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残り火2nd stage 第3章:青いワンピースと葵さん7

「すっげ……。顔が崩れてる――」 「うわあっ!? なっ、ヤスヒロ?」  耳に聞こえてきた声に心底驚き、両手に持っていた袋をズシャッと落してしまった。 「へえ。穂高おじちゃんも、大きな声が出せるんだ。ビックリした」 「ビックリしたのはこっちだ、いつの間に傍にいたんだい?」 「僕ちゃんと、こんにちはって声をかけたよ。失礼な!」  見られたくない一面を子どもに見られてあたふたする俺を尻目に、ヤスヒロは呆れた顔をしたまま落してしまった袋のひとつをよいしょっと言いながら、頑張って持ち上げて手渡してくれた。 「……済まない。いろいろ考え事をしていたものだから」  言いながらもうひとつの袋を拾い上げ、ふーっとため息をついた。 「千秋兄ちゃんのことを心配するには、すっげぇ変な顔をしていたけど、本当に大丈夫なの?」 (――おいおい、どっちの心配をしているんだヤスヒロ) 「それに、穂高おじちゃんから千秋兄ちゃんのいい匂いがする。なんで?」 「んー……? 葵さんが作った玉子粥を食べさせるのに、膝に乗せて食べたからじゃないかな」  千秋の匂いが移っているなんて、嬉しい発見じゃないか。思わず自分の体をくんくんしてみたが、さっぱり分からない。 「千秋兄ちゃんを膝に乗せてって……。そんなに具合が悪いの?」 「いいや。周防先生からいただいた薬が効いて、起きていられなかったんだ。だから補助してあげるために、膝に乗せていたんだよ。心配はいらない」  安心させるべく片手にふたつの袋を持って、ヤスヒロの頭を撫でてあげた。 「そういうヤスヒロからも、葵さんの匂いがするけどね」 「……何かそれ、いやらしいな。穂高おじちゃんってば、お母さんを狙ってるんじゃないの?」  腰に手を当てながら、じと目で俺を睨みあげる。 「ハハハ、狙っていないから。ヤスヒロみたいに立派な男が傍にいるんだ、手を出すなんてしない」 「僕はどっちかっていうと、千秋兄ちゃんの方が好き。是非ともお母さんと、結婚してほしい」  ヤスヒロの言葉に思わず、顔を引きつらせてしまった。やっぱり千秋は、みんなに好かれてしまうんだな。 「残念ながら、千秋はあげられないよ。決まった人がいるからね」 「ホント!? ねぇねぇどんな人? お母さんよりも可愛い?」 (葵さんとの比較か――結構難しいな……) 「ん~……、可愛らしさでいったら葵さんの方が上だけど、たくましさなら負けないと思う」  顎に手を当てて、自分と葵さんを並べて検証してみた。 「えっ!? たくましい……って、ゴリラ女なの?」 「ゴリラは失礼だろ。大きな体で、千秋を守ってやらなきゃいけないんだから」 「千秋兄ちゃんってば、女に守られなきゃ駄目なくらいに弱っちぃの? それってヤバくない?」 「し……」  しまった――子ども相手に、真剣に答え過ぎてしまった。 「あの、な、ヤスヒロ。今の世の中、結構大変でな、ひとりでは生きていけない時代なんだ。だからこそ彼女の手を借りて、一緒に荒波を渡るべく生きていくって感じなんだよ」  ワケが分かるような分からない言葉を羅列し、誤魔化そうと必死になった。  そんな俺を穴が開きそうな勢いでじっと見つめてから、どこか寂しそうに微笑む。 「大変なのは分かるよ。俺もお母さんとふたりで、一緒に頑張ってるから。千秋兄ちゃんも同じなんだね」 「そ、そうなんだ。分かってくれて嬉しいよ。ハハ……」 「だから千秋兄ちゃんは、すっごく優しいんだね。穂高おじちゃんと違って」 (あのそれって、俺が全然優しくないって言ってるように聞こえるのだが――?) 「今度、千秋兄ちゃんの彼女に逢ってみたいな。たくましくて、きっと優しい人なんでしょ?」  今、目の前にいる。とは言えない……。 「ああ、そうだよ。だから安心して任せられる」  千秋の全部を優しさで包み込めるような、大きな男になりたい。 「それはそうと、ヤスヒロ。どうしてこんな所にいるんだい?」 「宿題が終わったから、お母さんのところに行って報告してきたんだ。スーパー、お客さんがいなくて暇そうだったよ」  葵さんはレジのパートをしている。漁協に行かずまっすぐそこに顔を出していたら、ヤスヒロと鉢合わせしただろうな。 「ねぇ、その袋の中身、千秋兄ちゃんが全部食べるの?」 「そうだよ。千秋に元気になってほしいからって、漁協の方々から戴いたんだ。頑張って、いろいろ作ってあげないと」 「僕も穂高おじちゃんみたく、大きくなったらいろんな物が作れるようになれるかな?」  ヤスヒロの言葉を聞きながら、ゆっくり歩き始めたら並んでついてきた。 「お前は偉いね。俺も母親とふたりで暮らしていたけど、ヤスヒロと同じ年のときは、遊ぶことしか考えていなかった」  だから時々、ヤスヒロに自分の姿を重ねてしまう。小さい頃の自分と比較したら、本当にヤスヒロはいいコだと思えた。俺はいつも落ち着きがなくて迷子になったりケンカしたりと、母さんの手を煩わせてばかりいた。  だけどある日、夜中に目が覚めたら部屋の隅で泣いている後ろ姿を見て、ふと考えたんだ――俺が母さんを、守ってやらなければいけないんだって。  そう思ったのが、小学校高学年になってから。それまで随分と、苦労させてしまった。  ヤスヒロと俺は同じ境遇だが、そこに至るまでの過程が違う。だからそのせいできっと彼は、葵さんのことを大事に思っているんだろう。  ちょうど自宅前にたどり着き、ヤスヒロに訊ねてみる。 「お昼は、どうしているんだい?」 「お母さんが一旦、お仕事から帰って来て、一緒に食べてるんだ」 「そうか。もし葵さんが忙しいなら、遠慮せずに家においで。一緒に食べよう」 「分った! 千秋兄ちゃんが元気になったら教えてね。遊びに行くから」  元気に言い放って元気いっぱいに駆け出すと、自分の自宅に帰って行った。

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