43 / 175

第八章 運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする5

***  両足を投げ出して浴槽に浸かってる穂高さんの上に、正面から跨る形で入浴している俺――。 「いい眺めだ」  何て言ってくれるけど、実際はハズカシくて堪らない。だけど話しておかなきゃ、自分の気持ちを。 「あのね、穂高さん」  ケジメをつけなきゃ、このまま前に進めないから。 「済まなかった、千秋」 「え――?」 「ここ……こんな風に痣になるなんて。君の綺麗な体にキズをつけてしまった」  言いながら、肩口を指先でそっと撫でる。 「当時は誰にも君に触れられないようにしようと、咬んでいただけだった。勿論、軽い気持ちじゃないんだが、その……俺が責任を取る」 「そんな大げさな」 「その痣を見たとき、正直嬉しかった。千秋を俺に縛り付ける理由になるからね」  何度も愛おしそうに撫でてくれる手に、自分の手をそっと重ねてあげた。 「縛り付けなくたって、俺は――」 「今だって! 今だって君が……その――ここから帰れないようにする方法を、頭の隅で考えていたりして。例えば、そうだな。漁に使う網でグルグル巻きにしようとか、足腰が立たなくなるくらい、滅茶苦茶に抱いてしまったり」 「穂高さん……」 「千秋の話を遮ってるのだって、それを聞いてしまったらきっと……、俺は泣いてしまうかもしれないって思えるから」  長い睫を伏せて話してくれることに、どうしていいか分からなくて、苦笑いで誤魔化すしかない。 「そんな情けなくてカッコ悪い俺だけど、千秋を好きでいていいだろうか?」 「…………」 「漁師として一人前になったら、君を迎えに行きたいんだ」  責任を取るだの迎えに来るだの、自分の言いたいことをばかりを言って、本当に困った人だな――。 「迎えに来ないで下さい。何年待たせる気なんですか。俺、そこまで気長じゃないんで」  真顔で言い切り、そっぽを向いてやった。  水を打ったように静まり返る浴室の中、自分をカッコ悪いと称した目の前の男は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。 「穂高さん、好きでいていいだろうか? なんて冗談じゃないです」 「千秋……」  今も昔も最初っから最後まで強引に、散々振り回されっぱなしだった。俺を守るためだというのに、理由も言わずに泣きながら別れたクセして、いざ逢ったら別れたことをすっかり忘れ、いきなり抱きついてくるなんて信じられなかった。  挙句の果てにはこの狭い空間の中、力技を駆使した体位でしっかり弄ばれ、イかされてしまった――頑張らなくていいって、最初に言ったのに。 「貴方のように、カッコ悪い男に追いかけられる俺の気持ちを、どうか考えてみて下さい」  痣を愛おしそうに撫でいた手が、力なくゆっくりと風呂の中に沈んでいく。  ――まるで、今の穂高さんの心みたいだ。  そう思いながら沈みかけたその手を取り、両手で包み込んで、ぎゅっと握りしめてあげた。 「好きなんていう気持ちじゃ、全然足りないですよ穂高さん。俺のことを愛してくれなきゃ」 「勿論、愛するよ。千秋だから」 「愛して待っていてください、ここで。今度は俺が追いかけますから」  包み込んでる手を、自分の胸の前に引き寄せる。 「千秋……?」 「貴方のように強引で、ワガママな男の相手ができるのは、きっと俺だけなんです。この先もきっと」 (やっと伝えられる、俺の気持ち――全部を受け止めて下さいなんて無理強いしないから、最後まで聞いてほしいんだ) 「俺ね、穂高さんと別れてから、いろいろ考えてみて、気づいたことがあるんです。いつも受身で、与えられてばかりいたって」 「そんなこと……。俺だって千秋から、たくさんのものを貰ってる。多少受身なのは年下なんだし、しょうがないんじゃないのかい?」 「俺から穂高さんに、何かあげたつもりないですけどね。確かに年齢も立場的にも穂高さんはしっかりしてるから、そう思うかもしれません。でもね、与えられてばかりいたから信じてあげられなかった部分が、実際にはあったんです」  俯いて、胸の前にある穂高さんの大きな手を見る。俺を掴んでくれたこの手を離したのは、きっと自分からだろう――。 「それまで穂高さんが、俺に逢いに来てくれてたことは、当たり前だった。そんな日常が崩れただけで、浮気してるなんて疑ったりしたのも、俺がきちんと愛することができていなかった証拠なんだよ」 「それは、俺の仕事がホストだったからだ。疑われる要素ばかりの仕事だったから。違う職種に就いていたら、また違ったんじゃ」  穂高さんの言葉に、力なく首を横に振った。 「きっと変わりません。違う職種に就いて触れ合う時間が減った分だけ、俺が不安定になるから。それに、貴方のことを惹きつけておける自信がないですし」 「バカだな、何を言うかと思えば。俺がこんなに惹かれて止まないのに」  空いてる手で腰を抱き寄せ、穂高さんの体に密着させられる。伝わってくる熱い素肌が、何だか心地いい。  ずっとこうやって、寄り添っていたい――そのために考えついたんだ。 「俺は穂高さんに見合うような、男になりたいって思ったんです。もっと強くなって、支えられるような。甘えてばかりいちゃダメだって」 「だから、か……。千秋の雰囲気が、がらっと変わった理由は」  俺の頬に顔を寄せて、すりりと擦り付けた。 「はじめて君に逢ったときの頼りなさげな感じが、今はまったくなかったからね。建物の中で再会した衝撃は、かなりのものだった」 「商品の魚を、床にぶちまけちゃうくらいに?」  くすくす笑いながら痛いところを指摘すると、まいったなと呟いた穂高さん。 「逢いたいと思っていた千秋が目の前に現れたんだが、芯の強さをまとって更に格好良くなった千秋だったから、一気に全身の力が抜けてしまってね。心臓を見事に、打ち抜かれてしまったんだよ」  今も打ち抜かれてる最中と言いながら、ちゅっと優しいキスをしてくれる。 「ンン……。くすぐったいですって」 「アウデンテム・フォルスクゥェ・ウェヌスクゥェ・ユウァト」  喉で低く笑いながら告げられた言葉は、英語じゃないは直ぐに分かった。 「何ですか? それ」 「イタリアにいる、父さんに教わった言葉なんだ。運も愛も、大胆に振る舞う者の味方をするってね」  弾んだ声の穂高さんを見たくて体を起こしてみたら、さっきとは違う、やけに真剣みを帯びた視線に掴まった。  な、んだろう――? 「千秋、君のその頑張りが、運を引き寄せてくれたんだな」 「ちがっ、そんなの実際まだまだですし、問題は山積みのままですよ」 「だからか、俺に逢わないで帰ろうとしたのは。でもフミさんに捕まって、感動の再会するなんてもしかして彼女が、運命の女神様だったりして?」  皺くちゃなおばーさんだけどねと目元を細めて、嬉しそうに笑う。 「それなら藤田さんだって! すごくお世話になりっぱなしで」 「ん……確かに。義兄さんには、本当に頭が上がらない状態だな、まいった」  肩を竦めて笑う彼の頬を、両手で包み込んでみた。 「問題はまだ山積みだけど、きちんとクリアして絶対ここに来る。だから、待っていてほしいです」  目の前にある大好きな瞳が、ほんの少しだけ潤んでいく。くちびるをきゅっと引き結んで表情を引き締め、何かに堪える姿を目の当たりにしていると――。 「分かった、修行しながら千秋を待ってる。待っているから絶――」 「大丈夫、絶対に穂高さんを捕まえに来る。安心して修行しながら、ここで待っていて下さい」  今度は俺が穂高さんの言葉をさらって、自分の気持ちを告げてあげた。  泣き出しそうなその顔に苦笑して、触れるだけのキスをする。俺の約束を忘れないでいてほしくて、何度もくちびるを重ねた。 「本当はもっとイチャイチャしていたいけど、可愛くてしっかり者の弟に、俺が捕った魚を食べさせてから帰さないといけないな」 「有り難うございます。楽しみにしてますね」 「もう一度、穂高さんが捕った魚を食べたい! って言わせてみせるよ。夢中にしてあげる」  夢中にするって、そんな必要ないのに。  浴槽から先に何とか抜け出し、両手を使って穂高さんの体を引っ張りあげる。 「よいしょっと!」 「ふぅ……。さすがに少しのぼせたな、千秋は大丈夫かい?」  ふらつく大きな体に寄り添い、しっかりと支えた。 「はい、大丈夫です」 「口惜しいな。千秋が全裸でくっついているというのに、手出しできないとか」 「え?」  小さな声で告げた台詞が聞きとりづらかったので、訊ねようとした矢先に、バスタオルでバサバサッと乱暴に頭を拭われる。このあと告げる言葉が聞こえないようにそうしたんだろうけど、しっかりと穂高さんの声が耳に届いてしまった。 「腹が減ってフラフラしてヤれないなんて、カッコ悪すぎる……」  その言葉に昔、お腹を空かせたせいで俺に手が出せないことがあったのを急に思い出し、肩を竦めてクスッと笑った。  基本的には変わっていない穂高さんに、内心安心したのだった。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!