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残り火2nd stage 第3章:青いワンピースと葵さん11

「いんやぁ、えらがったな! 井上っ」  俺よりも背の低い船長さんは背伸びをして、穂高さんの頭を両手でわしわしっと撫でまくった。 「当然ですよ。千秋に手をあげ――」 「違うんだ、穂高さん。あの人は康弘くんのお父さんなんだよ」 「えっ!?」 「フェリーから知らねぇ男さ降りて来たら知らせるように、母ちゃんに言ってあったんだけどよ」  船長さんの言葉に、ハッとさせられる。  俺がこの島に来たときも、いきなり漁協のおばちゃん達にわーっと囲まれて質問攻めにあったのは、こういう理由があったからなんだな。 「葵さん、旦那と別れるとき、すげぇ苦労したって言ってたからよぅ。きっと追っかけてくるんじゃないかって、みんなで踏んどったワケでさ」 「俺が康弘くんと一緒に帰ってる最中に、偶然そこで出逢ったんです。あの男が葵さんのことを訊ねてきたのでピンときて、慌てて康弘くんを逃がしたんですよ」 「……そうだったのか。引き留めようとしていたから、千秋はあの男に抱きついていたのか」  感嘆の声をあげた穂高さんに、呆れ顔をするしかない。 「必死に止めに入ってたのに、あのタイミングで絶妙な勘違いをしてくれちゃって」 「とにかくあの男を一度引き上げにゃあならんから、井上はロープを持ってこい」  崖下にいる男に、3人揃って見下ろしてやった。相変わらず何かに掴まろうと必死になって、あたふたしながら泳ぎまくっている。  船長さんに返事をして踵を返した穂高さんの背中を見送っていると、同じように頭をがしがしっと撫でられてしまった。 「おとーとも、えらがったな。ケガはしてないのけ?」 「はい、お蔭さまで。穂高さんが来てくれたので、大事にならずに済みました」 「そっか。アイツでもタイミングよく、役に立つときがあるもんなんだな、アハハ」  大笑いする船長さんに向かい合って、しっかりとお辞儀をした。 「船長さん寝込んだ際には兄弟揃って、大変お世話になりました。ありがとうございます!」 「いいって、いいって。船に乗ってるヤツは、家族も同然なんだしよ。しっかし、こんだけおとーとがしっかりしていたら、あんちゃんがダメになるのが分かる気がしてきたぞ」 「いえいえ、 とんでもないです……。あんな兄ですが、これからもよろしくお願いします!」  俺がここにいない間、船長さんにはたくさんお世話になるんだから。  そう考えて、しっかり挨拶したんだけど。 「おめぇはもう少し、あんちゃんを見習って、バカになった方がええよ」  なぁんて言われてしまい、頬をぎゅっと抓られてしまった。 「いたたたっ……」 「じゃねぇと、井上がちっとも成長しねぇんだからよ」 「はぁ、そうですね」  どう切り替えしていいか分からず途方にくれていると、穂高さんがロープを持って戻って来る。  その姿に、安堵のため息をついてしまった。 (あの穂高さんを、どうやって成長させたらいいんだ?)  そんなことを考えながら戻って来た穂高さんの顔を見たら、不思議そうな顔で小首を傾げる。 「どうしたんだい、千秋?」 「な、何でもないよ。それよりもあの人、そろそろ助けないと海の中に沈んじゃうかも」 「ほれ、力持ち。遠慮せずに引き上げてやれ!」  船長さんに肩を叩かれて最前線に送り出されると、若干イヤそうな表情を浮かべながら、崖下に向かってロープを投げつける。 「おーいぃ、それに掴まってくれ!」  男の様子を見るため崖下に視線を送ったら、溺れる者は藁をも掴むという言葉通りに、必死になってロープを掴んでいた。 「引き上げるから、しっかり掴まってろよ!」  さすがにクマ男を引き上げるのには力がいるだろうと思ったので、穂高さんの後ろに回って、一緒にロープを引っ張ってあげる。 「よいしょっと……。千秋、ありがと」 「どういたしましてっ! やっぱり結構、力が要るね」 「兄弟揃って仲がええなぁ。ほら、頑張れ!」    船長さんに応援されながら、クマ男を何とか無事に引き上げることに成功した。 「ほら、おめぇ。ウチさ来い! いろいろ話してぇからよ」  ずぶ濡れのクマ男を連れて、引っ張るように自宅に連行していく船長さんを見送った。 「穂高さん、葵さんの家に行って、このことを伝えてあげなきゃ。今頃、震えているかもしれないよ」 「確かに。急いだ方がいいかもしれないね」  切羽詰った状況だというのに少しだけ笑った穂高さんが、俺の手をぎゅっと掴んで走り出す。 「わっ!? 足が絡まっちゃうって!」  夜中に漁の仕事してクマ男に殴られたあとに、ロープを取りに走って行き、その後それを使って崖から男を引き上げて――穂高さんってばフルで活動しているのに、全然平気そうなのはやっぱり、俺と違って基礎体力が違うんだろうな。 「しょうがない、背負ってあげようか?」 「遠慮します。頑張ってみる……」 (少しでも体力をつけなくちゃ、病気にならないためにも)  必死になって走る俺を気遣い、所々スピードを緩めて後ろを振り返ってくれる穂高さんの優しさに、胸が熱くなった。 「大丈夫かい、千秋?」 「う、うんっ! 急ごうよ」  こうしてふたりして猛ダッシュして、葵さんの家に到着した。 「葵さん、いますか?」  呼び鈴を鳴らして、外から話しかける穂高さん。家の中から、バタバタという足音が聞こえてきた。 「――井上さん!?」  血相を変えた葵さんが扉から慌てて顔を出して、穂高さんと俺を見る。 「ヤスヒロ、無事に家に辿り着いたんですね?」 「ええ、主人がここに来たとか……。あ、千秋さん大丈夫ですか? どこかケガしてません?」  扉を全開にして出て来たと思ったら、気遣うように俺の体に触れてくれた。 「えっと、大丈夫ですよ。すぐに穂高さんが来て、ご主人を海に放り投げてくれましたから」 「えっ!? あの人を海に!?」  葵さんが、呆然とした表情を浮かべる。当然だろうな、俺も相当驚かされたし。 「だって俺の千秋に――っ、フガッ」 「いやいや、本当にみんなが無事で、良かったってことで!」  何度も、俺の千秋発言を言わせて堪るものか。結構、恥ずかしいんだぞ!  穂高さんの口をがっしりと手で塞いでニコニコしていると、家の奥から泣きながら康弘くんが出てきた。 「うっ、うっ……。千秋兄ちゃん、ゴメンなさぁいっ」 「康弘くん、こっちにおいで」  涙を拭いながら、恐るおそるこっちに来る康弘くんに向かい合うべく、穂高さんから手を離して、しゃがみ込んであげる。 「千秋兄ちゃん、痛いことされなかった?」 「大丈夫だよ。ほら、どこも痛くないから。試しに、ぎゅってしてみなよ」  両手を広げて康弘くんを待ってあげると、うわーんと泣きながら抱きついてきた。 「偉かったね、俺の言うことを聞いて逃げて。無事で良かったって思うよ」 「っ、でも、僕っ……何も助け、っ、られなくて」 「そんなことないんだから。お父さんから、お母さんを守ることができたじゃないか。一生懸命に走って知らせることができただけでも、立派だったんだよ!」  微笑みながら、頭を何度も撫でてあげる。 「……千秋さん、どうもありがとう」 「俺は康弘くんに逃げるように言っただけで、実際は何もしていないんですよ。参ったな」  困って穂高さんに視線を飛ばしたら、ひょいと形のいい眉を上げて、何を言ってるんだという表情を浮かべた。 「……穂高おじちゃんは、大丈夫そうだね」  康弘くんは俺の胸に顔を擦りつけつつ、穂高さんのことを見上げた。 「ああ、心配ない。むしろ崖下に投げられた、お父さんの心配をしたほうがいい」 「えっ!? お父さんをあそこから投げたの?」 「そうだが。こう抱えてだな、肩に担いで、サラバ!(ノ ̄ω ̄)ノって感じで」 「千秋兄ちゃん、ホント?」  丁寧にジェスチャーする穂高さんを無視して、わざわざ俺に訊ねる。 「うん。穂高さんの言った通りだよ。今は船長さんの家に連れられて、いーっぱい叱られている最中だから」 「あの人に逆らうと網に入れられた挙句に、船で引きずられると思うから、もう悪さができないね」 (――おいおい、それって穂高さんがわざわざ逆らって、されたことじゃないよな!?) 「……どうしたら、そんなふうに強くなれるの?」  俺のシャツをぎゅっと掴み、思いきった様子で穂高さんに訊ねる康弘くん。やっぱり逃げたことが、相当悪い印象になっているみたいだな。  すると穂高さんはしゃがみ込んで康弘くんと目線を合わせて、その頭を撫でまくる。 「そうだな、お母さんのお手伝いをすればいい。主に力仕事だね。無理をしないっていうのが、ちょっとしたコツなんだよ」 「分かった。やってみる。千秋兄ちゃん、分からないところは教えてね」  なぜだか頭に置かれた穂高さんの手を振り払い、俺にしがみつきながらお願いをしてきた。そういえば康弘くん、穂高さんのことをライバル視していたっけ。  同じ男として穂高さんに憧れているけど、恥ずかしくてそれを表に出せないのかも。その気持ち、俺はすっごく分かるよ。 「なぁ、ヤスヒロ。俺には、ぎゅうってしてくれないのかい?」 「する必要ないもん。大丈夫なんでしょ」←即答  ますます、俺に抱きついてくる始末。それを見て、穂高さんが顔色を曇らせた。  この顔は――いつまでも俺の千秋に、くっついてくれるなっていう表情だろう。  彼の心情を考えて、そろそろ離れてもらおうと康弘くんの肩に両手を置いたら、穂高さんの目が怜悧な感じに、すっと細められた。  ヤバいなと身構えた瞬間に、康弘くんごと俺の体をぎゅっと抱きしめる。 「うわぁ!?」 「ちょっ、な、なに?」 「幸せのサンドイッチ」  言いながら、よいしょっと俺たちを持ち上げる。 (――足がっ、足が地面についてないって!)  康弘くんが落ちないように体に腕を回したら、穂高さんがその上から更に力を入れてきた。 「千秋兄ちゃん、苦しいよ」 「俺じゃないって。穂高さんだよ」 「あらあら楽しそうね。康弘が、すっかり泣きやんでしまったわ」  葵さんの言葉に、改めて康弘くんの顔を見る。  俺のシャツでちゃっかり涙を拭っていたのに、今は怒っているけど、どこか嬉しそうだ。やっぱり、穂高さんはすごいや。 「苦しいかい? 千秋」 「そんなに苦しくないよ」  というか、いつも通りだな。 「俺はっ、すごぉく苦しいって!」 「ああヤスヒロ、そんなところにいたのか。小さいから、全然気がつかなかった」  穂高さんが目配せしたので一緒に腰を下ろして、康弘くんを地面に下ろしてあげた。 「俺、小さくないよ! 牛乳毎日飲んでたくさん運動してるから、昨日よりも大きくなってるもん!」 「そうかそうか、いつか追い越されてしまうな」  カラカラ笑う穂高さんを見て、キーッと頬を膨らませると、足音を立てて家の中に入って行く。 「お母さん、ご飯っ! お代わりするから!」 「はいはい。井上さん千秋さん、本当にどうもありがとう。船長さんにも、お礼を言っておきます」 「葵さんたちに、何もなくてよかった。また何かあったら、遠慮せずに言って下さい」 「俺も微力ながら、お手伝いします。あ、午後から康弘くんと遊ぶ約束してます」  互いにお辞儀をして、爽やかな朝がはじまった。

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