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残り火2nd stage 第3章:青いワンピースと葵さん9
「千秋……」
「そっ、それにだよ。葵さんは康弘くんとふたり暮らししてるんだから、男手が当然必要だよね。そういう面で気にしなきゃいけない存在だって分かっているのに、さ……。俺ってバカだよね。ハハハ……」
んもぅ、どうしていいか分からなくなって、無理やり笑うしかない。
そんな困り果てる俺の身体を、穂高さんは無言でぎゅっと抱きしめた。
「あの、穂高さん。結構苦しいかも」
「もう少しだけ……。もう少しだけ、このままでいさせてくれないか。頼む」
どこか嬉しさを滲ませた声が、じんと胸に響いた。
「穂高さん?」
「しなくていいヤキモチを妬いてくれて、有り難う千秋」
「……何かその言い方、ちょっとムカつく」
唇を尖らせてぷーっと怒ってみせたら、さも可笑しそうにクスクスと笑い出す始末。
「そんな風に、可愛く怒らないでくれ。俺も同じなんだしね」
「同じって、何が?」
「頭で分かっていても、しなくていい嫉妬をすることだよ。君を迎えに行ったとき、バイト先の同僚にえらく嫉妬したし、島に来てからもみんなが千秋を愛でているのが、堪らなくつらいんだ。ほら見てごらん、テーブルの上」
逞しい腕をさっと伸ばして指を差した先には、食べ物と思しき物が大量にあった。
「なに……あれ?」
「千秋を慕う、漁協のおばちゃん方からの差し入れだよ。スーパーに行く前に漁協に寄ったら、アレコレ質問攻めにあってしまってね。そしたら俺の言動に心配したのか、あれを食べさせろって詰め寄られてその結果、たくさん戴いたんだ。なのでスーパーへ寄らずに帰ってきた」
「そうなんだ。たかが夏風邪なのに、何だか申し訳ないな」
横にある穂高さんの顔を見ると、何故か頬を染めて俺を見ている。
「どうしたの?」
「あ、いや……。瞳をウルウルさせながらそんな謙虚なことを言われたら、もっと尽くしたくなった」
イマイチぱっとしない返答に首を傾げたら、はーっと深いため息をついた。
「千秋って、ホント年上キラーだよ。厄介だな、まったく」
「俺は、普通だって」
「そんなことはない。そういう態度でぐっと心を惹きつけて、相手を夢中にさせてしまうんだから。だから縛り付けて、外に出さないようにしてやりたいんだよ」
眉根をぎゅっと寄せながら、さも残念そうに言って肩にある痣の部分を、かぷっと甘咬みする。
――俺のモノだという、穂高さんがつけてくれた印。これを鏡で見るたび、手で触れるたびに、愛おしさが募っていくんだ。
「……それは俺だって同じですよ。穂高さん、カッコイイから」
穂高さんにその気がなくても、相手が夢中になってしまう容姿をしているから尚更。だから気が気じゃないんだけどね。
「ね、千秋。葵さんのことなんだが」
「はい?」
「彼女、ちょっと特殊な事情があってね。だからこそ、目をかけずにはいられなかったんだよ。そこのところを最初から伝えておけば、君が変にヤキモチしなくて済んだのに」
(――特殊な事情……?)
息を飲む俺の身体を緩く抱きしめ直して、頭に顎を乗せた穂高さん。
「葵さんはここに来る前は、船で渡った先にあるすぐ傍の町に住んでいた。俺たちが泊まった、あの温泉街のある町だね」
「……うん」
「ご主人とヤスヒロの3人で暮らしていたんだが、とても苦労したらしい。ご主人がね、お酒が入ると人が変わったようになって暴力を振るってきて、夜な夜なヤスヒロの手を取って逃げたりしたって聞いた」
今の葵さんからはそんな過去の苦労なんて、微塵にも感じさせていないのに――。
「お酒が入ってないときは、とても優しいご主人なんだって。だから最初はそれにすがって、ずるずる一緒に生活していたそうだけど、ある日――」
ふーっとため息をついて、両手で俺の左手を包み込んできた。冷たい手のひらをもう片方の手で包んで、あたためてあげる。
「会社から帰ってきたご主人が、いきなり殴ってきたそうだ。理由は分からないままに、何度も……」
「酷い――なんで、そんなこと……」
「ん……。止めに入ったヤスヒロにも手をあげだしたんで、隙を見て命からがら交番に駆け込んだって。そういう経緯があったから、葵さんは離婚した」
「うん……」
「この島に来たわけは、彼女の生まれ育った場所だから。ご両親は既に他界をしていたけど、それなりに知り合いがいるということで、安心して暮らせたと言っていてね。だけどご主人に傷つけられたせいで、最初の頃は島にいる俺を含めた男の人と、喋ることができずにいたんだ」
想像つかない。今は俺にも普通に話をしているし、笑顔だって見せているのに。
「この島の人たちは、キズついた人にとても優しいからね。千秋の見舞い品を見れば、一目瞭然だけど」
「そうだね。まだ知り合って間がない上に、ただの夏風邪だというのに、あの量のお見舞い品はビックリするしかないや」
「おばちゃん方に支えられて癒されていく内に、彼女の心の傷が癒えていったって感じだろう。少しずつ、俺とも話せるようになったんだ」
「おばちゃん方もそうだろうけど、ここの環境も心を癒してくれたって思うよ。とても穏やかに時間が流れてるって、感じることができるんだ」
俺個人の意見だけど穂高さんは嬉しそうに頷いて、頬にちゅっとキスしてくれた。
「そうだね、千秋のいう通りだよ。こういう理由があったから、葵さんにたいして気にかけていたんだ」
(――そうか、そうだったのか)
「いらないヤキモチ妬いて、ごめんなさい穂高さん。俺も一緒に手伝うから」
俺が真実を知ったタイミングを計ったかのように、事件は数日後に起った。
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