ってからわざわざ拍手をしてくれた。 「千秋、お父さんからいい話がきけて、本当によかったじゃないか」 「まぁそうなんですけど……」 「どうしてそんな、浮かない顔をしているんだい?」  小首を傾げて俺を見る、穂高さんの視線にどうしても耐えられずに、顔を伏せてしまった。 「それは――、あのですね」 「ケンカなんて、馬鹿なことをしていないのはわかってる。口下手な君のことだ、俺と会話するみたいに、お父さんと話せなかっただけだろう?」  その言葉で思わず、大きな躰に抱きついてしまった。 「穂高さん、俺、俺ね」 (気持ちが空回りしてしまう、俺の考えを先読みして、欲しい言葉をくれる穂高さんに、甘えっぱなしだな) 「なんだい?」 「今度は玄関から堂々と、ふたり揃って実家に顔を出したいなって」 「そうだね。お母さんからおばあさんの話を、直接聞きに行かなければならないしね」  がたんっ!  背後から聞こえてきた物音に振り返ると、お父さんがきまり悪そうな表情で、その場に突っ立っていた。慌てて躰から手を離す俺を名残惜しそうに見ながら、穂高さんがお父さんに声をかける。 「おはようございます、お父さん」  さっきまでしていた、俺との熱い抱擁をまったく感じさせない顔で挨拶する、メンタルの強靭さを、今すぐにでも見習いたい。 「……お父さん、おはよ」 「ぉ、おは、おはよう」  清々しい朝の空気を纏う穂高さんの笑顔と、お父さんの前で抱きついてしまった己の恥ずかしさにより、ここぞとばかりに赤面する俺と、目の前でおこなわれていた行為を目撃し、困惑しまくりのお父さんという、微妙すぎるトライアングルが居間にできあがってしまったのだった。

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