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Final Stage 第4章:長い夜3

***  目の前の出来事を現実と認識するには、あまりにも惨いものだった。 『これは悪夢であって現実ではない』と脳が勝手に判断して踵を返しかけたが、その現実を確かめるべく反射的に叫んでいた。 「千秋っ!?」  その声に驚いて千秋の上から退く男に、視線を飛ばす。その表情は、何で来たんだと顔に書いてあった。  男に対して文句を言いたいのは山々だったが、それよりも――。 「ち、あき……千秋、ちあきっ」  可哀想に冷たい床の上に両腕を後ろ手に縛られているだけじゃなく、全裸で横たわったまま真っ白い顔色をして……。 「千秋? 千秋……、返事をしてくれ、ちあきぃっ!」  傍に駆け寄り抱きしめたいのに、居間の入り口から一歩も動けずにいる自分。さっきから躰の震えが止まらない。  姿かたちは千秋なのに、ただ目が――虚ろな目をしている千秋が、俺の知ってる千秋じゃなかった。それは別人に見えるくらいのレベルだった。  躰の震えを止めるべく両手にぎゅっと力を入れると同時に、奥歯を強く噛み締めた。 (――逃げてはいけない。一番辛い思いをしているのは、目の前にいる千秋なのだから。早く傍に行って、頬を濡らしてる涙をこの手で拭ってやらねば。俺は彼の恋人なんだ!)  何とか左足を動かした途端に男が……畑中君が千秋の躰に覆い被さった。 「アキさんは……、アキさんは俺のモノだっ。絶対に渡さない!」  もしかして、千秋の変化に気がついていないのか!?  「可哀想なヤツだな、君は。一番大切な人の変化にも、気づけないなんて」 「えっ!?」 「千秋の顔をよく見てごらん。俺たちの知ってる千秋の顔じゃない」  俺の言葉にゆっくりと首を動かし、覗き込むように千秋の顔を見る。 「!!」 「君のしたことで、千秋の心に傷がついたんだろう。それだけじゃない、君の想いが彼の全部を焼き尽くしてしまったんだ」  千秋から聞いた畑中君の告白を思い出しながら、眉根を寄せて告げてみた。 「俺の想いが、アキさんの全部を壊し、た……?」 「ああ。君が言ってた蒼い炎だよ。普通の炎よりも温度が高いから、そういう表現を使ったと思うのだが、俺からすると狂う方の狂気にしか見えないね。その高い温度で、何でも溶かせるんだ。自分の中にある冷静な判断力を溶かして失わせ、終いには愛する千秋まで壊してしまったのだから。君の想いは、狂気であり凶器なんだ」 「きょうき……俺の想いが、大事なアキさんを、壊して……こわし、そんな、の……違ぅっ!」  千秋の躰を放り出すようにして手を離し、退きながら頭を振りまくる。目の前につきつけられた現実と俺の告げた言葉で、大きなショックを受けたんだろう。  そんな彼に、何て声をかけていいか分からず口をつぐむ。 「こ、んなの、望んでない……。無視して欲しくなくて。知って、欲しかっただけ、なのに。俺のせいで、あ、ぁ、アキさんがっ」 「……ひとりで責任を背負わなくていい。千秋がこうなったのは、俺のせいでもあるんだからね」 「なっ!? ど、して?」  俺が言った言葉が信じられなかったのか、目を見開いたまま固まり、じっと顔を見つめる。 「どうしてなんて愚問だな。君が迫ったことで千秋が危機に瀕していたというのに、恋人として助けるどころか、放っておいてしまったのだからね。険悪なケンカをしていたんじゃなかったのだが、電話に出ることすら拒否してしまって……」  ここ数日間、電話に出るタイミングはあったのに取れなかった。また傷つけてしまうかもしれないと思ったら手が震えてしまって、躊躇っている内に電話が切られてしまった。  思いきってかけ直すこともしたのだが、1コールの呼び出しの後に切ってしまっていた。 「千秋が一番困っていたときに、仕事の関係だとか遠くにいるからとか、そんなくだらない理由だけで手を差し伸べなかった俺の方が、君よりもタチが悪いと思う。どうだろうか?」  しなくていい疑問を口にしながら横たわる千秋の傍に跪き、両手で頬の涙を拭ってやった。いつもは温かい頬が自分の手よりも冷たくて、その違和感に眉根を寄せるしかない。  電話口で泣かれた際に、してあげたかったことがやっとできたというのに、嬉しさよりも虚しく感じてしまう。視界の中に確実に俺がいるというのに、君の瞳が遠くを見ているせいだろうか。  その目で俺を見つけた途端に滲み出る愛情を全く感じられないだけで、こんなにも絞られるように切なくなってしまうとは。嫌いな相手に見つめられる以上に、辛くて堪らない。  軽くため息をつき、立ち上がって畑中君の傍を横切ると、怯えるような声を出された。俺の質問に、答える余裕すらないというワケだな。  そんな彼を無視して、テーブルの上に置いてあるボックスティッシュから勢い任せにティッシュを数枚引き抜き、千秋の躰の汚れた部分をキレイに拭ってから、着ていたコートをかけてあげた。 「頼みがある、畑中君……。もう二度と千秋の前に、姿を見せないでくれ」 「それって――」 「千秋がこうなってしまったことに対して、君に責任をとって欲しいと思ってね。勿論俺も責任をとるつもりだ。彼が正気に戻るように全力を尽くす。戻らなかったときは仕事をすっぱり辞めて、千秋の傍にいて世話をする覚悟はできているから」  いつまでも冷たい床で寝かせている千秋が可哀想になり、上半身を抱き起こしてその身体をあたためるように、ぎゅっと抱きしめた。 「…………」  そんな俺たちの姿を無言で見つめる畑中君に視線をやると、突然お腹を抱えて笑い出した。 「一体どうしたというんだ? 何がそんなに、おかしいというのだろうか?」 「ハハッ、だってそうでしょ。責任は半分半分みたいな感じで言ってくれたけど結局美味しいトコは全部、井上さんが持っていっちゃうんだなって。人形みたいになったアキさんを、ここぞとばかりに抱きまくるんだろうなと思ったら、何だか可笑しくて」 「君は……自分が何を言ってるのか、分かっているのか?」 「分かってますよ。分かってるから、事実を口にしてるだけなんですけど。だって、間違いないでしょ?」  彼の言葉に一瞬怒りを覚え、千秋の躰に回している腕に力が入ってしまったのだが、どうにも態度が一変しすぎて違和感を拭えない。 「だけどねアキさん、あまりいい反応してくれないと思いますよ。まぁ俺が下手だったのかもしれないですけど、声もあまりあげてくれなかったし、テンション駄々下がりって感じで」 「そうか、分かった」  短く答えながら、畑中君の顔を見やる。そこに隠された真実を、きちんと見極めるために――。 「恋人としてアキさんの面倒を見るのは大変でしょうが、頑張ってくださいね。言いつけ通り、俺はもう消えちゃいますんで」 「待ってくれ……。畑中君」  肩を竦めて背中を向け、颯爽と出て行く彼に思いきって声をかけた。 「何ですか? お邪魔でしょ俺ってば。早くふたりきりになって、ヤりたいだろうに」 「最後に伝えておきたいんだ。千秋のために、綺麗なウソをついてくれて、どうもありがとう」 「はぁ? 何言ってんですか、俺はウソなんて」  笑いかける彼に俯いて、力なく首を横に振ることしかできない。見てはいられないくらい酷い顔をしているのに、きっと気がついていないのだろう。  自分で自分の顔を見られないのだから、当然か――。 「俺も……俺自身も君と同じように、千秋のためを思ってウソをついたことがあるんだ。だから分かる」 「ウソなんてついてないって!! 俺は自分の気持ちを、素直に言ってるだけだしっ」 「……目を赤くさせながらそんな風に笑いかけられても、それが全部ウソだと分かってしまうんだよ」 「!!」  その言葉に驚いたのか、一瞬で口を引き結んだ。 「一度だけ千秋に、別れを告げたことがあってね。好きじゃないってウソをついたのを、簡単に見破られてしまったんだ。ホストをしていて装うことに長けていたハズなのに、どうしてだろうってずっと思っていた。でも今、畑中君の顔を見て、その理由が嫌というほど分かってしまったよ。瞳はウソをつけないんだって」 「…………」 「ウソをついた俺に、千秋は言ってくれたんだ。それはそれは優しい笑みを浮かべてくれてね。『出逢ってくれて、ありがとう穂高さん。幸せになって下さい』って。だからきっと、今の君にも同じ言葉を贈ると思うな」 「そ、んなの……ありえない、ですって。だって俺はっ!! 俺は……アキさんをこんなにして、キズつけた酷い男なんですよ?」  顔を背け声を震わせながら必死に何かに堪える姿に答えてあげるべく、千秋の代わりに口を開く。畑中君の気持ちを考えて、きっとこう告げるだろう。 「酷いことをした相手だけど、友達じゃないか。俺は君を許すよ。ってね」 「……最初で最後のウソすら、つかせてくれないんですね。こんなことをされたんじゃ、忘れたくても忘れられないじゃないか」  涙声で言い放ち、逃げるようにアパートから出て行った彼には、俺のこの言葉が聞こえないだろう。 「忘れなくていいんだ。ただ想うだけなら、迷惑にはならない。それに――」  千秋に別れを告げ、島でひとりきりの生活をしていて、辛くなったときに思い出していた。一緒にいて楽しかったことや笑い合ったことや悲しかったことなど、いろいろと。  それらが残り火となり、胸の中に燻り続けてくれたお蔭で、自分を奮い起こすきっかけになってくれたんだ。  俺と同じような行動をした畑中君にも、きっとこの想いは有効なハズ。これから千秋に逢えなくなり、絶望という感情をひしひしと思い知るだろうが、幸せな時間を過ごした貴重な思い出があれば大丈夫だろう。 「優しくて友達思いの千秋なら、こう言うだろうなと思ったのだが、俺は間違っていなかったかい?」  腕の中にいる千秋は規則的な瞬きをし、相変わらず虚ろな目をしていたが、頬に若干赤みがさしてきた。  その顔色に安心して、台所に視線を移す。水の入ったペットボトルとコップがぽつんと置かれている様子に、何があったのか大体察しがついた。 (畑中君から、微量なアルコール臭がしていたからね。何か変わったことがない限り、千秋が安易に彼を家にあげたりしないだろう)  今回ばかりは、その優しさが仇となってしまったが――  よいしょっと声かけながら千秋を横抱きにし、ベッドに寝かせて布団を被せてあげた。さっきまで千秋にかけていたコートはたたんで、邪魔にならないところに置いてから、ベッドの傍らに腰かける。 「さて、と……。やっとふたりきりになったというのに、会話が成立しないのはとても寂しいものだね千秋」  柔らかな黒髪を撫でるように、ゆっくりと梳いてあげた。いつもなら気持ち良さそうな表情を浮かべてくれるというのに、全く代わり映えしない様子は辛すぎて、落胆のため息をつくしかない。 「これが童話の中の出来事だったのなら、王子様のキスで目が覚めるのが定番だけど、残念ながら俺は王子様じゃないし、君はお姫様でもない。参ったね」  ベッドに横たわってる姿は畑中君が言った通り、まるで人形のようだ。千秋の持つあたたかい心が、全くといっていい程なにも感じられない。  くだらない冗談を言っても髪に触れてみても、動じずにそのままでいられるのは、本当に辛いものだね。その原因を、俺が作ってしまったのだから――。 「どうすれば君を、いつもの千秋に戻せるのか……。何をすればいい?」  髪を梳いていた手をキレイなカーブを描いている頬に移し、顔を寄せて触れるだけのキスをしてみた。 「……やっぱり、そんな簡単には目覚めないか。うーん、どうしたものか」  千秋の顔の傍で小首を傾げたときに、それが目に留まった。考え込んでいた思考を解すように、今まで一緒に過ごしたときをまざまざと思い出した。 (君を泣かせてしまった、最初のきっかけ……。もしかして、もしかするかもしれない!)  キスのようにとても安易なモノかもしれないが、何もせずに手をこまねいているよりはマシだろう。  躰の向きをしっかり変えて、千秋に対峙した。上半身に覆いかぶさるように、耳元にくちびるを寄せる。 「千秋、これから君に付けた痣の部分を、強く咬むからね。痛かったら我慢しないで、ちゃんと声を出すんだよ。いいね?」  言い終えた後に顔を確認してみたのだが、残念ながら反応は全くといっていい程ない状態だった。 「何かある度に俺の印を付けてやろうと、何度も咬んでいたせいで痣になってしまったが、今回のせいでまた、色が濃くなってしまうかもしれないな」  その部分を確かめるように歯を立ててから、ゆっくりと咬みついてみた。一気に力を加えるのではなく、徐々に力を加えてみる。  この痛みで千秋が、目覚めますようにと――。 ※竜馬くんのその後のお話は、【しあわせのかたち】【残火―ZANKA―】にて掲載しております。お暇なときにでも(∩´。•ω•)⊃ドゾー

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