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残り火2nd stage 第3章:青いワンピースと葵さん10
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夏風邪も数日ですっかり良くなり、いつもの時間に漁協に顔を出してみんなにお礼を言ってから、バイトに精を出した。人のあたたかさに感謝しながら、小さいことでも一生懸命に頑張る。
それは自己満足かもしれないけれど、こんな自分でも誰かの役に立てられるのがとても嬉しい。
「あっ、ちーちゃん。井上さんが帰ってきたから、あがっていいよ。お疲れ!」
「ありがとうございます。お先に失礼します」
一緒に働いていたおばちゃんたちに頭を下げるなり、倉庫に入ってきた穂高さんに向かって駆け寄った。
「お帰りなさい、穂高さん。今日は遅かったですね」
「ただいま千秋。最近、船のエンジンの調子がおかしくてね。叩きながら帰ってきたんだよ」
(エンジンって、叩いたら直るものだっけ?)
「その関係で、船長に頼まれ事をされてしまって。先に帰っててくれないか」
「分かりました。あ、鍵は持ってきてるから大丈夫です」
短パンのポケットから合鍵を取り出して、これこれと見せつけてあげた。
島に来てから千秋用だよと手渡されたその鍵には、可愛いネコのキーホルダーがつけられていた。
「ねぇ、どうしてネコのキーホルダーをつけたの?」
しかも光の加減で、アヤシくネコの目が光ったりするんだ。これを選んだ、穂高さんのセンスって一体……。
「さぁ、どうしてだろうね」
何度訊ねてもこの答えばかり。やっぱり前にした、ネコの鳴き真似をバカにした件について、根にもっていたりするのかな。
「気をつけて帰るんだよ、千秋」
「はーい。朝ご飯作って待ってますね」
「楽しみにしてる!」
そんなやり取りを経てから、ゆっくりとした足取りで家路に向かった。
「あれ、康弘くんだ」
朝早くから元気いっぱいな様子で、こちらに向かって走ってきた。その勢いに、砂埃が舞っている。
「おっはよー! 千秋兄ちゃんっ」
出会い頭、わーいといった感じで抱きついてきた。その頭をなで撫でして、並んで歩き出す。
「おはよう、康弘くん」
「千秋兄ちゃん、顔色がいいね。元気になってよかった。今日遊べる?」
「あ~……。休んでた分の勉強があるから、午後からでいいかな?」
寝込んだ次の日には熱もすっかり下がり、体調もほとんど良くなっていたのに、穂高さんが3日は寝ていないとダメだとなぜか日付指定をして、ベッドに張りつけにした。
あまりにも暇なのでベッドの上で勉強したいと言っても、ダメの一点張りで融通が利かず困ってしまった。
そのくせベッドの中で、イチャイチャするようにくっついていたのは、ここだけの話だ――いい意味で全快です。
「千秋兄ちゃんと遊べるのは午後からか、いいよ。俺も頑張って、早く夏休みの宿題を終わらせようっと!」
「元気だね、康弘くんは」
「まだ朝ご飯を食べてないから、あんまり元気じゃないよ。でもラジオ体操が終わったあとに、島をぐるぐる走って足を速くする練習していたんだ。夏休みが終わったら、体育でリレーがあってね。男子と女子に分かれるんだよ。5年生のお兄ちゃんに、早くバトンを渡したいんだ」
今まで話せなかった分を消化すべく、次々と喋ってくれる康弘くんの話をしっかりと聞いてあげた。
「そういえば、いつもより遅かったね。穂高おじちゃんもいないし、どうしたの?」
「ああ、それはね……」
説明をしてあげようと口を開きかけたら、背後から誰かに腕を掴まれて、歩いていた足を止められてしまった。
穂高さんにしては強引だなと思って振り向くと、背の高い見知らぬ男性が鋭い眼差しで俺を睨み下ろす。
体が大きい――穂高さんと身長が同じくらいだけど、横幅がこれでもかという感じのガッシリした体格なので、圧迫感が半端ない。たとえるなら、うんと……クマって感じ。
のん気な感想をちゃっかり心の中で述べていると、康弘くんがじりじり靴音を立てて、俺から離れていった。
「康弘くん?」
「うっ……、千秋兄ちゃん、早く逃げて。……殺されちゃうかも」
目に涙まで浮かべてどんどん後ずさりしていく姿に、すべてを悟ってしまった。
「待て、康弘。母さんはどこだ?」
「し、知らないやい!」
「何だ、その口のきき方は!?」
いきなりがーっと怒り出し、俺から手を離して康弘くんに掴みかかろうとした。
(――守らなきゃ!)
その一身で男の体に両腕を回して、ぎゅっとしがみついてやる。
「んだっ、てめぇ!」
「康弘くん、逃げて!!」
こんなクマみたいな男に、俺みたいなのが勝てるわけがない。だけど時間稼ぎくらいなら――。
「千秋兄ちゃん……」
「いいから、早くっ!!」
うわーんと大泣きしながら、来た道を急いで戻って行った。
「こら、離しやがれ。クソガキがっ」
「離さない。葵さん親子のところには、絶対に行かせません!!」
「もしかしてお前、葵とデキてんのか? ガキのクセに」
腰に食らいつく俺の腕を引き剥がそうと、せせら笑いを浮かべながら訊ねる。
「そっ、それは……」
――デキてるって言ったら、きっと殺されるだろうな。
「何をやっているんだ、千秋?」
うっと言い淀んでいる所に、聞き慣れた声がかけられた。
「穂高さんっ!」
嬉々として振り返ったらその顔はえらく険しいもので、白目がじわじわと充血していく様を、ただ固まって見るしかできない。
「何でそんな男の腰に、嬉しそうな顔でしがみついているんだい?」
「ち、違うんだ。この人は――」
「3日間ずっと手を出さずにいたから、溜まっているのは分かっているつもりだが、だからって俺の目の届かないところで、他の男にそんな風に迫るなんて……」
(――ああ、お得意の早とちりがこのタイミングで発動しちゃうとは……)
「んもぅ、溜まってなんていないから! 変なことを言ってないで手伝ってくださいよ」
「……その男を交えて、3Pでもしろと言うのかい」
今にも泣き出しそうな顔して、卑猥なことを言われてもな。ホント、困った人だよ穂高さん。
「そんなワケないでしょって。早くしないと――……っ、わわっ!?」
言い終らない内に男が俺の腕を掴んで、その場に放り投げた。後頭部を強打する勢いだったので、痛みに顔を歪ませる。
「うっ、イタタ――」
「大丈夫かい? 千秋」
しゃがみこんで頭を撫で擦る俺に、穂高さんが慌てて駆け寄ってくれる。涙目で目の前を見たら、すぐさま表情が一変し、見たことのないくらい怖い顔になっていった。
「テメェら、さっきからガタガタうっせぇんだよ。康弘、見失っちまっただろぅが!」
俺たちに向かって罵声を浴びせる男。その声に俺は怖くて肩を竦めたんだけど、穂高さんは無言で立ち上がり、男の前に立ちはだかった。
「なんだ? テメェは」
「……俺の千秋に、よくも手をあげたな。ただでは済まさない」
怒りを表すような、野太くて低い声。それはそれは、実におっかない声色だった。聞いてるだけで、体が震えてしまったくらいに。
この先どうなるんだろうかと見守っていると、男の右腕が穂高さんの顔に目がけて、勢いよく振り下ろされる。
がつんっ!!
「うっ……!?」
男の拳は咄嗟に腰を下ろした穂高さんの額に命中、それはすごい音がしたというのに――。
「随分と身の入っていない、軽いパンチだ。痛そうにしているが、千秋が受けた痛みの方がもっと上だから」
あんなすごい音がしたのに、平然としている穂高さんの額が不思議すぎる! 絶対に男の拳の方が痛いって。俺のは撫で擦ったら、痛みが飛んでいったから。
「っ、くそっ!!」
男は痛そうな顔をしながらも、反対の拳を使って穂高さんを殴ろうとした。だけど片手で簡単に受け止められ、啞然とした顔になる。
すごい――自分よりも体の大きい人と、互角に闘えちゃうなんて。
「何だい、その蚊が止まった様な気の抜けたパンチは。痛くも痒くもない」
受け止めた拳を、ぎゅっと握りしめていく。
(……そういえば穂高さん、見た目以上に力持ちだったっけ。抱きしめられる際にたまぁにだけど、骨がミシミシいうときがあるんだよな)
「ぐわぁっ……痛いっ、離しやがれ!」
「千秋の痛みは、こんなものじゃ――」
「ダメだよ穂高さんっ。俺は大丈夫だから」
これ以上、人を傷つけさせてはいけない。
「いいのかい?」
「いいも悪いも、暴力反対ですって」
俺の言葉に、男の拳からやっと手を離した。
穂高さんの様子に安堵のため息をついた瞬間、いきなり男の体を抱きしめるなり、よいしょっと持ち上げる。
「穂高さんっ!?」
「うおっ、何しやがる」
じたばた暴れる自分よりも大きな男を平然と持ち上げるとか、すご過ぎるんだけど。
「千秋が、暴力反対って言ったから――」
よたよたしながら男を抱えたまま岸壁に足を進め、躊躇なくぽいっと投げ捨てた。
「ひーっ∑(゚∇゚|||)」
穂高さんの行動に悲鳴を上げながら慌てて岸壁に駆け寄ると、男が必死な顔して助けを呼びながら、バシャバシャしている姿が……。俺の一言で、すごい事態を招いてしまった。
「何やってんだよ、穂高さんっ」
「大丈夫だ。俺もここから船長に落されたことがある」
(――おいおい、ナニをやって落されたんだ)
「でも、助けないとヤバくない?」
「ん……? 水深はそこまで深くないんだよ。暴れるのを止めたら、気がつくと思う」
落した男をしっかり無視し、心配そうな顔して俺を見てくれた。
「頭、痛くなかったかい?」
「はい、大丈夫ですから」
「それにしてもこんな場所であんな男に抱きついて、一体どうしたっていうんだ?」
穂高さんの質問に答えようと、口を開きかけたら。
「おおーいっ、そこのふたり! 見知らぬ男が、こっちに来なかったか?」
慌てふためいた船長さんが、走ってやってきた。穂高さんは無言で、岸壁の下を指差す。
「……井上、おめぇ――」
「だって、俺の千秋に手をあげたんです。当然の報いですよ」
(俺のっていう言葉はいらないって。今度、注意しなきゃダメだな)
穂高さんが船長さんに叱られるだろうと思い、ふたりの様子をそのまま窺った。
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