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Final Stage 第2章:必要のない思い遣り6

***  毎日電話をかけていたからこそ、確実に千秋が捕まる時間が分かる。右手に持っているスマホを、じっと見つめた。  電話をかけた履歴から、午前10時半からの15分間がちょうどいいタイミングと睨んだ。  あのあとぼんやりしたまま、まんじりとしない朝を迎えてしまった。寝ていないせいで体が重いクセに、頭だけは妙に冴え渡っていた。 (いつもなら何も考えなくても、すんなりと言葉が出てくるのに第一声、何を言えばいいのか……。千秋が困ることをしたくはないのにな。だけど、聞かずにはいられない)  今現在、竜馬という男とどうなっているのか。1ヶ月も経っているのに、断ることができていないのなら俺がそっちに行って、手を出すなと警告しなければならないだろう。  目の前に美味しそうなニンジンが無防備にぶら下がったままでいたら、手を出さないワケがないんだ。しかも俺の千秋は、可愛いのだから――。  あの顔でイヤだと言われたら、自動的にイヤがることを率先したくてたまらなくなるという、黒い自分が現れてしまう。俺と同じように執念深くてしつこい男なら、同類の趣味をしている可能性が高い――。  それゆえに千秋が明らかな嫌悪感を示さない限り、ずっと追い続けてしまうだろう。  俺が千秋を落したように、あの男も時間をかけて口説き落とそうとしているに違いない。簡単に渡して堪るか。  千秋と一緒に過ごした時間が、とても濃密だった。そしてふたりで、いろんなことを乗り越えてきた。だからこそ離れていても、強い繋がりができてると思っている。だが――。 「そう思っているのは、俺だけなのだろうか?」  そんな自問自答を繰り返している内に、待っていた時間となった。  スマホを持っている手が、微かに震える。そのせいで上手く操作ができないなんて、情けないにも程がある。 (必要の無い思い遣りなんて、しなくていいのに。千秋――)  無駄な体の力を抜くべく、はーっと深い溜息をついてからリダイヤルした。耳にスマホを当てた途端に、もしもしという可愛い声が聞こえてくる。 「千秋、おはよう」 「あ、おはようございます……」 「今、大丈夫かい?」 「はい。次の講義が休講になっちゃって、どうしようかなぁと思っていたところで」  ――ということは、時間はたっぷりあるんだな。 「ね、昨日はあの後、グッスリと眠れたかい? 昨日じゃないか、そういえば」  少しだけ緊張感に満ちた声色の千秋を和ませるために、わざと夜中のことに触れてやる。恥ずかしがり屋の君は今頃、頬を赤く染めながら困った顔をしているだろう。 「あ、その、えっと……眠れましたよ、しっかり。目覚ましの前にいつも目が覚めるのに、今日に至っては目覚ましが鳴っているのも気がつかなくて、危うく遅刻しかけちゃいました」 「そうか。それは珍しいね。疲れるコト、させたつもりはなかったんだが」 「つ、疲れはきっと、1ヶ月以上バイトを休んでいる間に、新しいシステムとかプロモが展開されたりして、覚えることが一気に増えたせいで、疲れが溜まってしまったのかなぁって」  あたふたする千秋に、声がかけられずにいた。  無理な理由を作って、誤魔化しているように感じてしまったから。竜馬という男に告白されたことを知らなければ、いつものように労いの言葉をかけていたに違いない。 「千秋……」 「はい?」  君が抱えてる大きな荷物、今直ぐに俺が降ろしてあげる――。 「島から帰った直後の1ヶ月前の出来事を、俺に教えてくれないか?」 「えっ!?」 「義兄さんから、おおよその事情は聞いている。詳しいことを知りたいんだ、君の口から」 「……穂高さん」  震えるような声色で、俺の名を呼ぶ千秋。 「怒ってるワケでも、責めるつもりもない。ずっと隠し通さなければならなかった理由が君にあったから、俺にずっと黙っていたんだろう? 辛かっただろうに」 「それは……あの、ゴメンなさい」 「千秋、そんな風に謝る必要はない。事情を話してくれるだけでいいんだよ。包み隠さずに、ね」  萎縮しているであろう千秋を説得すべく、優しく語りかけてみた。 「あの男に何て言われて、告白されたんだい?」 「ぅ……好きです、アキさんって言われました」 「その後キスされそうになって、義兄さんに助けてもらったんだっけ?」 「そうです。友達に好きだなんて言われるとは思ってなかったから、ビックリしちゃって、動けなかったというか」  困惑を滲ませた言葉が、俺の胸に突き刺さっていく。義兄さんに告げられたときよりも、ショックが深くて辛い。 「それでも嬉しかっただろ。思ってもいなかった告白に」 「そんな……。嬉しいよりもすごく困ってしまったんです。だけどここはしっかり断って、彼に諦めてもらわなきゃいけないと思ったから、次の日すぐに言いましたよ。「竜馬くんの気持ちは嬉しいけど、応えられない」ってハッキリと断ったんです。それなのに穂高さんを好きなをアキさんを、ずっと好きでいるって言われてしまって」  俺を好きな千秋をずっと好きでいる、か――相手に好きなヤツがいても構わないくらい、惹かれて止まないんだろうな。 「ね、その男のしつこさと俺のしつこさ、どっちが上だろうか?」 「はい?」 「だって俺のしつこさに陥落して千秋は今現在、付き合ってるワケだろう。1ヶ月も経っているのに断りきれていないのは、しつこく迫られているからだろうし。気になるんだよ」 「そんなの比べられないよ……。しかも穂高さんtてば責めないって言った傍から、チクチク俺を責めてる」  言い終えた後、ズルズルと鼻をすする音が聞こえてきた。 「そんなつもり、なかったんだが。……済まない。俺自身も混乱していてね。千秋のことで不安定になって、船長に叱られてる自分は頼りないから相談されなかったんだろうか、なんて考えたりして」 「違うよ! そんなんじゃなく……。本当はもっと早く解決すると思っていたのに。穂高さんと違ってモテない俺が告白なんていうのを断らなきゃいけない、慣れないことをするのがしんどいっていうか」 「ふっ、千秋。俺のこと、チクチク責めてる? そんなに断り慣れてるワケじゃないんだが」 「断り慣れてるワケじゃなければ、来る者拒まずなんですね。酷い男だなぁ」  言いながらクスクス笑ってくれる。お陰で妙な緊張感が和らいでしまった。 「そうだね、その通りだ。酷い男だよな、俺は。千秋が傍にいてほしいときがあっても困ったことがあっても、こんなに遠く離れた場所にいるし、何もしてやれないんだから」 「だけど離れているからこそ、伝わってくる優しさみたいなものを感じられますよ。だから俺……っ、言えなくて」 「千秋……分かってる。君の優しさも十分に伝わっているから、泣かないでくれ」  君の流す涙を、拭ってあげられないのだから――。 「ほらか、さんっ……ゴメンなさぃ、嬉しくて、涙が……とまらな――」  ついには、しゃっくりをあげる千秋に、どうすることもできない。この状態では声をかけにくいな、参った……。  顎に手を当てて、考えていたときだった。  『アキさんっ』  遠くの方からだろうか。男の声が、いきなり漏れ聞こえてきた。 「あ……」  それに呼応するかのような千秋。明らかに困った雰囲気が伝わってきた。 『何で泣いて……。とにかくこれ、使って』  今度はハッキリと聞こえてきた声に、眉根を寄せるしかない。もしかして大学構内だから、竜馬という男が千秋を見つけたのかもしれない。 「ゴメンね、竜馬くん。今、込み入った話をしているから、あっちに行っててくれないかな?」 『そんな辛そうな顔したアキさんを放っておくなんて、俺にはできないって』  俺だって、好きで放置しているワケではない。この場所にいる自分の身が、口惜しいくらいだ。 「この話に関係ない君は、ただの友達なんだよ。それ以上の気持ちを押しつけられても迷惑なんだって、ずっと言ってるじゃないか!」  半泣きながらも、怒った口調で言い放つ千秋。好きな相手に言われるからこそ、傷つくと思うが――。 『……だって好きなんだ。大好きなアキさんが泣いてるのを、無視なんてできないよ』  次の瞬間、ガサガサッという大きな雑音が聞こえてきて、嫌な予感が胸の中を駆け巡った。 「ちょっ、やめてって!」 「千秋っ!! 千秋、大丈夫か!?」  その場に立ち上がってもどうすることもできないが、いても立ってもいられない。  その後も必死になって呼びかけてみたが、応答すらなかった。怒りや心配で気が狂いそうになっている、俺の耳に聞こえてきたのは――。 『辛そうにしてる君を、ただ慰めたいだけなんだ』  掠れた声で言い放った、男の一言だった。  慰める必要なんて、どこにもないというのに。嬉し涙をただ流していただけなのに、勘違いして……。 「千秋、千秋っ、返事をしてくれ。頼むから……」  離れてから、こんなにも不安になったことはない。見えない状況の中、あっち側から聞こえてくる音だけが頼りで、しかも明らかに危険だと分かっているのに、助ける手すら伸ばすことができないなんて――。 「もっ、イヤだって言ってるのにっ」  ばちんっ!!  悔しさで下唇を噛みしめた瞬間、千秋の声と一緒に大きな音が炸裂した。  ものすごく痛そうな音に、思わず肩を竦めてしまった。どうやら千秋が反撃したらしい。 『アキさん……』 「竜馬くん何度も言ってるけど、これ以上君の想いをぶつけられても、すっごく迷惑なんだ。報われない恋をするよりも、もっと周りに目を向けたら、いい人がいるか――」  千秋自身は拒絶をしているつもりだろうが、心根が優しいから徹底的な拒絶になっていない。多分これが、長引く原因となっているんだろう。 『いないよ、そんなのっ!! アキさん以上にいい人なんて、いるワケないじゃないか』 「竜馬くん……」 『どう足掻いたって、報われないの分かってる。だけど好きだっていう気持ちを、簡単に捨てることなんてできないって』  その気持ちは、痛いくらいに分かりすぎる――俺だってそうだった。  千秋を好きになり、毎日コンビニに通って顔を覚えてもらうのに必死になった。接点を持つべく、くだらない話題を振って話しかけて騙した形で車に乗せて――。  簡単に諦められたら、こんなに手の込んだことをせずに済む話だ。 「千秋、彼と話しがしたい。代わってくれないか?」 「えっ!? 穂高さん?」 「頼む……」  顔をつき合わせない電話での話し合いにおいて、いかに相手にプレッシャーを与えられるか。声の抑揚だけが鍵となる。 「竜馬くんと話がしたいって……。出てくれないかな?」  千秋の声の数秒の間の後に、控えめな声でもしもしと話しかけられた。 「もしもし、初めましてではないが挨拶をしておくよ。井上穂高だ」 『はっ、畑中竜馬です。あの……』 「聞きたいことがある、答えてくれないか畑中君。大学の夏休み前、千秋と一緒に歩いている姿を目撃しているんだが、そのときは、まだ意識していなかっただろう?」  千秋を迎えに行ったあの日の夜、仲良く並んで歩いてる感じから、友達以上の気持ちは見られなかったと感じた。だが俺自身、並んで歩いてる時点でかなり嫉妬してしまったので、正常な判断ができていない恐れがある。 『夏休み前は、そうですね、友達以上の感情は抱いていなかったと思います。アキさんを意識しだのは、ずっと逢えない日が続いて寂しいなって考えたとき、あれってなって』  いつも傍にいた千秋がいないことによって、その大切さを思い知り、突き詰めた結果がコレか――。 『一緒に働いてる友人に執着してるって突っ込まれて、自分にとってアキさんが特別な存在だって分かったんです。だから』 「だから。何だい?」  余分な受け答えをさせないように、次々と質問をしてやった。 『えー……その、俺はっ! 俺は……アキさんが好きなんです』 「だから寄こせと、俺に強請っているのだろうか?」 『そんなんじゃないです。だってアキさんには、もう……井上さんがいるんですから。強請るなんてしません』 「じゃあ、奪おうとしているんだね?」 『うば……ぅ?』 「だってそうだろう。告白してから千秋にずっと付きまとって、好きだの愛してるだの言い続けて、俺が傍にいないのをいいことに、略奪しようとしているじゃないか」 『略奪なんて、そんな――』 「そんなんじゃないと言っているが君は一度、千秋に手を出そうとした事実があるじゃないか? あれについては、どう説明するつもりだい?」  追い詰めていくような質問ばかりで、相当困惑しているだろう。 『あれは……あのときはアキさんに、恋人がいないと思ったから』 「恋人がいなければ自分の気持ちを押しつけて、好き勝手に行動していいのだろうか?」  自分が同じことをしたのを隠しつつ(若干、胸が痛んでいる)容赦なく、更に追い込んでみる。声の調子から相当慌てふためいているのが、ありありと分かった。  なのにどこか俺自身の不安を拭うことができないのは、どうしてだろう――。 『確かにアキさんにとって俺の想いや行動は、迷惑にしかならないものです。それは認めます、本人にも言われちゃってるし。でも――』  一旦言葉を切り、ふーっという呼吸音が聞こえてきた。むこう側の雰囲気からイヤな予感がしたので話しかけようとした矢先、俺の声に被さる様に口火を切られる。 『でも俺は、諦めません! 絶対にです!!』 「なっ!?」 『さっき略奪しようとしてるって言われたときは否定しちゃったけど、やっぱ訂正します。遠距離恋愛して寂しそうにしてる、アキさんを奪ってみせますから』 「…………」 『俺のモノにしてみせます』  まるで、己自身を見ているような錯覚に陥った。  迷いなく真っすぐに突っ込んでいくところが、ソックリとしか言いようがない。しかも千秋に交際を迫ったときに言い放った言葉「俺のモノにしてみせる」と、同じ言葉を言うなんて。傍で聞いてる千秋は、それをどう思っただろうか? 「ふっ、そんなことを言ったところで、千秋は君のモノにならない。なぜなら俺たちは、深く愛し合っているからね。距離なんて関係ないんだよ」 『そう言えるのは、寂しそうにしてるアキさんの顔を見ていないからだ。さっきだって、泣かしていたじゃないか』  確かに寂しい思いをさせているのは認めるが、泣かせたことについて釈明せねばなるまい。 「違うんだ! さっき泣いたのは穂高さんがかけてくれた言葉が嬉しくて、泣いちゃっただけなんだよ竜馬くん。誤解だから……」  俺が弁解する前に、どことなく照れを含んだ感じで喋りだし、畑中君の責めから守ってくれた千秋。横恋慕してくる相手とやり合ってる最中なのに、ナイスな気遣いに思わず笑みが零れてしまった。  その想いに応えるべく、アクセントをつけて言い放ってやる。 「離れていても、俺たちの心は繋がってる。揺るぐことのないくらいに強く、ね」 『だけど、人の心は移ろいやすいから。心変わりさせるキッカケを作って、アキさんを奪ってみせます』  最初に会話したときとは違う、強気の発言をした後、プツッと電話を切られてしまった。  いきなりのことに対処ができずに呆然としてしまったのだが、すぐさまふつふつと不安が募った。  あんな発言をした後だからこそ、今まさに千秋に迫っている可能性が高い――俺がヤツの立場なら、間違いなく絶好のチャンスを逃すまいと口説いているところだ。 「そうはさせない!」  手早くタップして千秋にコールしたのに、無情にも無機質なアナウンスが流れはじめる。 『おかけになった電話をお呼び出しいたしましたが、お繋ぎできませんでした』 (しまった、電源を切られてしまったのか――代わってくれなんて言うんじゃなかった……)  スマホの画面を見つめたまま佇むことしかできず、千秋の身の安全を祈らずにはいられなかった。

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