115 / 175

Final Stage 第5章:深窓の令嬢3

*** 「そっかー。いろいろあったけど、ふたりで頑張ったんだ。結果オーライで良かったじゃん」  こっちにいる間に頼んでいた物が手に入ったと、義兄さんからグッドタイミングで連絡があり、ホストクラブパラダイスに顔を出していた。  2階にある事務所で向かい合わせに座り、これまであったことをかい摘んで説明したら、安堵のため息をつきながら美味しそうに煙草を口にする。 「あの色男の件については千秋の対応も悪かったけど、お前も相当大バカって罵っていいくらいに、最低な恋人を演じたものだね」  義兄さんは呆れた言葉を吐き出しながらローテーブルに頼んでいた物を、静かに置いた。 「いくら、かかっただろうか?」 「ほらよ、これが領収書」  小箱の横に置いてくれたので金額を確認し、財布からお金を取り出して、お釣りが出ないように手渡す。 「義兄さんが最初に提示してくれた額より、随分と安くなったね。これじゃあ、相手のお店の売上がないんじゃないだろうか?」  俺としては大助かりなのだが、もしかして義兄さんが無理を言って、原価で仕事をさせた可能性があるなと考えた。 「従業員、御用達の店なんだよ。会員割引やら大量購入割引があったから安くなっただけ。お前は気にする必要ないからね、ちゃんと支払いが終わったワケなんだし。毎度あり!」 「ありがとう、義兄さん」 「どういたしまして、お幸せに。と言いたいところだけど、これから先どうすんのさ?」  短くなった煙草の火を消し、窺うように俺の顔を見つめる。千秋と付き合ってからはいろいろとやらかしてばかりいるので、そういう目で見られるのはしょうがないだろうな。 「夏休みに千秋が島に来たときに、就活をしたらしくてね。来年面接試験をすることが決まっているんだよ」  島の産業は漁業だけじゃなく、農業もそれなりに盛んだった。自分の足で島を見て回り、色んな島民と交流して就活した結果、農協の事務員の募集に辿りついたそうだ。 「……悪いけど、すんなりと試験が受けられるかどうか、分かんないよ」  それまでは穏やかな表情を浮かべていた義兄さんが、苦虫を潰したような顔になった。 「どうして、そんなことが言えるのだろうか?」 「ちょっと、待ってて」  見るからにダルそうな感じで立ち上がり、グレーのキャビネットの前に向かうと、大きな音をたてて扉を開ける。 「カ行の1番最後……。紺野こんの……よし、見つけた」  茶封筒を手にした義兄さんが俺の隣に座って、見せつけるようにひらひらと目の前にかざした。 「これは俺が興信所を使って調べあげた、千秋の情報なんだ。果たしてお前は、どこまで知ってるんだろうね」 「義兄さん、言ってる意味がよく分からない。千秋の普段の様子や持ち物から、どこにでもいる普通のコだというのを知っているというのにな」 「じゃあ聞くけど今まで付き合ってきて、千秋から実家の話を聞いたことがあるの?」  その言葉にハッとして、顎に手を当て考えてしまった。 (実家というワードが出てきたのは、夏休みの帰省をしないという話のときと、今回の年末の帰省で出ただけだったな――) 「穂高、お前が千秋に自分の実家の話をしなかったのは、どうしてだっけ?」 「それは、俺のやってる仕事を知られたくなかった。真っ当なことばかりしていなくて、嫌われると思ったから」 「千秋も同じかもね。事実を知ったら困らせてしまうって考えて、言いたくても言えない状態なのかも」  言いたくても言えない状態? 一体、どういうことなんだろうか。 「ヒントは、千秋の心がキレイな理由かなぁ。さぁ穂高、わっかるかなぁ?」  まるでクイズを出すかのように面白可笑しく話しかけてくれたのだが、意地の悪い義兄さんの遊びに付き合うほど、俺自身に余裕がなかった。  1年以上も付き合っているというのに、千秋の身の上をまったく知らなかった。心も躰も自分のモノにしたという安心感に、胡坐をかいていたのかもしれない。それに普段の千秋の生活を見ていたからこそ、どこにでもいる普通のコだと思いこんでいたのもある。 「……分かりやすいヒントをくれて、どうもありがとう義兄さん。その言葉で、すべてが繋がってしまった」 「繋がった?」 「ん……。俺がベルリーニの血を受け継いでいるって話をしたときに、すごく心配してくれたんだよ。そっちの仕事をしなくていいのかって、しつこいくらいに、ね。自分も同じ立場にいるからこそ、心配してくれたんだろうなと繋がったというワケ」  キレイな心を持っている千秋。きっとそれは、とても恵まれた環境で過ごしたからなんだね。 「そんないいトコのお坊ちゃんがどうして2流の大学に通い、ギリギリの生活を過ごしているのか、理由までは知らないよ。とにかく、この中身を確認してみなって」  押し付けるように手渡された茶封筒から、ガサガサ音をたてて書類を取り出してみる。  顔写真付きの身辺調査票――隠し撮りされた写真の千秋は、コンビニ店内で働いているものだった。柔らかな笑顔で接客しているそれを見ただけで、胸の奥が疼いてしまう。  俺が好きになってしまった、きっかけの笑顔だ――。 「……何を今更、恋人の顔見てデレデレしてんだか。呆れるわ」  そんな義兄さんの言葉なんて、ぬかに釘だな。なぁんて思いながら、千秋の経歴をしげしげと読み進めてみた。 「穂高、それ読んでいけば分かるけどさ、不動産関係の大御所AOグループって会社を、千秋の親戚一族が経営しているトコでね。温泉が出そうな場所を買い占めて掘削し、ホテルを立てて経営を広げているのが現在の手法みたい。昔ながらの不動産業じゃやっていけないから、数年前から経営方針を変えたそうだよ」 「そうか……」 「同族経営をずっと続けているのは、俺個人としては好みじゃない。まぁ本来自分んトコが得る分の収入を、一族に分散させることによって、税金が削減できたりするし……。息子に跡を継がせたりと社長交代のバタバタ劇がないのは、実際に楽なんだろうけどね。同じ血だからこその争いなんてあった日にゃ、株の取り合いをしたり大騒ぎになるのが恐ろしくて、絶対にマネができないわ」 「……千秋は、ひとり息子なんだな」  突きつけられる現実は、とても非情なものだった。それは読めば読むほど、俺たちの未来が暗くなってしまうもので――。 「運がいいのは、社長の息子じゃないってことでしょ。だけどバリバリの同族経営だからね。役職に就かせたいと思うのは、親心だろうなぁ」 「ん……そうだね」  静かに答えてから手にしていた書類を元に戻し、義兄さんに手渡した。 「これからお前、どうすんの?」  どうすんのと聞かれても、お手上げ状態と言うしかないだろう。俺はこの件に関して、何もできないのだから。しかも千秋本人から実家について明かされていない事実があるせいで、余計に動くことができない。  ゆっくりと両目を閉じたら、瞼の裏に千秋の顔が浮かんできた。それは俺を追いかけて、島にいきなりやって来て告げてくれた、あのときの顔――。 『俺は穂高さんを追いかけるから。だから、ここで待っていてほしいんだ』  凛とした眼差しで言ってくれた千秋の言葉を信じることができたから、素直に頷けた。今も昔も変わらない、揺るぎない気持ちがここにある。 「千秋を信じて、そのときを待つとするよ。彼ならきっと俺を捕まえて、離してくれないだろうから」  少し前の俺なら不安に苛まれ、根掘り葉掘りアレコレ問いただしただろう。千秋のすべてが知りたくて、把握せずにはいられなかったはずだ。  ――だけど今回のことで、分かったものがあった。真実を隠すことで相手に不安を与えてしまうところがあれど、見えない優しさが伝わることを知った。  軽くため息を吐きながら目を開けると義兄さんが瞳を細めて、俺の顔を穴が開きそうなくらいにじっと見つめた。 「今のお前、すっごくいい顔してる。そんな顔ができるようになったのは、千秋のお蔭なんだろうね」 「いい顔、しているだろうか?」  隣にいる義兄さんは、とても穏やかな表情を浮かべていた。もしかしたら、鏡合わせみたいになっているのかもしれないな。 「見惚れてしまうくらい、格好いいよ穂高。もし何かあったら、遠慮なく言ってちょうだい。兄として微力ながら助けてやるからさ」  見えない優しさは千秋だけじゃなく、義兄さんからも感じることができた。だから俺は、それに応えなければならない。 「俺も弟として義兄さんを助けたい。何でも言ってほしいな」 「だったら、千秋をちょうだい」 「それは無理な相談だ、絶対にあげられない」  笑いながら肩を竦めてみせると、何でも言ってって言ったのにと文句をぶーぶー言い出した。  義兄さんとこんな風に、冗談を言いあえる日がくるなんてな。千秋、君のお蔭で俺だけじゃなく、みんなが変わっていくよ。  そんな喜びを噛み締めつつ、ローテーブルに出しっぱなしになっていた小箱に手を伸ばし、胸ポケットにしまい込んだ。  あと数時間で離れてしまう君に渡す大事なもの。すんなりと受け取ってくれるといいな――。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!