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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする

 ここまで来るのに、思ったよりも時間がかかってしまった。  穂高さんがちゃんと幸せかどうか、自分の目で確かめたかった俺は、藤田さんからの援助を断った。 『な、んでだよ? 今だって穂高のことが好きなんだろ。どうして――』 「好きだからですよ。だからこそ俺は、人の助けを借りちゃいけないって思うんです」  そうハッキリと告げたあの日から、既に5ヶ月も経過していた。  一番安く行く方法を藤田さんが教えてくれたお蔭で、目標額が設定できたのはラッキーだった。資金援助ができないならと、不器用な俺でもこなせそうなバイト先を紹介してくれたり、いろいろ手を貸してくれた。  それだけじゃなく、しばらく逢えなかったことで、不安に駆られる俺の背中を、しっかり押してくれたんだ。 『そんな顔してると、穂高に嫌われるよ。案外逢えない時間が、お互いの愛を深めているかもしれないしね』 「藤田さん……。ありがとうございます」 『お礼はまだ早いって。ちゃんと魚が捕れるようになったかを、千秋の口から直接聞いてみてほしいんだ。俺はビジネスで動く男だからね。俺からの頼み事、きちんと確認してくれよ』  穂高さんに逢う理由までつけて、地元から見送ってくれた藤田さんに、しっかりと頭を下げた。泣き出しそうになるのを、必死に堪えながら――。  涙を飲み込んで鈍行列車に乗り込み、1日以上かかって北上を続け、その後フェリーに乗って、穂高さんが住んでいる島に渡った。 「空気が美味しい。何だか、空と海の青い色がすっごく綺麗だ」  本州に比べ、湿度の少ない初夏の海の香りを感じながら、観光客に混じってフェリーから降り立ち、どこに行こうか思案しつつ、海沿いの道路をキョロキョロしていると――。 「っ……」  その人を見つけた瞬間、心臓が一瞬にして、ぎゅっと鷲づかみされてしまった。  しなやかな栗色の髪をなびかせた穂高さんが、偶然にも向こうから走って来たではないか! 「ちょっ、ヤバイ……。心の準備が――」  慌てて傍に停めてある、軽自動車の影に隠れた。  Tシャツの上に胴長という、漁師スタイルだった穂高さん。頭にタオルを巻いている姿がすっごく格好良くって、それを見ただけで涙が出そうになった。 「すみません、船長。寝過ごしちゃいました」  俺が隠れている軽自動車の横を通り過ぎ、港に停泊してる漁船に向かって、しっかりと頭を下げる。 「なぁにやってんだ、おめぇはっ! 成長期のガキじゃあるまいし!! はよ、せんか。置いてくぞ」 「はいっ! はよしますっ!」 (ああ、慌てふためく穂高さんを、もっと間近で見ていたい――)  そんなことを考えながらこんな場所で隠れている、あからさまに怪しい自分。そんな俺の姿を物珍しそうに見る島の人が、どこかにいないかな?  ぶわっと不安に駆られ、前後左右をキョロキョロと見渡してみた。  フェリーから降りたのは、俺を含めてたった3人だけ。時刻も午後5時過ぎで、道を歩いてる人は居ず、漁に出る格好をした人が船に向かって、建物から出たり入ったりしているだけだった。 「よし……」  もっと近くで穂高さんを見てみたいと考え、人がたくさん出入りしている建物の横に停めてある軽トラまで、思いきってダッシュした。みんな仕事熱心なのか、変な動きをしてる俺に目をくれずに、放置状態なのが幸いだった。  出航に向けて、一生懸命に動いている穂高さん。  初夏とはいえ夕方なので若干肌寒いのに、半袖のTシャツがほんのり汗ばんでいるのが見えた。 「穂高さん……。頑張って下さい」  しゃがみながら両手に拳を作って、ひっそりと応援する。ずっと逢える日を夢見ていただけに、嬉しさはひとしおだった。  そうこうしている内に、穂高さんを乗せた船がエンジン音を響かせ、沖に向けて港から出て行く――。  こうやって働いてる姿を見るのは、生まれてはじめてだったけど、サラリーマンをしていたときの憂鬱げな感じというか、疲れていた感じというか、そういうものを一切感じさせない今の姿に、安堵のため息をついて船を見送った。  見えないだろうけど、ちゃっかり小さく手を振ったり。 「感動しちゃうなぁ、本当に」 「何やってんの? こげなとこで」 「ヒッ!?」  突然背後から声をかけられ慌てて振り返ると、そこには4~5人くらいのオバちゃんが後方で固まって、物珍しげにじっと俺を見ていた。 「見かけんコだぎゃ、こげんトコに隠れよって、すっごくアヤシかね」 「やっ、怪しくないです。俺は穂高さんの――」  ……元恋人ですって言ったら、絶対に混乱させる。それよりも俺の顔を、穴が開きそうな勢いで見つめられるのが、本当につらい。 「ほだきゃ? ああ溝田さんトコでやとっとる、あの若いのの弟か?」 「そうなんですっ、井上 千秋って言います。兄がいつも、本当にお世話になってます!」 (ゴメン、穂高さん。勝手に弟になりました。でも正直嬉しいです、何か意外としっくりくる名字が……)  内心慌てふためきながらも立ち上がって、オバさんたちにしっかりと頭を下げた。 「あのですね、兄がきちんと漁師として働いているかどうか、ここから見ていただけなんです。結構、そそっかしい人なので」  そそっかしいというか、天然というか――。 「まぁ最初は大変そうだったわな。何度か海に落ちて、網で引っ張り上げられたらしいよ」 「やっぱり!」 「だけど飲み込みは早いって、溝田さんが言ってたから、多分大丈夫じゃねえか」  オバさんたちが顔を見合わせながら、盛大にゲラゲラ笑い出す。 「あんた、これからどうするんじゃ? 明日の朝まで船は帰ってこんよ」 「海を見ながら、ここで待ってます。お騒がせしちゃって、本当にすみません」  もう一度頭を下げたら、風邪引かんようにねと優しく声をかけて、方々に去って行った。 「ビックリした……」  絶対に怪しまれると思ったのに、俺が言ったことをそのまま信じてくれただけじゃなく、労わるような言葉までかけてもらっちゃった。  それに、さっきの穂高さんの表情――叱られていたけど、めげることなく仕事をしながら、朗らかに笑っていた。都会のようなギスギスした人間関係がないから、余計なところでストレスがかからないのかもしれないな。  軽トラックの物陰から立ち上がり、海が一番見渡せるところに座り込んでみた。 「今頃、海の上で頑張っているのかな」  もうすぐ、日が海の中に落ちていく。真っ赤に染まった海がどんどん暗くなっていく様を、ただぼんやりと眺めていた。 「こんなトコにおった。寒くねぇか?」  声をかけてきたと思ったらバサリと何かを、背中に被せられる。 「あ……」 「アンタ、ご飯はどうするんじゃ? ここはスーパーは早く閉まるし、コンビニもねぇがらよ」  さっき逢ったオバさんのひとりで、一番年配に見えた人だった。 「えっと……、お腹はすいてないので大丈夫です」 「何を言っとるんじゃ。若ぇのに、腹すかんわけがねぇべ。これさ、食っとけ」  無造作な感じで、アルミホイルに包まれた大きな何かをふたつ、強引に手渡されてしまった。 「あの……」 「腹すいたら、余計に寒さば身に堪えるからな。口に合わんかもしれんけんど、我慢して食え」 「有り難うございます。あと毛布も。すっごくあったかいです」 「その毛布さ、そこにある建物に返してけれ。漁協のフミちゃんのだって言えば、みな知っとるから」  わしゃわしゃと無造作に頭を撫でられる手荒い感じにビックリして、肩を思いっきり竦めていると、アハハと大笑いながら去って行く。 「有り難うございますっ! 大事に使わせてもらいます」 「したっけな!」  少しだけ背中を丸めながら帰って行く後姿に、立ち上がってしっかりと頭を下げた。    穂高さん貴方は、本当にいいところにいるんですね。心までもが、じんわりとあたたまっていく――。  アルミホイルを外してみたら、大きな何かはオニギリだった。  さっそく手渡されたそれを食べて、おなかいっぱいにする。それからお借りした毛布を胸の前で合わせた。冷たい海風を防ぐことができたので、結構快適だった。  快適すぎて膝を抱えたまま就寝。ウトウトしては、はっと目を覚ますを繰り返す。  日が昇って周りが明るくなり出したとき、遠くから船のエンジン音が聞こえてきた。 「穂高さんが帰ってきたのかな?」  眠い目を擦りながら立ち上がり、目の前に広がる海原を見やる。船が何隻か、こちらに向かってくるのが見てとれた。 「まずは、漁協のフミちゃんに毛布を返してっと」  それから昨日みたいにどこかに隠れて、穂高さんの仕事ぶりを、じっくりと拝ませてもらおう!  借りた毛布の汚れを落とすべく、バシバシ叩いてからきちんと畳み、それを手にして建物の中に恐るおそる足を踏み入れると、たくさんの人が既にいらっしゃった。 「あの、漁協のフミさんって――」  傍にいたオバさんに声をかけた瞬間に、無言で腕を掴まれ、奥の方に引っ張られてしまった。仕事をしている手を止めてしまったせいなのか、真顔のままでいるオバさんが、ちょっとだけ怖い。 「すみませんっ、お忙しいのに……」 「いいんだよ、アンタ井上さんの弟なんだってね。こんな遠くまで、あんちゃんの様子を見に来るなんて、本当にえりゃーねぇ」  わっ、もしかして昨日のことが、他の人にも知られたっぽい!? 「フミちゃーん、若いの!」 「ああ、毛布はそこに置いといてけれ。はよ、こっちさ来なされ。こっち!」  オバさんからフミさんにバトンタッチされて、今度は表に向かって腕を引っ張られた。 「兄貴さ乗った船ば、近くで見にぁ。お帰りなさいってな」 「や、それは困りますっ! 遠くから眺めていたいんですよ、仕事の邪魔をしたくないから!」 「なぁに、兄弟久しぶりの再会じゃ。遠慮するごとはねぇさ、アハハハ!」  どうしよう、困った――遠くから穂高さんの仕事ぶりを見て、じっくり観察してから逢わずに帰ろうと思っていた。  何もかも投げ捨てて、この地に来た穂高さんの心情を考えた結果、今は逢わない方がいいと考えたのに――。 「困った……」 「困ることねぇってばよ。ああ、ちんたらしとったから、兄貴の方から来ちまったでねぇが」  その言葉に顔を上げて目の前を見たら、大きな発泡スチロールを抱えた穂高さんが、建物の入り口からこちらに向かってきている姿が、ばっちり目に留まった。 「井上さ、ごれ見ろ!」  言いながらフミさんが力いっぱい、俺の背中をどんと押した。 「わっ!?」  コンクリートの上が濡れているので転びかけながら、穂高さんの前に突然現れてしまった俺――。  次の瞬間、持っていた発泡スチロールを傾けて、中身をどばぁーっと見事に全部ぶちまけてしまった穂高さんが、あからさまに顔色を変えて、唖然とした表情を浮かべる。 「くぉらっ! 井上てめぇ、何やっとんのじゃ! アホんだらっ!!」  後ろから来た船長さんの怒号に、建物内が騒然となってしまった。 (――ヤバっ、穂高さんが固まったまま動けないとか!) 「すっ、すみませんっ! 俺が突然、目の前に現れたせいなんです。ああ、もう何やってるんですか」  慌てて穂高さんの手から、無理やり発泡スチロールを引ったくり、足元に落としてしまった粋のいい魚を拾いまくる。 「こんなことをしたら、商品の魚に傷が付いて、値打ちが下がってしまうのに!」  コンクリートの上でビチビチしまくる魚を、必死に拾っては箱の中へと入れていっても、穂高さんは呆然と立ちつくしたまま、固まって動けないでいた。 「おや、弟の方が魚の扱いが慣れてるじゃねぇの」  俺の背後で、感心した声を上げるフミさん。そんな彼女の言葉を聞き、船長さんが怒った顔で、穂高さんの頭を強く叩く。 「おとーと!? おめぇあんちゃんのクセに、何にもできないたぁ、本当に情けねぇのぅ」 「あんちゃん?」  船長さんの言葉で、やっと我に返った穂高さんがまじまじと俺を見たので、自分なりに一生懸命アイコンタクトをした。 「えっと魚の扱いに慣れてるのは、スーパーの鮮魚コーナーで、バイトをしてるからなんです。いつか兄が捕ってきた魚を、自分が捌くことができたらいいなぁって」  えへへと苦笑いしながら、発泡スチロールの中に魚を全部戻して立ち上がり、穂高さんの手に持たせる。 「んもぅ、そそっかしいんだから。昇兄さんもかなり心配しているんだよ、しっかりしなきゃ」 「千秋……、現生……」 「まったく! ワケの分からないことを言ってないで、きちんと仕事しなきゃ。皆さんお騒がせしましたっ、すみません!!」  事態の収拾を図るべく周りに頭を下げまくり、どうにかこの場を収めることに、成功したのだった。

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