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Final Stage 第3章:困難な日々2
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その日、いつものようにバイトに勤しみ、何ごともなく終えることができた。竜馬くんと一緒に仕事をしないだけなのに、ビックリするくらい疲れがなくて――。
「それだけ彼の存在が俺にとって、ストレスになっていたんだな」
ぼそっと独り言を言いながらロッカーを閉め、軽い足取りで店の外に出た。体を包み込む冷たい空気も、全然平気――穂高さんもこの時間、海の上で頑張っているんだよなと口元に笑みを湛えたときだった。
「お疲れ様、アキさん」
音もなく突如現れた竜馬くんに、絶句するしかない。この状況って俺が穂高さんに迫られたときと、まったく同じじゃないか。
「な、んで?」
反応しちゃダメだって穂高さんに言われてたけど、待ち伏せされるなんて思ってもいなかったから、つい声をかけてしまった。
「何でって、それは俺が言いたいよ。いきなりシフトを変えちゃうんだもんな。大学だって逢うのはマレなのに、ここでも逢えないとなったら、アキさんの帰りを狙うしかないじゃないか」
帰りを狙うって、そんな――。
「ハハッ、すっごく驚いた顔してる。それに安心して。夜道で襲ったりしないから」
「と、当然だよ、そんなの……」
今更だけど動揺しまくりの顔を見られないように顔を背けつつ、足早に歩き出した俺の隣にピッタリと並んで歩く竜馬くん。
――思い出しちゃう。穂高さんと正式に付き合う前に、一緒に帰っていたのを。やってることがまったくと言ってもいいくらいに同じで、頭を抱えるレベルだった。
「俺ね、アキさんが大学構内の階段下で電話してるの、偶然聞いちゃったんだ」
「!!」
竜馬くんの言葉に一瞬声が出そうになり、慌ててくぅっと飲み込んだ。
(――何であそこにいるのが、バレたんだろ?)
不思議に思って隣にいる彼のことを、恐るおそる見つめた。
「『愛してる、穂高さん』って言ってるのを聞いて、すっごく妬けた。井上さんが羨ましくなった。だけどね……」
ため息をつきながら、こっちを見る。だけどそこはあえて無視しなきゃいけないから、視線を逸らそうと試みたけど、竜馬くんから放たれる熱のこもったものがすごくて、どうしても逃げられなかった。
「俺の心の中に、蒼い炎がメラメラと燃え始めたんだよ。きっとアキさんの心に火を宿すために、俺の心に蒼い炎が点火したんだと思うんだ。この炎で君を包み込んで、奪ってあげるから。覚悟してほしい」
「っ……」
言いながら俺の胸元を人差し指で、つんつん突ついた。
何だよ、蒼い炎って。そんなのに包まれて、丸焼きにされたら困る! 燃やされるなら穂高さんのもつ、紅い色の炎がいい。
「ねぇ、少しはアキさんの心に響いたかな?」
じっと見つめてくる視線を振り切るように顔を思いっきり背けて、知らんぷりを決め込んでみた。慌てふためく俺の様子は、竜馬くんに伝わってしまっただろう。
「響いてるといいな、少しでもいいから俺のことを、意識してほしいな」
(――ああ、言い返したい。だけど反論したらダメなんだ、ガマンしなきゃ……)
家までの距離を遠くに感じて内心イライラしながら、スタスタと歩く。イヤな汗が、額に滲んでくるのが分かった。
「アキさん、同性に溺れるってどんな感じかな? 異性と何が違うの?」
そんなの知ったこっちゃない。比べてもいないよ!
「もう、分かってると思うけど。あのとき……大学の中庭でアキさんを抱きしめたときさ、可愛い声に反応して勃ちゃったでしょ、俺」
「…………」
ふたりきりの夜道で、その話題は勘弁してほしい――襲わないと言った言葉の効力が、消し飛んでしまうのが分からないのだろうか。
「男相手に大きくなるなんて、頭がおかしくなったと思ったんだ。好きってだけじゃない抱きたいなんて、感情が出てくるなんてさ。イヤがるアキさんを無理矢理にっていう設定で、オカズにしたり」
「ぅっ……」
竜馬くん、どんな顔してそんなことを言ってるんだろう。今度は怖すぎて顔を動かせない。目が合ったのが合図になって、抱きつかれでもしたら危ない。
「相手があの井上さんなら、アキさんは女性側になるんでしょ? ねぇ、挿れられるのって気持ちイイの? そういう知識がないから、さっぱり分からなくて」
「そんなの知ったところで、無意味だと思うけどっ!」
ぴたりと立ち止まり、勇気を振り絞って竜馬くんを睨みあげながら、大声で怒鳴ってやった。なのに、すっごく嬉しそうな表情を口元に湛える。
まんま、してやったりな顔――。
「真面目なアキさんならこの話題に、絶対食いついてくれると思ってた」
その言葉にしまったと思って口を引き結び、固まった俺にぐっと近づく。
「うぁ、や、やめ……」
背中を向けて走り出したいのに、体がいうことを利かない。距離をとるのがやっとで、数歩退いたら背中に塀が当たった。その感触にぎょっとして横に移動しようとしたら、竜馬くんの腕が体の両側に突き立てられてしまう。
この場所は島から帰って来た時に、竜馬くんに抱きしめられた場所でもあった。目と鼻の先に、住んでるアパートがあるというのに……。
「怯えてるその顔、すっごくエロいね」
「ヒッ!?」
唐突に腰に押し付けられた硬いモノに、悲鳴に似た声を上げてしまった。
「まるで、ヤってるときみたいな顔に見えてさ。勝手に大きくなっちゃったよ」
「そ、んなの……押し付けないで。迷惑っ」
「コレが井上さんのなら、悦んで受け挿れるクセに」
「穂高さんはこんな、迷惑なことなんてしないから! 俺の気持ちを考えて、いつでも優しくしてくれる」
だから大好きで、堪らなく愛おしくて――。
「だけど彼は助けに来てくれないよ。どんなに優しくてもアキさんがピンチでも、ここに来てはくれない」
「うっ……」
竜馬くんの言うとおり、穂高さんは助けに来てはくれない。だから自分で、この場を切り抜けなきゃならないんだ。どうする!?
『俺もだよ、千秋。愛してる、心はいつも君の傍にいるから』
近づいてくる竜馬くんの顔に恐怖を感じていたら、ふと穂高さんの声が頭の中に響いてきた。
身体の距離が離れていても、心は繋がってる。だって傍にいるって言ってくれたから――そのお蔭で、声が聞こえてきたのかもしれないな。
穂高さんの声に勇気を貰った俺は、あることにぴんと閃いた。イチかバチかだけど、やってみるしかない!
竜馬くんのくちびるが、あと数センチで俺のくちびるに触れそうになる瞬間、上半身をちょっとだけ反らし、顔面に目がけて振りかぶって頭をぶつけてやった。
ごつんっ!!
「いぃっ!?」
至近距離での攻撃でその場にしゃがみ込んだ竜馬くんを置き去りに、脱兎のごとく駆けだした。
「つぅ~~~」
目から火花が飛ぶほどの痛さだったけど、おでこを押さえながら、ひたすら自宅アパートを目指して一直線に走った。急いで鍵を開けて中に入り、竜馬くんが入ってこられないように、素早く鍵をかける。
「怖かった……」
その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑え、靴を脱いで家の中に入る。壁にかけてある穂高さんのジャケットを手に取り、そのままベッドに直行して、ぎゅっと抱きしめながら頭から布団を被った。
「穂高さん……穂高、さ――」
微かに残ってる穂高さんの香りを嗅ぎ取り、彼のぬくもりを必死に思い出した。どうしても震えてしまう身体を、何とかしたかったから。
あまりの恐怖に身を縮ませたまま目をつぶっていたら、いつの間にか眠ってしまったらしく、スマホの呼び出し音にぎょっとして目を覚ました。画面を見ると、それは穂高さんだった。
「……心配して、電話くれたんだ」
その心遣いに半泣き状態になってしまったけど、思いきって電話に出る。
「もっ、もしもし……っ」
鼻をすすりながらやっと声を出すと、電話の向こう側の穂高さんが息を飲むのが分かった。きっと心配させちゃったよね。
「千秋、どうした? 何かあったのか? 大丈夫なのか?」
聞いたことのない緊迫した声が耳に聞こえた途端に、今までガマンしていたものが一気に崩れてしまった。俺をすごくすごく想ってくれる、穂高さんの優しさが身体を包み込んだせいなんだけど。
「ほ……穂高さぁんっ、うっ……ひっ」
「泣いてちゃ分からないだろ、どうしたんだ?」
きっと心配させてしまってる。いきなり泣き出す俺が悪いことが分かってるんだけど、いろんな感情がこみ上げてきて、うまく言葉にならない。
「千秋……済まない」
ぽつりと呟いた穂高さんのひとことが、胸にちくりと突き刺さった。ただ追いかけられただけで、泣き出してしまった俺が悪いのに。穂高さんが謝る必要なんて、どこにもないのに――。
「……ただ怖かったんだ、竜馬くんが」
搾り出すように口にした言葉に、はーっと向こう側で大きなため息をつかれてしまった。きっと呆れられちゃったよね。男のクセに、情けないにも程があるって。
「落ち着いてからでいいから、昨夜あったことを教えてほしい。辛いことを思い出させてしまうが」
「ううん、俺の方こそゴメンなさい。あのね――」
正直、落ち着いてはいなかったけど辛さを分かち合ってほしくて、夜中にあったことを克明に語っていった。俺の言葉を遮らないように所々、相槌を打ちながら最後まで話を聞いてくれた穂高さん。
「はあぁ~~~っ」
またしても盛大なため息をついた途端に、ごんっという派手な音が耳に聞こえてきた。
「あの、穂高さん。大丈夫?」
恐るおそる声をかけると、ふっと鼻にかかった笑い声をあげる。
「悪い……。千秋に何事もなくて良かったと思ったら、体の力が一気に抜けてしまって、道路の真ん中で大の字になってしまった」
「道路の真ん中でって……。ゴンって音は、頭をぶつけたんじゃ?」
「ん……でも平気。実はこの後、また仕事に戻らなければならなくて」
起き上がったのか、布地をパシパシ叩く音が耳に聞こえてきた。
「漁が最盛期でね、毎晩忙しくて。島に戻ってからも仕分けするのに、てんてこ舞いな状態なんだ。そんな状況だから、なかなかそっちに行けそうにないよ。疲れからか精神的に余裕もなくて、本当に済まない千秋」
言い終えた後に、またしてもため息をつく。相当、疲れが溜まっているんだろうな。
「俺の方こそゴメンなさい。そんな忙しいときに、こんなことになっちゃって。何度もため息をつかせてしまって、本当に」
「違うんだ、それはっ! その……自分の立場が苛立たしくて、やり場がなくてね。溜息をつくことでしか、それを解消できなくて。参った……」
「穂高さん――」
「少しでも早く君の傍に行けるように、何とかする。今は堪えてくれとしか言えなくてゴメン」
苛立たしく思っているのは、俺も同じだ。さっきから、穂高さんを謝らせてばかりいる自分。そんな存在になんて……荷物なんかになりたくないのに、愚痴ってばかりいる。
「千秋が友達とシフトの交換をして接触を減らしてくれたのは、ナイスだと思ったんだが、予想通り付きまとってくれるとはね」
「予想……ついていたの?」
ゆっきーとシフトのやり取りのことについては、前回の電話で話をしていたのだけれど、まさか付きまとうことまで、穂高さんの中では想定内だったなんて――。
「ん……。接触が減れば、どこかで逢う機会を作らなければならないからね。そうなると、千秋の帰りを待ち伏せするだろうな、と」
「そういう予想がついていたのなら、どうして教えてくれなかったの?」
「えっ!?」
「俺はそんなの全然、思いつかなかった。竜馬くんがいなかったお蔭で、すっごく楽しく仕事ができたのに、コンビニから出た途端に彼が外にいて、その衝撃で息が止まってしまったんだよ。もしそのことを事前に知っていたら、こんな思いをせずに済んだのに」
スマホを持っていない反対の手で、ぎゅっと拳を作ってしまった。何だろう、いいようのない感情が、胸の中に渦巻いていくこの感じ――。
「あくまでそれは俺の予想だ。当たるとは限らない。千秋に余計な心労をかけさせたくなかったから」
「だけど1%でも可能性があるのなら、やっぱり言ってほしかった。どれだけ俺が、怖い思いをしたと思ってるんだよ。穂高さんには、それが分からないよね」
「済まない……。そこまで気が回らなくて」
しゅんとしてしまった声色にハッとしたけど、一度荒んでしまった気持ちはどうしても立て直すことができなかった。
「出待ちしてる竜馬くんが、まるで穂高さんに見えちゃったよ。間違って好きになったら、どうする?」
俺を大事に思ってくれているからこそ、あえてそれを言わなかったのが分かっていたのに、ついイライラして、言ってはいけない言葉を口にしてしまった。
「……好きになったらどうする、か。それこそ好きにすればいい。勝手にしろ」
ムッとした穂高さんの声が聞こえた後に、すぐさま回線が切られてしまった。
無機質なツーツーという音が、瞬く間に俺の身体から気力を奪っていき、呆然とするしかない。
「どうしよう。俺、こんなつもりじゃなかったのに。どうしよう……」
震える手で再びかけ直そうとしたんだけど、穂高さんの今の気持ちを考えると、きっと電源を落しているんじゃないかと想像ついた。ゆえに、画面に指が触れることができず、固まってしまう。
弁解も複雑すぎる心の内も、どうやって口にしたらいいか分からない――。
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