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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする2

***  本当はこの後、魚の選別など仕事があった穂高さんなんだけど――。 『せっかく内地から、おとーとが来てるなら孝行しとけ!』  という船長さんのありがたい命令のお蔭で、今日の仕事がいきなりオフとなり、一緒に自宅へ向かうことになってしまった。 「……あの穂高さん。突然ここに来ちゃってすみません。しかも誤解が誤解を生んで、弟になってしまって」  別れを告げた穂高さんが、本当に幸せにしているのか勝手に見に来ただけなので、何と言っていいのか分からない。しかも困ったのは、それだけじゃなかった。 『千秋……、現生……』    そう言ったまま、ずーっと何も喋らないせいで彼の心情が読めず、どうにも居たたまれない気持ちでいた。  喜怒哀楽の表情を浮かべずに、真顔を維持する穂高さんを、じっと窺うように見上げるしかできない。だって自分がやってることは、正直なところストーカーと一緒だし、別れた相手がいきなり島にやって来て、呆れ果てちゃったのだろうか? 「千秋……」 「や、本当にごめんなさい! 遠くから穂高さんの仕事ぶりを見て、それで帰ろうと思ってたのに、オバさんたちに声かけられて、すごい大騒ぎに――つっ!?」  たくましい二の腕が、攫うように腰に巻きついてきたのを感じた途端に、大きな体にぎゅぅっと包み込まれてしまった。伝わってくるあたたかさと一緒に、穂高さんのいい香りがふわりと鼻腔をくすぐる。  まるで付き合っていたあの頃に、時間が戻ったみたいだった。  ――とても懐かしい愛しい人の香り……。いいのかな、穂高さんの体に腕を回して。俺には、その権利があるのかな?  揺れる想いや込み上げてくる感情が、穂高さんのぬくもりから直に伝わってきて、衝動的に俺の体を突き動かした。 「穂高さんっ……」  ずっと逢いたかった。 「千秋っ……千秋ぃ……」  震えまくる両手で、大きな体をなぞるように確かめてみる。その存在を――。 「穂高さん……」  愛おしい人のあたたかさをすぐ傍に感じることができて、胸が絞られるように、ぎゅぅっと痛む。だけどその痛みは、とても心地のいいものだった。 「千秋、ずっと逢いたかった」  俺の大好きな低い声で告げられた言葉だけで、体の芯に熱が点っていく。  別れたあの日、貴方が流した涙のせいで、俺の心の中に燃え盛る炎が消えてしまった。それなのに別れた本当の理由を知ってから、残り火が心の奥底で燻ったんだ。  泣きながらくずくずして別れたというのに、その後の潔いと言えちゃうくらい、すべてを捨てて何も言わずに、たったひとりで島に渡り、漁師の修行をした穂高さん。  そんな彼に、俺は必要ないんじゃないかって思えてしまった。それでも貴方に対する気持ちだけは、ずっと変わらずにいられたんだよ。 「穂高さん、俺もずっと逢いたかった……」  目の前に見えている一軒家から、見慣れた赤い車が覗いていて、そこが穂高さんの家だと分かる目と鼻の先なのに、体に回した腕がちょっとやそっとじゃ外れないくらい、お互いを強く抱きしめ合った。 「千秋、背が伸びたね」  目の前にある穂高さんの顔が、以前よりも近くに感じるのは、気のせいなんかじゃなかったんだな。 「穂高さんも、体が一回りくらい大きくなったね。力仕事をしてるせい?」  体に回してる腕や抱きしめられてる部分から、言葉にしなくても全部が伝わってくる。 「こんなに顔が近くにあるんじゃ、止まらなくなるかも」 「何が?」 「――キス」  言いながら顔を寄せてきて、そっとくちびるを合わせる。少しだけ荒れた穂高さんのくちびるが、間をおかず貪るように強く重ねられ、割って入ってきた舌が、迷うことなく俺の舌に絡んできた。 「んっ……」  海から吹きぬけてきた潮風が、ふわりと俺たちを優しく包んだ。まるで熱くなっていく身体の熱を、わざと冷ましてくれてるみたいに感じる。  だがしかし、久しぶりのキスを堪能したいのは、山々なれど――。 「あの……こんなところで、目立つことをしちゃダメだと思います」  抱き合うくらいが、ギリギリのラインだと思う!    そう考えて慌てて顔を退けたのに、しつこく追ってくちびるを重ねようとする、必死な顔の穂高さん。両腕ごと体を抱きしめられているため、逃げる手段がこれしかない。 「穂高さん、ダメだって言ってるのに、もう!」 「さっきも言っただろう? 止まらなくなるって」 「止めてくださいっ。兄弟でこんなことをしてるのは、絶対におかしいから!」 (久しぶりすぎて、穂高さんのワガママを止める術を忘れた……) 「兄にお帰りなさいのキスをもう一回くらい、してはくれないのかい?」 「1回してるから、もういいでしょ!」 「全然足りない……。千秋、もっと」  えらく真面目な顔して迫ってくるから、余計に困ってしまう。実際に強請られることが嫌じゃないから、始末におえないんだけど。 「あの、イチャイチャよりも話がしたい。俺、今日の夕方のフェリーで帰るし」  その言葉で一気に愕然とした穂高さんはいきなり腕を掴むなり、引きずるように自宅に向けて俺を引っ張った。  無言で穂高さんならではの強引さを発動されても、ついて行くのが本当に大変だったりする。 「えっと穂高さん、初歩的なことに戻ってもいいかな?」 「何だい?」 「俺たちって、別れたんじゃなかったっけ?」  どこか躍起になった顔して、急いで玄関の鍵を開けようとしている横顔に事実を突きつけてみたら、カシャンと手に持ってる鍵を落とした。 「……すっかり忘れてた」  普段見ることの出来ない青ざめた顔が、やけに印象に残ったのだった。

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