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残り火2nd stage 第4章:あいさつ

 翌朝、漁協でいつものようにバイトに励んでいると、周りの人に挨拶しながら小走りで穂高さんがやって来た。 「ああ、井上さんが戻ってきたね。あがっていいよ、ちーちゃん」 「はい、お先に失礼しま――うわぁっ!?」  言い終えない内に右手首をぐいっと引っ張り、俺を引きずるように歩き出す。 (おいおい、みんなの前でこんな風に強引さを見せつけていたら、ツッコミが入るかも――) 「おやおや、散歩に行くのがイヤな犬に見えるがね。何をそんなに慌てておるのやら?」  引っ張られる俺がそう見えたんだろう、ナイスなツッコミをしてくれたおばちゃんに苦笑いを浮かべるしかない。 「おーい、いのうえぇ! おめぇ船の中に荷物忘れて、置いてってるぞ」  倉庫の入り口で穂高さん愛用のカバンを掲げながら、大きな声を出した船長さんの前に歩みを進めた。 「船長済みません、うっかりしていて」 「おめぇのうっかりは、いつものことだけどよ。何でそんな、切羽詰った顔してるんだ?」  言いながらカバンを手渡し、しげしげと俺たちを見る。 「切羽詰りますよ、そりゃあ、もう、ね?」  艶っぽい笑みを口元に湛えながら、流し目で俺を意味深に見つめた穂高さんに、何と言っていいのやら。 「あのっおはようございます! これから穂高さんと今後のことについて、念入りに話し合おうと気合が入っているところだったんです、はい」  俺の言葉にぷっと吹き出す穂高さんと、不思議顔した船長さん。 「話し合いって、朝からそりゃ大変なこった。兄弟喧嘩するんじゃねぇぞ」 「大丈夫ですよ。俺の千秋は物分りがいいから、喧嘩になる前に仲直りできますし。たっぷりと気合を入れて、たくさん可愛がって――」 「そそそ、そういうことなので、お先に失礼します! さようなら!」  余計な言葉を口走りそうになる穂高さんをぐいっと引っ張って、逃げるように漁協を後にした。俺の千秋発言、どうしたら言わなくなるかなぁ。 「気合が入ってるね、千秋」  いつもは冷たいのに、引っ張ってる穂高さんの手が熱い――それだけで、どうにかなっちゃいそうなんだけど……。 「べ、別にそこまで、気合が入ってるわけじゃないですって」  船長さんに穂高さんの発言が不振に思われないようにしようと、自分なりに必死だっただけなんだ。 「気合って言葉、いいなって思った」 「はぁ、そうですか?」  倉庫から距離が離れたので安心して穂高さんの隣に並ぶと、握りしめてる手を恋人繋ぎされてしまった。何気ないその行動に、自然とドキドキが高鳴っていく。 「気合って、気が合うって書くだろ。それって、俺の気と千秋の気が合わさることかなって考えたんだ。ふたりの気が混ざり合ったら、何が生まれるだろうね?」  たまに投げつけられる不思議な穂高さんの言葉は、答えるのに苦労するものが多々あれど、今回の気合については、胸の奥がじんとしてしまった。  気合――頑張ったりするんじゃなく、気を合わせるなんて無理していない感じが、俺たちらしいかもしれない。 「……ベタかもしれないけど、愛が生まれたら嬉しい、かな」  上目遣いで穂高さんの顔を見たら、それはそれは嬉しそうな表情を滲ませた。 「俺も同じことを考えてた。これぞ気合だね、千秋」  珍しく意見が一致して、穂高さんに合わせるように微笑みを返したら――。 「それはそうと、昨日俺が仕事に行ったあとでヌいたのかい?」  油断しているところに落される、爆弾発言的な質問! 「ぁや……っ、その、ヌいてませんよ。穂高さんが仕事で頑張ってるのに、ひとりでそんなのはできないっていうか」 「そうか、偉いな千秋は。それじゃあプランAでいくか――」 「プランAって何ですか? はじめて聞きますけど」 「ん~? 口頭で言ってもいいのかい? 折角のお楽しみが減ってしまうが」  イケメンすぎる顔をにゅっと寄せつつ耳元で喋ってきたけれど、わざわざ吐息をかけながら言うことないのに!  あまりのくすぐったさに空いてる手で、片耳を押さえてやった。プランAということは、BやCがあるに違いない――卑猥なプランなんだろうな、きっと。  眉根を寄せながらじと目で穂高さんを見上げたのに、そんなの気にしないといった感じで、くすくす笑い出す。 「そんなに可愛い顔をしてると、もれなくオプションまで付けてしまうかもね。どうする?」 「いりませんよ、そんなの。いつもので十分ですから」  顔を背けて言い放つと恋人繋ぎを振り解き、その手で腰を抱き寄せられてしまったので、ジタバタ慌てふためいた。 「わっ!!」 「いつものって、いつのことだろうか? しばらくご無沙汰しているから、思い出せなくてね。そこのところ、是非とも詳しく教えてもらいたいな千秋」  ――厄介な確信犯め。そんなの、口にするはずないのに。  顔の傍にあるイジワルなイケメンに向かって、あっかんベーッと舌を出してやったら、喜々として出した舌を食んできた。 「んわっ!?」 「いちいち俺を煽ってくるね、君は。可愛くて仕方ない、困ってしまうな」  その言葉、そのままお返ししますよ。脱帽するしかない。 「外でこういう目立つ行為は控えなきゃ。もう!」  注意するだけ、無駄なのは分かってるんだけども。あ――! 「穂高さん、昨日周防先生から電話があったんだよ。康弘くん、大丈夫だって」  不意に思い出したことを告げたら腰に回していた腕を緩め、再び手を繋いでくれた。 「そうか、良かった。これで心置きなく千秋に手が出せる。急ごうか」  言うや否や走り出すとか。穂高さんの足が速すぎて、俺の足が絡まる、絡まるって! 「ごめっ、あのっ、はやすぎ、てっ、足がぁっ、む……無理っ」  ( ̄ー ̄〃)ノヽ(・_・、))))))))  「しょうがないな、ほら」  ぜぇぜぇしてる俺の前に背中を向けて、颯爽と跪いた。これって、俺を背負って走る気なんだ。 「あのね穂高さん、どうして周防先生に俺たちの関係をバラしちゃったの?」  俺の言葉に顔だけで振り返り、じっと仰ぎ見る視線。それは早く乗ってくれと言ってる感じなんだけど、バラした理由がどうしても知りたかった。 「バラしたというよりも、ポロッと出てしまった感じかな。周防先生と王領寺くんの微妙な関係見ていたら、つい」 「ついって……。だって周防先生、スピーカーじゃないか。俺の病気のことを、島中に言いふらした人なのに」  呆れながら言うと、じりじり動いて体ごと俺に対峙する。 「千秋、俺が寝込んだときもあの人、同じことをしたんだ。後からプライバシーの侵害じゃないかって抗議しに行ったら、予防医学の一環だって言われてしまってね」 「予防医学?」 「ん……。島で病人が出たら、感染しないように注意を促して、予防につとめることらしい。実際病気以外については、噂話すらしない人だよ」  そうだったんだ――。 「穂高さん、周防先生に言われたよ。俺たちのことを応援するって」  ニコニコしている穂高さんに告げたら、いきなり表情を固くして顎に右手を当て、何かを考える仕草をした。やがて――。 「ね、千秋。応援ついでに、考えてもらえないだろうか。イタリアにいる父さんに逢うこと」  言いながら右膝だけを地面につけ、左手をそっと俺に差し出す。見上げられる眼差しは、さっきまできわどい言葉を使っていた人とは思えないものだった。 「イタリアにいるお父さんに、俺が……?」 「ん。夏休みがとれそうだから島に遊びに行きたいと、昨日連絡が着てね。千秋がここにいるのを知ってるし、俺がゲイだっていうのも知ってる」 (――どうしよう。いきなり言われても、心の準備が追いつかない) 「千秋が逢うと言うなら、イタリアからやって来てくれるってさ。どうする?」 「……反対しに来るのかな?」  ぽつりと呟いた俺の言葉に柔らかい笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振った。 「一生かけて愛しぬくと決めた君を、胸を張って父さんに紹介したい。ダメだろうか?」 「穂高さん……」  困り果てる俺の顔をじぃっと見上げながら、差し出した左手を掴めと言わんばかりに更に伸ばした。 「……俺、こんなんだけど大丈夫かな。実際に逢ったら、反対されるかもしれないよ?」  穂高さんと比べて、すっごく見劣りする自分――どうにも自信がなくて、差し出してくれた手をなかなか掴むことができなかった。 「たとえ反対されたなら、千秋に迫ったようにしつこく何度でも頭を下げて許しをもらってあげる。絶対に認めさせるから」  胸の奥底からこみ上げてくる熱い何かが、ふつふつと沸き起こってきて。やがて涙になって流れ落ちていく。 「っ……今も昔も、うっ、穂高さんにおんぶにだっこ状態で……ひっ……ごめっ」 「謝る前に、きちんと考えてほしい。これは無理強いできない問題だからね。どうするんだい?」  心の中に染み渡るような柔らかい声色で訊ねられた言葉を、拒否できる人がいるなら見てみたい。  涙を拭いながらしゃっくりを必死に堪え、穂高さんの左手に自分の右手を重ねた。 「俺、逢う……。逢って、うっ……ほらかさんをくら…っ、くださいって、お父さんにいっ……言うから!」 「千秋――っ」  重ねた手を、ぎゅっと力強く握りしめる。見上げた瞳がうるっとしていくのを下唇を噛みしめて、見つめることしかできない。他にも言いたいことがたくさんあるのに、涙が溢れてしまって言葉が出てこない――。  掴まれた手を握り返すべく、ぎゅっと力を入れながら穂高さんを引っ張りあげて、体を抱きしめた。 「千秋、俺をもらってくれるのかい?」  鼻をグズグズさせながら、俺の体に両腕を回して強く抱きしめ返す。 「もらうつもり、です……」 「返品はきかないよ、勿論クーリングオフもなしだからね」 「多分、大丈夫」  俺なりに一生懸命答えたのに、多分って一体……なぁんて文句をブツブツ言いつつも、髪にちゅっとキスを落とした。 「何だかんだ言っても、もらってくれると言ってくれた千秋には、もれなくサービスしなきゃいけないね」  いい終わらない内に、ひょいと俺の体を軽々と横抱きした。慌てて首にしがみつかせてもらう。 「んもぅ、いきなり強引なことをするんだから」  こんなに強引でワガママな人はきっと、誰ももらってくれないはず。だと思いたい。 「そういうところもひっくるめて、俺が好きなクセに」  満面の笑みを浮かべたまま、やすやすと走ってくれる穂高さんにしがみつきながら、同じような笑みを口元に浮かべたのだった。

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