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残り火2nd stage 第2章:波乱万丈な夏休み7

***  沈むことができるのなら、この湯船に沈んでしまいたい。ずうっと……。 「穂高さん、何だかすっごく嬉しそうですね」 「そういう千秋は、ものすごく不満そうな顔をしているが。もしかして、まだ足りなかったのかい?」 「そんなワケないでしょう! もうぅ!!」  俺の悲痛な叫び声が、展望露天風呂の中で響いた。  朝風呂を浴びようと、最上階にある露天風呂に足を運んだ俺たち。朝一なのにも関わらずお客さんがたくさん入っていて、賑やかにざわついている状態だから俺が大声で叫んでも、誰ひとりとしてこっちを見ることはなかった。 「千秋が怒ってる本当の理由、実は分かっているよ」 「ホントですか、それ……」  昨日遅くにここに入ったときは、窓の外は真っ暗な状態で何も見えなかった。だけど今は風光明媚な山並みと一緒に海が崖下に広がっていて、目の保養になっている。  そんな景色を眺めつつ、目の保養になる材料その2の隣にいる穂高さんを横目で捉えたら、ふっと瞳を細めて、俺のことを意味深に見つめ返す。 「当たっていたら、キスして欲しいな。ここで」 「100%当たってませんよ。こう見えても俺、繊細なんです」  真っ暗な部屋ならいざ知らず、朝日が照らしまくったあの部屋で、あんなコトをさせるなんて。 「だって、大胆に感じてる千秋が見たかったんだ。怒ってるワケも、根元まで君のを――」 「がーっ! 違うったら!!」 「でも……もっと感じさせようと強引に身体を持ち上げた瞬間に、千秋の足がつってしまうなんて、タイミングが悪かったとしか言いようがないな。つらかっただろう?」 (――はいはい、いろんな意味でつらかったですよ……)  穂高さんの身体の上で快感を絶妙にコントロールしながら、妙な体勢をとり続けた結果、踏ん張っていた足がピキッとつってしまった。 「遠慮せずに腰を動かしていいよって意味で、アシストしようと手を出したのに、全部咥えられなくてゴメンよ千秋。今度はちゃんと、やってみせるから!」  心底済まなそうに謝る穂高さんを、じと目で見るしかない。久しぶりの互いのズレ具合に、言葉が出ないよ。まったく――。 「……俺の怒ってる理由、それじゃないですから」 「ええっ!? だって、えらく残念そうな顔をしていただろう」 「してませんよ。たとえしていたとしても、まったく違う理由ですし」  見晴らしのいい景色に背を向け、大きなため息をついた。以心伝心とはいかなくても、少しくらいは掠ってくれても良さそうなのにな。これは俺のワガママなんだろうけど。  最初は同じだった。ここに来たときに、カウンター傍で穂高さんが言ってくれた台詞。 『千秋と一緒にここに来ることができて、すごく嬉しいよ』  俺の大好きな心に響く低い声で告げられ、しかも同じことを思っていたのが更に嬉しさを助長させたのに、今は悲しいくらいにすれ違っている俺たちの気持ち。いや、面白いくらいと表現した方が合ってるかもしれない。  背中を向けた俺の背後にそっと回りこみ、見えないようにお湯の中で抱きしめてくれる穂高さん。包み込まれる大きな身体からは、あたたかいぬくもりと安心感が伝わってきた。それでも、波立ってしまった俺の気持ちは癒せなかった。 「何がそんなに、君を不機嫌にさせているんだい?」 「それは、その……」  言ったところで、どうにもならないことだと分かってる。だって、穂高さんの過去に嫉妬しているんだから。  肌を重ねて快感を与えられるたびに、何度も思い知らされる。感じさせてくれるこの手やくちびるは、俺以外にも抱いた人がいるからこそ、その経験を踏まえて、俺を気持ちよくさせているんだって。  いつから、こんなにも貪欲になってしまったんだろう。穂高さんの心も身体も全部自分のモノにしているというのに、過去にまで無駄に嫉妬してしまう。  腰に回されているお湯の中の手に、そっと自分の手を重ねた。 「言いたくないのなら、無理して言わなくていい。だけど、これだけは分かっていてほしいんだ」 「はい……」 「君がはじめてなんだ、千秋。身も心も全部、欲しいと思ったのは」 (――俺がはじめて) 「俺は母さんのために、道具として生きてきた。周りの人間も、俺を道具として見ていたしね。道具に感情は必要ないと教えられたからこそ、感情を抱かないまま行為におよんでいたんだ。それは酷く冷めたものでね。生きていくための手段のひとつだったから、感情が伴わないのは当然なんだが」  穂高さんの手の上に置いている俺の手に反対の手が重ねられ、後ろから密着して抱きしめられる形になり、そのままくるりと体を反転させられてしまった。  目の前に広がる外の景色と、背中に感じる穂高さんの熱――洗い場にいる人たちから見えないように、沈んでしまった気持ちの俺を隠してくれることが、すごく愛おしいと思った。 「穂高さん――」 「千秋を抱くたびに、俺の中の感情とかいろんなものが一気に沸騰するんだ。それが熱くなってどんどん膨らんで、それを君に向かってぶつけてしまいたくなる、強い衝動に駆られてしまう……」    身体を抱きしめた両腕に、さらに力が入るのが熱と一緒に伝わる。 「それをしてしまったら、きっと千秋が壊れてしまうかもしれない恐怖に襲われたり、滅茶苦茶に抱いてしまったら、もういやだと嫌われてしまうかもって」 「そんなこと、ない……よ」 「千秋だって、気持ちにブレーキをかけているじゃないか。さっきしたのだって、そんな感じだったし」 「だって、恥ずかしいのもあったんだ。明るい場所で、あんなことをするなんて、その……」  恥ずかしさ半分、穂高さんの過去に嫉妬していたのが半分。そんな感情が入り混じり、快感を逃がしていた。 「恥らう姿もいいけど、たまには俺に溺れてほしい。それを見て、俺も感じるんだからね」  嬉しそうな声色で告げながら、濡れた俺の髪にキスを落とす。 「穂高さんが感じたら、その次はどうするの?」 「俺の膨らんだ感情をちょっとだけ混ぜて、壊れない程度に優しく君を抱いてあげるよ。だから――」  言葉を続けずに俺の顔を覗き込み、無言のプレッシャーをじわじわと与えてきた。 「俺は、穂高さんの想いに応えればいいの?」 「ん……。俺のはじめての気持ちを、千秋に捧げてあげるから」  穂高さんのはじめての気持ち――告げられた言葉がまるで自分が抱いていた嫉妬心を、見事に見透かしているみたいに感じてしまった。切なくて苦しいのに、包み込まれるようなあたたかさが、その言葉から伝わってきて穂高さんの心を表しているみたいだ。 「穂高さん……ありがと」  鼻声で言った台詞に少しだけ苦笑いして、俺の顔にバシャバシャと容赦なくお湯をかける。 「どういたしまして千秋。感謝しても足りないくらいだよ」  慰めるように頭を撫でて、後頭部にその手を持っていったと思ったら、覗き込んでいる穂高さんの顔に、そっと引き寄せられた。  ――重ねられるくちびるが、無性に嬉しい。 「感謝も足りないけど、キスも足りないみたいだ。今日何度、おはようのキスをしただろうね」  嬉しそうに笑う穂高さんに釣られて、俺もにっこり笑いかけた。  嵐の中の海で浮かんでいる小船のようにぐらぐらしていた心が、一気に晴れやかになり、こうやって笑うことができるのは、大好きな穂高さんのお蔭だなぁって思わずにはいられなかった。

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