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第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする3

*** 「千秋が突然目の前に現れて舞い上がってしまい、すっかり過去のことを忘れてしまった」  だだっ広い居間に、正座で顔を付き合わせた穂高さんの第一声に、俺は苦笑いするしかない。  トタン屋根に覆われた一戸建て。概観の古めかしさをそのままに、中も同じようにオールドな感じが醸し出されていた。だけどその感じを壊さずに、持ってきている家具を上手く配置し、お洒落な感じを出しているのは、さすがだと言える。  部屋の中をキョロキョロ見渡しながら、今まであったいきさつを口にしてみた。 「穂高さんがイタリアへお父さんに逢いに行ってる間に、藤田さんが呆れながらお話してくれました」 「義兄さんが?」 「はい。『俺が先手を打ってやってるっていうのに、君に別れを告げるとか、バカなことした弟を許してやってほしい』って、丁寧に頭を下げられたんです」 「そんなことを、あの人が――?」  穂高さんは眉根を寄せながら顎に手を当てて、何かを考え込む。 「藤田さん、すっごく変わったんですよ。長かった髪をバッサリ切っただけじゃなく、顔にあった傷も整形で治しちゃって」 「あの髪を切ったって!?」  ――穂高さん、やっぱり知らなかったんだ。 「願掛けだったって教えてくれました。顔半分を覆っていた前髪がなくなったからか、表情がとても明るく見えましたよ。話やすくなったお蔭で、俺からいろいろ頼み事をしちゃったりして」 「ん……?」 「えっと、ここに来るのに、先立つものが必要だから、バイトの紹介をしてもらったり」 「そうか。俺がこっちに来てる間に、千秋と義兄さんがとっても仲良くしていたってことなんだね」  何だかちょっとだけ、言い方にトゲが混じってるような気が……。 「でも、そこまで仲良くしていませんよ。普通に会話していただけですし。それよりも、気になることがあるんです」 「何だい?」  俺が言ったことに納得していないのか、相変わらず不機嫌が入った感じの表情で、食い入るようにじいっと見つめる。 「建物で逢ったときに言ってた『千秋、現生』が、すっごく気になっています」  俺としては、謎すぎる言葉をやっと口にしたというのに、あからさまにため息をついて、明後日を向いた穂高さん。 「島に来てしばらくしてから、義兄さんが現金書留でお金を送ってくれたんだ。これまで仕事を頑張ってくれた分だと、手紙には書いてあってね。だけど俺の働きにしては、充分過ぎるくらいの額だったから、電話したんだよ。半分返すって」 「穂高から電話が来たって言ってたの、そのことだったんだ」 「義兄さん、何でも千秋に話すのか……まったく。それで電話したときに言ってたんだ。『もう現生はやらないから安心しろ。その内、ものすごい大きなものが行くかもな』って」 (ああ、それで現生っていう言葉が出てきたのか) 「それよりも千秋、いつから来ていたんだい?」 「昨日の最終便のフェリーで来ました。穂高さんが寝過ごして、船長さんに叱られてるところを、ばっちり見ちゃいましたよ」  そっぽを向いたまま、目元を赤くしてチッと舌打ちをする。 「タイミングが悪すぎるね、本当に。一人前になったら大きな船に乗って、千秋を迎えに行こうと思っていたのに」 「俺もです。離れてみて、いろいろ分かったことがあって」 「ん~?」  そっぽを向いてた顔をこっちに向けつつ、穴が開く勢いで俺を見てから、体ごといきなり距離を縮めてきた。前屈みになって、わざわざ鼻が付きそうな位置まで、顔を近づけてくるなんて――。 「ちょっ、これじゃあ話にくい」 「そう言うけどね、これでも理性で、ちゃんとストップさせているんだよ。褒めてほしいくらいなんだが」  ストップさせていると言った傍から、ちゅっと掠め取るようなキスをする始末。 「あの……離れてください。きちんと最後まで、話ができていないんですから」 「分かってる。話を聞くから、さぁどうぞ」  耳元で笑いながら告げたと思ったら、首筋にくちびるを這わせてくる。  話を聞く気なんて、最初からないじゃないか! 「やめっ……穂高さ、ちょ……や――」 「さぁちゃんと話してごらん、千秋」  穂高さんの愛撫に、身体の力が緩んだのを見計らい、その場に押し倒されてしまった。間をおかずに、シャツのボタンへと手をかけて外していく。 「ダメ、だ、った……ら。あっ……」  慌てふためく俺を見て、イジワルそうにクスクス笑う吐息が耳にかかり、くすぐったい。それだけで息が上がってしまう自分が、すっごくハズカシくて、どうにかなりそうだった。 「ナニがダメなんだい、ん?」 「あっ……その動か、してる手を止めてくださっ」  俺を感じさせようと、身体に這わされている手を除けてもらうべく、やっとのことでお願いしたというのに――。 「いいよ。除けてあげるけど、ね……」  印象的な闇色の瞳を細めながら、意味深に笑みを浮かべる穂高さんに、いつもの勘がぴんと働いた。それはそれは、イヤな予感しかしない!    そう思った瞬間だった。 「ああっ!?」  押し倒された体を慌てて起こそうとしたら、いきなりジーパンの上から、熱くなってるアレに、ガブリと咬みつかれた。 「ちょっちょっ、待って! ダメだって。やっ……ダっ、あっ……」  よくよく考えたら、非常にマズイのである。だって――。 「ほらか、さ……俺、2日も……風呂にっ、入って……ない、んだか……らっ」 「なら、千秋の香りを堪能するとしよう」  嬉しそうな顔して、ナニに頬ずりしながら言ってくれるけど、ナニを堪能しようとして――。ねぇ、本当に困る!!  尚も刺激を与えようと抵抗する腕を阻止して、顔を埋めようとする穂高さんの頭を、必死になって除けようと頑張る俺。せっかく感動の再会を果たしたというのに、こんなところまで来て、何をやってんだか。 「ホント、やめ……あぁ、ダメ! 止めてってばっ……」 「……泣くほど嬉しいのかい千秋?」  滲んできた涙を溜めて抵抗する俺に気がつき、ゆっくりと顔を上げる。  ここは普通、泣くほど嫌がってるというべきところなのに、こういう言葉が出るところが、穂高さんらしい。 「嬉しいですよ、自然と涙が出ちゃうくらいに」  こんなふうに答えてしまう自分も、残念ながら相当穂高さんにやられてる。  眉根を寄せて涙を拭う俺の頭を、くちゃっと優しくひと撫でしてくれた。 「風呂沸かしてあげる、おいで」  よいしょと掛け声をかけて右腕を引っ張り、俺を立ち上がらせてから居間に繋がっている薄暗い廊下を渡って、風呂場に連れて行ってくれた。 「見たら分かるんだが前の家よりも、かなり風呂場が狭い。それだけじゃなく――」  ガラガラという音を立てて扉を開けて、中の説明を丁寧する穂高さん。そんなの見たら一目瞭然なのに、何でだろうと首を傾げて続きを聞いてみた。 「浴槽も狭いだろ。だけど工夫すれば、一緒に入ることが可能だと思うんだが」  言いながら蛇口をひねり、勢いよく水を出していく。 「……いやいや、一緒に入らなくても」  一緒に入ったりしたら間違いなく浴槽にハマって、簡単に抜け出せなくなるのが目に浮かぶ。 「この浴槽は古いタイプのものだから、灯油で沸かさなきゃならないんだ。ゆえに時間がかかる」 「はあ?」 「シャワーは直ぐに温水が出るから、問題はないんだがその後、ひとりひとり入るとなると、体が冷えてしまうだろう? だから」 「俺、シャワーだけでいいですよ。無理して風呂に入らなくても」  どんどん浴槽に水が溜まっていく様を、内心呆れつつ横目で眺めた。何としてでも俺と一緒に風呂に入ろうと説得しまくる、穂高さんがおかしい。 「ふたりで入るんだから、水の量は少なくていいな。よしっと。これから沸かすとして――」  しっかりと俺の言葉を無視し、振り向いた穂高さんの目が異様にギラギラしていることに、今更ながら気がついてしまった。 「……あの穂高さん、なんだか性格が変わっちゃった感じするのは、気のせいかな? 若干、明るくなったような?」  本人の興奮を抑えるべく、若干という言葉を使ったけれど、本当はかなりと表現したいくらいに変わったと思う。 「確かに――。この島に来てからは、自分で楽しいことを探さない限り、笑う機会なんてないから。娯楽がほとんど皆無な場所だしね」 「確かに。見たところコンビニもなければ、パチンコもなさそうですし」 「ん……。今は目の前にいる、千秋が俺の癒しだから。無性に楽しくて仕方がない」  その言葉にギョッとしたのも束の間、あっさり穂高さんによって、ぎゅっと抱きすくめられてしまった。 「それに、イタリア人の血も混じっているからね。ラテン系の明るい気質もちゃっかり持ち合わせているんじゃないかって、俺としては思うんだが、千秋はどう思う?」  答えたいけど答えられない――塞がれたくちびるが、見事に答えを封じているせいで。 「そんな顔をしないでくれ。何が不満なんだい?」 「自分のことは自分でします。服くらい脱げますから」 「さっきから君は、俺の娯楽を奪おうと必死だな。まったく……」  何で服を脱がす行為が、娯楽になってるんだ。ワケが分からないよ。 「あ、それと千秋」 「何ですか?」  たった今しがた、思いつきましたといった感じでポンと手を叩き、キラキラした瞳でしげしげと俺を見下してくる。 「前と違って、風呂場が狭いからね。以前住んでいた風呂場での、あんな体位やこんな体位が思うようにできないんだが、千秋が満足できるように、俺は全力で頑張るから」  ――いや、そんな説明はしなくても分かる。しかも、頑張りどころが違う気が激しくする。どうしてそんな嬉しそうな顔して、わざわざそんなことを口走るのやら。 「しかもここの風呂場が道に面しているせいで、声がだだ漏れするんだよ。俺が歌ったりしたら次の日、漁協で何を歌っていたのかを、質問攻めに合うレベルでね」 「なるべく声をあげないように我慢するので、穂高さんはぜひとも頑張らないで下さい」 「そんな……。俺の楽しみが」 「いえいえ、本当に頑張らないで下さい。漁協で噂されたいんですか、アヤシイ兄弟だって」  穂高さんのためを思って、俺は言ってるというのに――。 「別に。なるようになるかなと思うんだが」  ラテン系の明るい気質+ポジティブ思考が追加され、ますます穂高さんの操作が難しくなっていることに、俺は頭を悩ませるしかなかった。

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