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残り火2nd stage 第3章:助けたい6
***
呆然とした千秋と一緒に自宅に戻り、塩水でベタついた肌をシャワーで綺麗に洗い流した。サッパリして居間に戻ると、にこやかに微笑んだ千秋から麦茶を手渡される。
「ん……ありがと」
「仕事に行く準備、しなくて大丈夫ですか?」
麦茶を口にしながら壁掛け時計を確認してみたが、まだ余裕はあった。
「準備があったとしても、そんな顔してる君を放っておくなんてできるわけがない。うずうずしてるだろ?」
さっきのことを詳しく知りたいっていうのが、そわそわした千秋の雰囲気から伝わってきていた。
「でも準備が――」
「俺としては、もっと甘えてほしいな。遠慮せずにワガママも言ってほしい……」
――一緒にいられる時間が限られている、だからこそ……。
細い肩を抱き寄せ、身体をぎゅっとくっつける。そしてその場に座り込み、目の前のテーブルにコップを置いて顔を近づけたら、千秋の右手が俺の口元を押さえた。
「あ……その、えっと」
咄嗟の行動だったのだろう。少しだけ驚いた顔して口元を押さえた手を、ぱっと離す。
「悪い。最初から話をしなければならなかったね」
「穂高さんいいよ、もう終わったことなんだし」
「よくない。あれを見なかったことにしたら、前回の二の舞になってしまうおそれがある。それだけは防ぎたいんだ。今後の俺たちのためにも」
――あのときのように、千秋とすれ違いたくはない。互いのことを考えれば考えるほど、変に気を回しすぎて傷つけ合った過去があるから尚更だ。
「穂高さん……」
「俺としては、いつも通りに葵さんと話をしているだけだったんだが、向こうはそう思っていなかったらしくてね」
話し出すと千秋は俺の肩に頭を乗せ、切なげに瞳を揺らしながら顔を仰ぎ見た。重なり合っている肌から、ほんのりと彼の重さや熱を感じ、傍にいることを改めて実感させられる。俺の幸せの象徴――
今のこの幸せを壊さないために、あの場面を見られていなかったら口を割らなかった。何もなかったことにして、黙っているつもりだった。
本当は話したくない、千秋を傷つけたくはない。だが過ちを犯さないために、思いきって話さなければいけないね。
「葵さんに話しかけられていたのに、俺は千秋のことばかりを考えていたんだ。今頃ヤスヒロと何をしているんだろう、楽しく遊べているんだろうかなんて、とても失礼な態度をとっていた。そんな俺の気を惹こうとしたのか、葵さんに強く名前を呼ばれたんだ。どうしたのかと思って、ぼんやりしながら見上げたら彼女の顔が迫ってきていて、驚いてしまい避けられなかった……」
「あ……」
「……不意打ちを食らったとはいえ、隙を見せた俺が全面的に悪い。済まなかった千秋」
もたれかかっている身体を、両手でぎゅっと抱きしめてあげた。こんなことでは、許されないだろうけど。
「穂高さん、葵さんに何を言われたの? 遠くからだったけど、何か話し合っていたみたいだったから」
腕の中にいる千秋の声――不安そうなのに、どこかしっかりしている声色を耳にしたからこそ、すべてを話す決心ができた。
「時折子どもみたいな表情をする、俺が好きだと言われた」
「それ、俺も思うな。すごく無邪気な顔をするんだよ。普段見ることがあまりないから、すごく貴重な表情なんだ……」
「千秋?」
畳み掛けるように話し出す千秋に腕の力を抜いて、顔をじっと見下ろしてみる。すると視線を合わせるように目線を上げて、ニッコリと微笑みかけてきた。
「子どもみたいな顔した穂高さんを、俺だけのものにしたいなって考えちゃって」
「千秋だけのものだよ、俺は」
「分かってる。でも簡単に、他の人が触れられるじゃないか。今回みたいに」
「それはっ……もう触れられないように気をつけるから」
そう口にした瞬間、それまで笑顔だった千秋の顔が泣きだしそうな表情に変わった。大きな瞳がゆらゆらと揺らめき、誘われている錯覚に陥りそうになる。
感じている千秋の顔と今の顔が重なるせいなのだが、押し倒したりしたら間違いなく嫌われるであろう。
喉を鳴らしてそれをやり過ごし、目を閉じて千秋の顔を見えないようにした。
「穂高さん……」
慈しむような声と共に、千秋のくちびるが重ねられる。何度も啄ばむようなキスが落され、そのもどかしさに勝手に呼吸が乱れてしまった。
「ち、あきっ」
もっと繋がりたくて腰に回してる腕に力を入れながら、千秋の身体をぐっと引き寄せて顔を近づけたら、俺のくちびるにそっと手が添えられる。
またしても拒絶、どうして――?
「俺がほしいの? 穂高さん」
その言葉に目を開き、千秋の顔を想いを込めて見つめた。
「勿論。ダメなのかい?」
「だったら覚えていて。葵さんよりも俺の方が、穂高さんが好きなんだよ」
大きな瞳が心ごと身体ごと、俺をぎゅっと捉える。そんな捉えて離さない視線に射貫かれて、釘付けになった。
「ん……」
はじめの内は俺が苦手だと態度に表しながらも、千秋が流されやすいことを知って、騙すような形ではじまった恋だったのに。
今は誰よりも好きだと言ってくれる、君が傍にいる――。
愛おしいその身体を抱きかかえて、ゆっくりとその場に押し倒した。
「覚えていてください、俺が一番貴方のことが好きなん、っ――!?」
どうにも我慢できなくなり、千秋の言葉と一緒に想いを飲み込むようにキツく口付ける。それに応えるように、俺の首に両腕を回して更に密着してくれた。
「んっ、ぅ……はぁあ、ンン!」
求められるキスに堪らなくなり、貪欲に千秋を追いかけた。
無謀といえる焦らし作戦が功を奏したのか、いつもより激しいそれに応えようとTシャツの裾から手を突っ込み、肌の上をてのひらでゆっくりとなぞっていった。
久しぶりに触れる肌は、しっとりと汗ばんでいて熱くて蕩けそうな感じで、どうにかなってしまいそうだ――。
昂ぶっている下半身を千秋のモノに押し付けると、身体がぴくんと跳ねる。その姿をもっと見たくて、もっと擦りつけてしまった。
互いに布で覆われているけど、それでもすごく感じてしまうね。
「ぁあっ、はぁ、あぁあ……んっ!」
「千秋……千秋、君だけだよ。俺をこうやって、感じさせることができるのは」
そっと耳元で囁き、耳朶を甘咬みしてやる。
「ぁっ、穂高、さ――」
千秋の首筋に、滑るように舌を這わせたときだった。無情にもスマホのアラームが部屋に鳴り響き、仕事に行く時間を知らせる。
眉根を寄せながら顔を上げた俺を見て、千秋がぽつりと口を開いた。
「行かなきゃ、漁に……」
「休みたい」
「何を言ってるの、ダメだよ。行かなきゃ」
「こんなになってる君を放っておいて、呑気に漁になんて行けないな」
Tシャツの襟の隙間に強引に顔を突っ込み、白い肌についてる肩口の痣に、そっとキスを落とした。
俺のだっていう証の痣――。
「やっ……ダメ、だって…穂高さんっ」
「……分かってる、あと少しだけ」
時間がないのは嫌という程に分かっているからこそ、君を少しでもいいから貪りたい。
そう思っているのに千秋は抵抗すべく、俺の肩に両手をかけようとする。それを素早く掴み取り、床に張りつけにして下半身をぎゅっと擦りつけてあげた。
「ああぁ、ぁ……あぁ、んっ……くっ!」
掴んでいる俺の手を握りしめ、切なげに瞳を揺らして甘い声をあげるくちびるに、覆いかぶさるようにキスをする。しっとり舌を絡ませて、名残惜しく思いながら離す。
今日できるキスは、これでお終いだね――。
「行ってくる……。続きは帰ってからしてもいいかい?」
千秋が求めてくれるのなら、1週間手を出さないという約束を大手を振って破ることができるのだが。
「そんな顔で言われたら、嫌って言えませんよ。しょうがないな」
「そんな顔って、どんな顔をしてるんだい?」
肩を竦めてくすくす笑いながら体を起こし、右手を伸ばして千秋を引っ張ってあげた。
「どんな顔って、すっごく恨めしそうな顔をしてます」
「そういう千秋も、相当恨めしそうな顔をしているよ」
本当は恨めしそうな顔より寂しげな表情に見えたのだが、ここはあえて同じということにしておいた。少しでも笑っていてほしかったから。これ以上、寂しくならないように――。
「そんなっ。恨めしくなんてないのに」
若干頬を染めて否定する千秋を横目に、慌てて仕事に行く準備に勤しむ。
手荷物の確認をきちんとしてから玄関に向かい、仕事着である胴長をいそいそ着込んだ。そんな俺の様子をただ黙って見つめる視線に、毎回心がきりきりと痛んでしまって、漁に行きたくない気持ちに拍車がかかってしまう。
「あのね、穂高さん」
「ん……?」
手荷物を肩にかけたとき、恐るおそると言った感じで唐突に話しかけられた。いつもとは違うそれに、自然と緊張してしまった。
「ちょっとだけ屈んでくれる?」
「屈む? これくらいかい?」
膝を少しだけ折りゆっくり屈んで目線を千秋に合わせたら、額にくちびるを押し当て、ちゅっと音のするキスをしてくれた。
突然の出来事にぽかんとした俺の顔を薄っすらと頬を染め、上目遣いで見つめる。
「えっと、ほら……。穂高さんって髪型、真ん中分けにしてるから、いつもオデコが見えてるでしょ。ずっとしたかったんだ、デコちゅー」
「あ……」
初めてされたことにドキドキしつつ、千秋の照れも何気に移ってしまい、頬にじわじわっと熱が集まっていくのが分かった。
「えっと……慌てふためいて、海に落ちたりしないでくださいね。それから――」
照れを誤魔化すように、つらつらと言葉を並べる彼に内心苦笑して、それを遮ってやる。
「ちゃんと千秋のもとに帰ってくる。君を抱きしめなきゃいけないからね」
照れた顔を何だか見られたくなくて、それを隠そうとぎゅっと千秋に抱きついたのちに、身を翻すように家を出た。
「いってらっしゃい! 待ってるから穂高さんっ」
背中にかけられた声のお蔭で、今日も仕事が力いっぱいできそうだ。
ありがとう、千秋――。
キスをされた額に意味なく触れながら、急いで仕事場に向かったのだった。
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