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残り火2nd stage 第3章:助けたい7
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抱きしめた余韻を残し、赤面した穂高さんは足早に立ち去ってしまった。そんな彼を見送って居間に戻り、へなへなと座り込む。
「デコちゅーひとつに、あんな呆けた顔しなくたっていいのに……。どうしてくれるんだよ、もう!」
穂高さんの新たな一面を垣間見て、心臓が鷲掴みされたみたいにバクバクと高鳴ってしまった。もしかして彼にあんなことをした人が、今までいなかったのかもしれないな――俺がはじめてだったら嬉しい。
どちらかといえば、穂高さんがする側って感じだ。
背の高い彼にそれをするには屈んでもらうなり、この間の温泉でしたみたいに、寝こみを襲うなりしなきゃできないものだから。
足元に落ちていたクッションを手に取り、意味なくぎゅうっと抱きしめる。
(そんな小さいことを、大きな幸せに感じられるなんて、今までなら考えられなかったな)
以前なら、穂高さんが傍にいないと不安だった。不安で堪らなくて、さっきだって――葵さんが穂高さんにキスしたところを見て、自分が嫌になってしまうくらいに心が荒んでしまった。
その結果、彼からのキスを手で止める行為にまで発展してしまい、思いっきりキズつけてしまった。それがデコちゅーひとつであっさり解決しちゃうなんて、俺って単純なのかな?
まぶたを閉じると、さっきの光景がぼんやりと映し出される。
『千秋……千秋、君だけだよ。俺を感じさせることができるのは』
切なげな表情と低い声色をはっきりと思い出し、ぶわっと体温が上がってしまった。穂高さんが仕事に行く寂しさで落ち着いたというのに、思い出しただけでこんなになるとか――。
抱きしめていたクッションを、思わずそれに押し付けてしまったのだけれど、穂高さんが我慢して仕事に行ってる以上、俺ひとりだけ気持ちよくなるとか絶対にありえない!
むしろ、我慢しなければならないだろう。穂高さんを思い出さなきゃいいだけの話なんだ。意識を他所に集中させるにはやっぱ、課題を真剣に取り組めばなんとかなるかな。
欲しくて堪らない穂高さんへの気持ちをどこかに押しやるべく、手に持っていたクッションをぽいして、ゆっくり立ち上がったときだった。
居間にある黒電話がけたたましい音を鳴らして、主を呼んでいる状態に、及び腰になってしまう。まるで、目覚まし時計のベルのように鳴りまくる電話。最初はそれをとるとき、すっごく緊張してたんだ。
「……多分、漁協からの連絡網だろうなぁ」
ポツリと呟きながら右手にボールペン、左手に受話器をぎゅっと握りしめ、えいやっと持ち上げて耳に押し当てた。
「もしもし、井上です!」
大きな声で口を開いたら、電話をかけてきた相手が一瞬、息を飲んだのが伝わってきた。妙な緊張感がどことなく漂っていて、俺も無意味に一瞬だけ言葉を飲んでしまった。
「あの……もしもし?」
「あー、すまない。診療所の周防です……」
どこか余所余所しい口調に、首を傾げるしかない。最初に話をしたときと、どこか印象が違うような気がした。
「さ、先ほどはお疲れ様でした。周防先生の息子さんの救命措置がものすごく格好よくって、見惚れてしまって。あの若さで病院を切り盛りしているなんて、凄いですねホント」
電話の向こうから漂ってくる緊張感のせいで、べらべらと自分から話し出してしまった。きっと用があるからかけてくれたんだろうけど、周防先生が喋ってくれる気配がない。
(俺、何か嫌われるようなことをしちゃったのかな?)
「……そんなに言うほど、息子は凄いヤツじゃないさ。医者として、当り前のことをしただけだよ」
「でっでも、康弘くんを助けてくれました。呼吸も心臓も止まっていたのに、すぐに治してくれて」
お医者さんだから、当然なのは分かってる。だけどあんな状況を見たら何もできずに、右往左往するしかない。
「まぁ、処置が早かったお蔭で一命を取り留めたよ。アイツも少しは、医者らしくなったってトコだろうな」
自分の息子なのに、容赦がないんだな周防先生。
「あのぅ、ご用件は?」
息子さんの話で会話に花が咲いてしまったけれど、用事があったからわざわざかけてきてくれたはず……。
「康弘が大丈夫だってことを知らせるのに、電話したんだ。君たちは当事者だし、心配していただろう?」
「はい、わざわざありがとうございます。穂高さんにも伝えておきますね。きっと、すっごく喜ぶだろうなぁ」
その話を聞いたときの穂高さんのリアクションを、頭の中に描いていたら――。
「それと、だな! ……えっと、んー……」
思いきったように大きな声を出したのに、どんどん小声になっていき、果ては言葉を詰まらせる周防先生の様子に、またまた首を傾げるしかない。
「何でしょうか?」
助け船を出すべく、そっと声をかけた。
「……君たち、兄弟じゃないんだって?」
周防先生が告げた言葉に、今度は俺があたふたした。あまりにビックリして、勃ったままだったアレが、みる間に萎んでいくのが分かったくらい。
「え、あの……な、んで」
喉が干上がり、言葉が上手く出てこない。
「井上さんが教えてくれたんだ、恋人なんだって」
その言葉に、くらくらと目眩がした。膝が自然と折れて、その場に座り込んでしまう。
俺が寝込んだときには島中に言いふらすようなスピーカーな人なのに、穂高さんはどうして恋人だってバラしたんだろうか?
「あ……」
そういえば周防先生の息子さん、挨拶しに島に来たとか言ってた――そのことをまじえて今後の話をしようって言ってたのに、葵さんのことがあったから、後回しになっちゃってた。
しかも周防先生が余所よそしい態度をとる原因が分かった瞬間、自分が酷く動揺していることに、改めて驚かされてしまった感じだ。
穂高さんがここにいられなくなるということと同時に、自分が奇異な目で見られることの恐怖感とかいろいろ……。
「…………」
「…………」
お互い無言を貫き通すこと、数秒間がとても長く感じた。できることなら、今直ぐにでも電話を切ってしまいたいくらいだった。
「済まない。何か今日はいろいろあり過ぎて、上手く言葉が出てこなくってな」
「いえ……、おかまいなく……」
――言葉が出ないのは、俺も同じだ。だけど俺以上に周防先生の方がショッキングな出来事が起こりまくって、頭がパンクしているのかもしれない。
「千秋くん単刀直入に聞くが、君のご両親は知っているのか? 井上さんとの付き合いを……」
更に自分が困惑するであろう質問を投げかけられ、受話器を握りしめたまま俯くしかない。
「それは……っ、知りません……」
「そうか、そうだろうな……。言えなくて当然のことだと思う。きっとそれを知ってしまったら、今の俺と同じ気持ちになるだろうさ」
吐き捨てるように告げた言葉が耳に染み込む様に入ってきて、痛いくらいに胸が絞られた。
「息子が……武が男と付き合ってると言ってきて、堂々としてる姿だけでも頭が痛いっていうのに、いきなり肉体関係がどうこう言われても、なぁ……」
「うぅっ――!?」
吹き出しかけた口元を、空いた手で慌てて押さえる。
ちょっ、待って! 親にいきなり言うにしても、それを口にできる周防さんがある意味凄いとしか言いようがない。俺は絶対に無理、穂高さんに任せちゃうかも――。
「千秋くん、君はこのまま井上さんと付き合っていくのか? 親に何も言わないまま」
「それは、ないです。いずれ話すことになると思います」
本当はこの夏休みも帰って来いと言われたけれど、友達のバイトを手伝う関係で無理だからと断って、ここに来ている。
ウソをこのまま、継続していくワケにはいかない。穂高さんを介して、俺の口からもちゃんと親に説明しなければならない日が、いつか来るだろう。
「反対されることが目に見えていても、言うつもりなのか?」
「はい……。やっぱりそのまま付き合っていくのは、無理だと思いますので」
「自分の子どもが、そんな趣味に走るとは思っていなかったから。君のご両親もそうだろうけど、諸手を挙げて賛成することはできない」
たどたどしく告げたら、電話の向こう側でフーッと大きなため息をつき、困惑した感じの声で周防先生が自分の意見を言った。
「だがな」
「はい?」
「相手のいる話だし、その……すべてを反対ってワケでもないんだがな。将来苦労するのが分かることだけに、複雑なんだよ。息子を案じない親はいないんだから」
絞り出すように告げられた言葉は、きっと俺の親の意見と一緒なのかもしれない。
「井上さんが言ってたよ。好きな人と一緒にいられないくらいなら、死んだ方がマシですけどねって。笑いながら告げてくれたんだが、目がやけに真剣みを帯びていて……。その姿が、武と重なってしまってな。同じような台詞を、アイツも言いそうな気がしたんだ」
「そう、ですか?」
「ああ、何となくだけど。それを聞いて思わず、井上さんの頭を振りかぶって叩いてしまって。医者の俺の前で死ぬなんて言葉を出した時点で、殴打決定だったんだがな。アハハ……」
言葉数少なくなった俺に気を遣うように、笑い出す周防先生に何て声をかけていいのか分からない上に、一緒に笑うことすらできない精神状態が、自分に追い討ちをかけるように気持ちが沈んでいった。
「――今は穂高さんのことを追いかけるだけで、いっぱいいっぱいで正直、これから先のことや親まで気が回らないのですが……」
周防先生の息子さん同様に穂高さんはカッコよくて、今も昔もずっとハラハラさせられっぱなしで、自分にはまったく余裕がない。この先、俺の気持ちはきっと変わらずに維持していくんだと、容易に想像がつく。
だって穂高さんは、カッコよく年をとっていくだろうから。漁師として一人前になった穂高さんに、たくさんの人が魅了されるだろうな。
俯かせていた顔を上げてゆっくりと立ち上がり、掴んでいた受話器を握り直した。自分の想いを込めるかのように。
「穂高さんと一緒じゃなきゃ、俺は幸せになれないと思うんです。彼を支えながら隣で笑っていたいと願っているから、えっと……親に反対されても、簡単には諦めることができないです」
「そうか……。いばらの道を、ふたりなら乗り越えていけるという風に考えているのか?」
「俺ひとりなら無理だけど彼が傍にいるなら大丈夫だって、変な確信があるんです」
「何だかな、その言葉。目の前にいるコイツも、同じことを言いそうな気がしてならんわ」
呆れるような感じで言ってるのにどこか嬉しげに聞こえたのは、気のせいなんかじゃない。
こんな俺の言葉で周防先生を納得させたとは考えられないけど、少しでも理解して欲しかった。
周防さんや王領寺くんと重なる想いが、ここにあるから。穂高さんと同じく、彼らを助けたいと切に願ったから尚更――。
「井上さんや君の考えを聞いたら素直に応援したくなるのに、それが自分の息子となると、どうにもお手上げ状態なんだ。武の相手がもっとしっかりしたヤツなら、話は別だったのかもしれんがな」
「王領寺くん、素直でいいコだと思いますけど」
怒る周防さんの言うことを、しっかり聞いて頑張っていたし。
「はっ! 素直すぎて吐き気がするがな。武の身体は言葉で表現できないくらい、そりゃあもう気持ちイイそうだから」
「あ、え……っと。そう、なんですか……」
王領寺くんが周防さんを抱いているのが分かったけれど(逆かと思った)それにしてもその大胆発言を、お父さんにしちゃうのはどうかと思う。何で、そんな話になったんだろう?
フォローしてあげたいのに、上手い言葉が見つからないよ。助けて穂高さん。
「まあ、自分の息子のことを含めて君たちの関係は誰にも言わないから、安心してくれ。何かあったら、相談にのってあげるから」
「周防先生……。ありがとうございます」
「明日、武がこっちに帰って来るそうだ。ふたりの話を嫌々聞かなきゃならないと思ったら、今から胃が痛くてね」
(――そっか、ちゃんと説明しに戻ってくるんだ周防さん)
「いっそのこと、井上さん家に避難しようか考えているんだがね」
「周防先生の抱える、複雑なお気持ちも分ります。だけどふたり揃って挨拶する勇気を、まずは考えてあげてください。反対したいかもしれないけど、まずは話だけでも聞いてあげてください!」
「済まないね、愚痴っぽい話をしてしまって。つい、君の優しさに甘えてしまっていたようだ」
おかしいな。俺、何もしていないのに?
「千秋くんと喋っていると何ていうか、一生懸命な感じが伝わってきてね。縋りつきたくなってしまって……。俺自身、パニックになってるから」
「いえいえ。俺の方こそ応援するって言ってもらえて、すっごく嬉しかったです」
「……ぁあ、夕飯だって呼ばれた。それじゃあそういうことで、何かあったら宜しく頼むよ。それじゃあ」
俺が声を出す前に、プツッと電話が切られてしまった。肩を落として、ゆっくりと受話器を元に戻す。
一気に緊張から解き放たれて、はーっと大きなため息をつき、再びクッションを抱きしめた。
いつか穂高さんと一緒に自分の親に、真実を言わなくちゃいけないときが来る。たとえ反対されて縁を切られたとしても、答えはすでに決まっていた。
この島に大好きな穂高さんを追いかけた時点で、しっかり決意は固まっているから――。
「だけど緊張感はどうしても、隠しきれないよなぁ。王領寺くん、今頃ひとりであのお父さんと一緒に顔つき合わせてご飯食べてると思ったら、傍に行って応援したくなっちゃうな」
でも彼の素直さは、お父さんも分かっているはずなんだ。それに絆されて案外仲良くなっちゃって、周防さんが戻ったときにお父さんにヤキモチ妬いたりして。
「上手くいくといいな……」
持っていたクッションをぎゅっと抱きしめてからゆっくり立ち上がり、台所に目をやった。
周防さんたちのことも心配だけど、自分の心配もしなきゃならない。明日穂高さんが帰ってきたら、まずは一緒にシャワーを浴びてそれから――。
明日行われるであろう行動をアレコレ考えて、晩ご飯と一緒に朝ご飯も作ろうと考えついた。朝ご飯――いやブランチになるのかな?
「とにかく穂高さんがお腹が空いて動けなくなる前に、簡単に摘んで食べられるものを作ってみよう」
ひとり暮らしでは味わえない、ありきたりかもしれないけれど、誰かのために何かを作るっていいなって、はじめて思えた。レパートリーが少ないのが、唯一の難点だけどね。
クッションを床の上に置き、その上にばふんと座って、テーブルに置いてあったスマホで作れそうなものを検索する。
こうして、俺だけの充実した夜が更けていったのだった。
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