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Final Stage 第6章:恋の炎は心の芯に灯し続ける

 大学からの帰り道、つきたくないため息ばかりをついてダラダラ歩いていた。  数時間後バイトに行く俺に合わせて、穂高さんが島に帰ってしまうから。ただいまって家に帰っても返事が返ってこないんだな、なんて当たり前のことなのに。  もしかしたら穂高さんは俺が夏休みが終わって帰ったあとで、こんな風に寂しく思っていたのかもしれない。もっと気を遣って、マメに連絡をとってあげればよかった。 「考えれば考えるほどに、俺って駄目な恋人だよね。酷いことばかりしてる」  未だに告げられない自分の家の事情が言えてない時点で、マイナスポイントだと思う。だけど、それをゼロにしなきゃならない。だって――。 (俺は穂高さんと、これからを一緒に生きて行きたい。穂高さんじゃないと生きられないって分かったから)  正気を失った俺を救ってくれたのは、穂高さんだけだった。きっと他の人では、できないことだろうな。俺が愛した唯一無二の人だったから、意識が戻ったんだと思う。  だからこそずっと一緒にいるために、何か失う覚悟を決めないといけない。両方を手にするなんて器用なことは、俺はできないんだし。  両手を目の前にかざして、ニギニギしてみる。穂高さんの存在は大きいから、片手じゃ無理なんだ。この両手を使って、抱きしめないといけない。  ニギニギしていた両手を握りしめ、意味なく拳を作ってみた。自分の腕の中に入れるものの大きさに、慄いてる場合じゃない。この手で彼を抱きしめておかなければ、誰かに捕られちゃうかもしれない。 「……覚悟を決めなきゃ。ただいまっ」  気合いを入れた勢いで玄関の扉を開け、中にいるであろう穂高さんに向かって元気に声をかけた。  多分これが穂高さんに向かって言う、最後のただいまの言葉だろう。次に言うのは、年末あたりになるのかな。たった数ヶ月の間、離れるだけなのに切なくなってしまうのは、どうしても慣れないね。 「お帰り、千秋」  穂高さんの声が聞こえたときには、目の前が真っ暗になっていた。俺の躰を包み込んでくれる、大きな胸がそこにあった。鼻腔をくすぐる彼の香りを、思いきり吸い込んでみる。けして、忘れないように――。  そして背中に両腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返した。あたたかいこの体温(ぬくもり)を、絶対に忘れないようにするんだ。 「千秋の躰、寒い外から帰ってきたとは思えない程、とても温かいね」  ――いろんなことを考えて、たぎっていたからだろうな。 「俺は穂高さんの、専属の湯たんぽだから」  ちょっと照れつつ上目遣いをしながら言ってみると、闇色の瞳をすっと細めて嬉しそうな表情を浮かべた。 「だったら早く中に入って、温めてほしい」  靴を脱ぐ間も惜しむように腰に腕を回して、中に誘おうとしてくれても変に慌てちゃうと、上手く靴が脱げないよ。それに――。 「……温めてほしいって言われても、そんな時間はないよ?」  何とか靴を脱ぎ捨てて引きずられるように居間に入った俺を見ながら、穂高さんは首を横に振った。 「確かにね、時間がないのは分かってる。だからこそ、やらなきゃならないことがあるだろう?」  腰に回していた腕を外し、壁にもたれかかりながらその場に座り込むと、俺に向かって両腕を差し出す。 「千秋、おいで。顔を突き合わせて話がしたいんだ。きちんと目と目を合わせて、君と語り合いたい。電話で話すことはできるけど直接こうやって話すことは、しばらくできないだろうから」  両腕を差し出して俺を待ってる穂高さんが、まるで小さいコに見えるのは、以前にされたイタズラの名残なのかもね。  口元を緩ませてしゃがみ込み、穂高さんの躰にぎゅっと抱きついた。 「穂高さん、話ってなぁに?」  少しだけ鼻にかかるような、甘えた声で話しかけてみた。ここぞとばかりに甘えてやろう作戦だ。 「……真面目な話をしようと思ったのだが、そんな顔をされたらできないな」 「どうして?」 「そのくちびるを塞いで、この場に押し倒してしまうから」  そんなのダメだよって言う前に、塞がれてしまうくちびる。貪るように俺の舌に穂高さんの舌が絡まってくる。 「っ、んんっ……ぁ?」  いつもならここから角度を変えて、もっと深く絡めるところなのに、あっさりとくちびるが解放された。 「話をしなければ、千秋……」 「うん、なぁに?」 「その……何だ、あー……」  珍しく言い淀む彼に首を傾げるしかない。これはもしかして――。 「ねぇ穂高さん、何か隠し事をしているでしょ?」  言った途端に瞳孔が開くあたり、間違いないだろう。 「……参ったね、君には隠し事ができないらしい」  諦めた表情を浮かべてシャツの胸ポケットに手を突っ込み、何かを摘んで取り出した。 「千秋にあげようと思って、これを用意していたんだ」 「これ、は――」  眩しいくらいにきらきらと光り輝くそれに、くぅっと息を飲んでしまった。 「受け取ってくれないか、千秋」  俺の左手を掴んで、シルバーのリングを嵌めようとしてくれた。 「穂高さん、待って。嵌める前に、よく見てみたい」 「いいよ、はい」  てのひらに載せてくれたリングを、しげしげと眺めてみた。少しだけ変わった形をしているな。 「笹の葉を折り組んで作った、笹舟をベースにデザインしているそうだよ」 「笹舟?」 「ん……。いろんな形の指輪を見させてもらったんだが、俺はひと目でこれが気に入ってしまってね。千秋と一緒に人生という名の大海原へ、ふたりで力を合わせることができたらいいなと思ったんだ」  穂高さんが告げてくれた言葉が、胸の中を熱くした。小さな指輪だけど、すっごく重さを感じる――。  笹舟という華奢な作りの舟で何が起こるか分からない、人生の航海をしなければならない俺達だけど、ふたり一緒に気合を合わせて仲良く漕ぎ出すことができたら、それはとても幸せだろう。  そう考えただけで涙腺が緩んでしまう。泣き出してしまいそうだ。 「穂高さん……。ありがと」 「どういたしまして。早速嵌めてあげる、手を出して」  鼻をすすりながらそっと左手を出したら、右手てのひらに載せていた指輪を摘んで、薬指にゆっくりと嵌めてくれた。一気に嵌めるんじゃなく途中で一旦止めて、俺の顔を見つめつつ柔らかく微笑んでから嵌めてくれた。  薬指に嵌められたリングは、見れば見るほど光り輝いていた。その煌きは自分にとって、分不相応かもしれない。まだクリアしていない問題を抱えたままなのに、受け取ってしまっていいものかと躊躇ったのも事実だったりする。  だけどこの煌きと重みに負けないようにしなきゃと、改めて誓った。このリングに――。 「穂高さんのもあるんだよね? 嵌めてあげるよ」  溢れてきた涙をしっかり拭って顔を上げるなり、笑いかけながら口を開いたら、スラックスのポケットから取り出す。それを慎重に受け取って、穂高さんの左手を握りしめた。  右手に持ったリングを嵌めようと角度をつけたら、中に彫ってある文字に目が留まった。C to Hって、これは――? 「千秋から俺にってことだよ。勿論、千秋のものにも彫ってある。H to Cってね」 「すごいや。見えないお揃いなんだね」 「ん……。肩口についてる痣は俺のは期間限定になってしまうから、そういうことになるな。だけど指輪本体は、見えるお揃いになる」  穂高さんと離れる度に付けている歯形は俺のはあまり上手くつけることができないから、どうしても期間限定になってしまうけれど、互いの指に嵌められたリングは目に見えるお揃いになるんだな。  形のキレイな細長い薬指にゆっくりと嵌めていき、さっきの穂高さんの真似をして一旦動きを止めて顔を上げてみた。 「初めての、見える形のお揃いになるね。すごく嬉しい」  そう告げた途端、瞳を細めて揺らめかせる。白目がどんどん赤くなるのを見ながら、心を込めて口を開いた。 「愛してる、穂高さん。永遠に愛し続けるから、俺の傍にいて下さい」  視線を落して中央で止めていたリングを、一気に薬指の根元まで嵌めてあげる。穂高さんに嵌められたリングは、すらっとした指を更に格好よく見せてくれた。  似合っているねと言おうと思って声を出しかけた瞬間、唐突に奪われるくちびる。驚いて目を見開いたままでいる俺の目に飛び込んできたのは、一筋の涙を流した穂高さんの顔だった。  両手で頬を包み込み、ぐりぐりっと手荒く拭ってあげたら渋い表情を浮かべて、くちびるを解放する。 「俺の涙を優しく拭ってくれない、君の傍にいたい」  ぽつりと告げられた言葉に、ぷっと吹き出すしかない。眉根を寄せ渋い顔をしていても、どこか幼さを残している表情が、俺の笑いを誘った。 「穂高さん、痛いといたいをかけたでしょ?」 「だって痛かったんだ。感動する場面で無粋なことをする君の傍にいられるのは、俺しかいないだろう?」  ふて腐れつつも最後には笑顔になり、ぎゅっと躰を抱きしめる穂高さん。俺を守ってくれるあたたかくて大きな躰を、これから大事にしてあげないとね。 「俺の心に恋の炎を灯してくれたのは、穂高さんなんだから。責任、とってもらわないと」 「違うよ、千秋。君の笑顔が俺の心に火を灯したんだ。だから、責任をとらなきゃならないのは――」  君なのにねとわざわざ耳元で告げて、耳朶をくちゅくちゅっと食むなんて。 「やっ、ダメ……だって、ば。時間、ないのに、っ……って、ぅ、ええっ!?」  いつの間にか着ているシャツのボタンが半分だけ外され、肌けている状態にさせられているじゃないか。 「今更何を驚いているんだい? 自分から積極的に脱いで誘っておきながら」  しれっとしながら堂々と言い放つ穂高さんが、憎らしいったらありゃしない! この手際の良さを仕事で発揮したら、船長さんはとっても喜ぶと思うのにな。 「時間がないのに誘うワケないよ。んもぅ!」 「そんな可愛い顔して怒らないでくれ。プレゼントにはオマケがつきものだ。それに君が『穂高さんのもあるんだよね?』と訊ねた時点で、自動的に千秋アンテナが起動してしまってね。ふっ」 「……あの言葉でどうして、そんなモノが起動するんだよ。カッコつけて笑っても、全然ときめかないんだから!」 「とか何とか言ってるが、顔が真っ赤になっているよ。もっともっと、ときめかせてあげるから、指輪と一緒に嵌めさせてくれ」  俺の反論も何のその。穂高さんは簡単に俺を押し倒して時間のない中、一生懸命に頑張ってくれた。  本当は感動に浸っていたかったのに、こうなってしまう展開が俺達らしくて、笑い合いながら抱き合ったんだ。今、この瞬間の幸せを噛みしめるように――。

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