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Final Stage 第6章:恋の炎は心の芯に灯し続ける2

***  翌年の夏、就職試験を受けるべく俺はひとりフェリーに揺られながら、穂高さんが住んでいる島を目指していた。  デッキから見える遠くにある島の風景を、ぼんやりしながら眺める。今頃穂高さんは落ち着かない様子で、俺のことを待ち構えているんだろうな。  愛しい恋人のことを考えて口元が緩んでしまったのだけれど、その一方で不安要素がチラチラと脳裏を横切る。  視線を島から手すりを掴んでいる、手元に移した。  左手薬指のリング――これを付けたまま年末、実家に顔を出したんだ。  すべてを語るには問題のありすぎる恋愛に島の就職先のことなど、猛反対にしかならない現状に、一部分を告げるのがやっとだろうなと思いながら、両親と顔を突き合わせた。  家族が過ごすリビングじゃなく、客間に通された俺。それに違和感を覚えつつ客間に敷かれた真新しい畳の香りを感じながら、きちんと正座をして頭を下げる。 「お久しぶりです。お父さん、お母さん」  精一杯の虚勢を張って、大きな声を出してやった。  場に漂うイヤな雰囲気は、大学を通うために家を出たときの大喧嘩の模様をそのまま引きずっている状態だった。今直ぐにでも帰りたくなってしまったのだけれど、逃げるワケにはいかない。  顔を上げた不肖の息子を見る、お父さんの眼差しが冷たいことこの上ない。そんな視線をやり過ごして、目の前に敷いてある座布団へにじり寄り、何食わぬ顔をしたまま、すとんと座った。 「……何だ、その指輪は?」  どこか、感情を押し殺した声で訊ねられる。  両手をついて頭を下げたときに、一番最初に目についたのかもしれない。穂高さんのくれたリングは、どこから見ても光り輝いてしまうから。  下くちびるを噛みしめた俺と明らかに怒っているお父さんを、微妙な表情を浮かべて視線だけでお母さんは見ていた。お父さんの隣に並んで座っているせいか、とても小さく見える。 「あの、これは――」 「家から出てひとりで生活して、一端《いっぱし》の大人になったつもりなのか? それとも好き勝手やった挙句に相手を妊娠させて、責任をとるためにつけられた首輪なのかもな」 「違います、そんなんじゃないっ!」 「そうよ、アナタ。千秋はそんな、軽率なことをするコじゃありませんもの。アナタに似て、しっかりしているんですから」 「だったら相手は、相当な食わせ者だということだな。しっかりした千秋をたぶらかし、まんまと財産をせしめようとしているんだから」  お父さんの言葉に、ため息しか出ない。全然、話にならない状態だ――。 「相手の人は、俺の素性を知りません。どこにでもいる男だと思っているハズです。それに妊娠は絶対にありえません」  両膝に置いた手に力を入れて、ぎゅっと拳を作った。あらゆる罵詈雑言に耐える準備をする。 「ほらね。千秋は、清い交際をしているのよ。それに責任感が人一倍強いから指輪をして、彼女を安心させているに違いないわ」 「違うんだ、お母さん。これは……この指輪は貰ったものなんだ、年上の人に」 「えっ!? 年上の方なの?」  口元を押さえて驚くお母さんの横で、鼻を鳴らして吹き出すお父さん。 「何だ、お前。年上の女の色香やられて、たぶらかされたのか。情けない!」 「たぶらかされてなんていない。俺たちは愛し合っているんです、真剣に! だから就職先も、その人のいる島にしようって考えていて――」 「島、だと!? 何だ、それは……。相手は外国人なのか?」 (――ああ、話がややこしくなってしまった。ますます同性だって言えないや) 「相手はイタリア人と日本人のハーフで、島の場所は北海道の傍にあります。ちゃんとした国内ですから」 「ほほぅ、イタリア人のハーフで年上ねぇ。世間知らずのお前がコロッと騙されるには、もってこいの逸材じゃないか」 「そうですね、否定はしません」  お父さんの言葉の通りだ。穂高さんを好きになる前から気になってしまい、惹かれたのだから。磁石に引き寄せられる金属みたいに惹かれて、好きになってしまった。同性なんて関係なく――。  軽くため息をついて、大きな窓ガラスから見える日本庭園に視線を移した。  手入れのよく行き届いた植栽の下に、水の流れを描いた白砂が日の光を浴びて目に眩しく映った。だけど無造作に置かれているたくさんの石が、どうにも墓石に見えてならないんだ。  せっかくの枯山水なのに――まるで体裁だけ整えてる、俺たち家族みたいに見える。 「そういう輩は、どうせ水商売しか働く場所がないだろう。いい加減に目を覚まし、さっさと別れて家に戻って来なさい」 「自分の働いているところ以外、否とお考えのお父さんには、現在の彼の職種はまったく理解できないと思います。だけど一生懸命に働いてる姿を見れば、きっと――」 「何が一生懸命だ、くだらない。生きるために一生懸命になるのは、当然のことだろう」  彼という言葉に触れられず、違うところにツッコミがなされてしまったため、内心頭を抱えた。さらっと流すように、堂々と言ってしまったのがいけなかったのかな。  隣にいるお母さんは、どこかきょとんとした顔をして俺を見つめた。 「千秋、お前はこの家の息子として生まれてきたんだ。先祖代々守ってきたお墓と同じく、会社も守らねばならない立場にあるんだぞ。それが祖先としての務めなのだからな」 「仰る意味は、重々承知しています。昔から言われ続けていたことですから。ですが俺は会社のためじゃなく、自分の人生を全うしたいんです」 「はっ……好きなことをして、日々を過ごすというのか。何て勿体無い時間の使い方だろうか」  この人は――お父さんは会社のためだけに尽力してきた人だから、俺の考えが理解できないだろうな。 「……あの、質問していいですか?」 「何だ?」  眉間にシワを寄せ、あからさまに不快感を示しながら睨まれても全然怖くはなかった。心の中に穂高さんのくれた、あたたかい炎が燃えていて、俺に勇気を与えてくれたから。  ――穂高さんを想うだけで、強くなれる自分がいる。 「お父さんは会社を継ぐ前に、何かやりたいことはなかったんですか?」  俺の質問に一瞬だけ片目のマブタが引くついたけど、すぐに眼光を鋭くして首を横に振った。 「そんなものはない!」  ――ウソだ、絶対に何かがあったはず。 「俺は大好きな人の傍にいたいからその人の近くにいられるように、就活をしました。来年試験を受ける手筈も整えたんです」 「くだらない……。誰もが知ってるAOグループの名前を出し、深い関わりがあることを告げれば、尻尾を振って飛びつくだろうに」  今度は俺が首を横に振る。何を言ってるんだという、どこか小バカにした表情を浮かべながら微笑んでみた。 「国内の中小企業の名前を出したところで、相手は飛びつきません。その人は世界のホテルチェーンを牛耳る、ベルリーニの血を受け継いだ方なんですよ」 「なっ――!?」 「……お父さんのその顔、情けないくらいに心情が漏れています。瞬間的に思ったでしょ、千秋お前、でかしたって」 「それはっ、その……」  さっきまでの威厳はどこへやら。口元に手をやり、視線をあちこちに泳がせる。大事な場面でそうやって心情を晒してしまうから、いつまで経っても重役のトップになれないんだ。 「親が子どもの幸せを思うのは、当然のことだと分かります。けれどお父さんはそれを、何でもビジネスに結び付けてしまう。俺はそれが、すっごくイヤでした。家にいたくないくらいに」 「…………」 「最初は、ただの反抗心だったのかもしれない。自分の力で何でもできるんだということを見せつけるのに、家を出て大学に通って自活をしました。外に出て、初めて思い知りました。いかに恵まれた環境で、保護されるように暮らしていたんだろうって」  恵まれすぎて、見えないものがたくさんあったことも思い知った。  穂高さんに出逢ってからは俺の全部を包み込むような優しさで愛され、それに応えたくて同じように愛することを知ったんだ。 「俺たちの交際を認めてもらうために、ベルリーニ氏に直接お逢いしました。とても緊張したけど、それ以上に興味があったんです。どんな方だろうって。自分の父親のように俺たちの交際を、ビジネスに持ち込む方なのかな、と」 「アナタ……」  ムスッとしたままでいるお父さんを宥めるように、お母さんが肩を叩く。  相手の親と比較する俺の言葉は、きっとキズつけてしまうものかもしれない。だけどもっと広い視野で物事を見てほしいから、ちゃんと告げなければならないだろう、自分の本心も一緒に。 「ベルリーニ氏に出会い頭、試されるようなことをされたり言われたりして、すごく混乱させられました。追い詰められると人は自分の本音を口にするだろうということで、見事に試されてしまったんです。とても厳しく、思慮深い方でした。お蔭で自分の弱さや直さなければならないところを教えてくださり、それだけじゃなく……。恋人と付き合うことを認めていただけました」  とっても懐が広くて、あたたかかった穂高さんのお父さん。この方が自分の父親だったら、もしかしたら会社を継いでいたかもしれない。 「それに恋人は、ベルリーニ氏の血を継いでますが、私生児なので日本にずっと暮らしています。ただの親子関係ということで、会社関係の利権は発生しません。そして俺もAOグループに就職する気もなければ、お父さんの役職を継ぐ意思もありません」  腰を引きり、座布団からズリ下がって、すっと姿勢を正した。 「次回ここへお伺いするときには、恋人を一緒に連れて来ます。それが俺たち親子にとって、最後の挨拶になるでしょう」 「自分が何を言ってるのか、分かっているのか!?」 「未来にどんな苦労が待ち構えていても、自分の人生を歩きたいんです。恋人と一緒に、仲良く並んで歩んでいきたい。ふたりなら、どんなことでも抗えるという自信があるんです」  ハッキリと言い切り、両手を付きながら頭を下げて、さっさと客間を後にする。  襖を閉めるときに、大きなため息が耳に聞こえてきた。  多分、お父さんのものだろう。AOグループに就職しないというだけじゃなく、親子の縁を切ると告げた俺の言葉に頭を抱えているだろうから。  右手に見える日本庭園を眺めながら、長い廊下を肩を落として歩く。次にここへ来るときは、穂高さんもこの庭を見るんだなとぼんやり考えていたら。 「千秋っ」  珍しくぱたぱたと足音をたてて、お母さんが走り寄って来た。その呼びかけに振り返って、か細く微笑んでみる。  第一声、何て言ったらいいか分からなかった。お母さんの必死な形相を何とかしたくて、微笑むことしかできずにいた。 「千秋、アナタのお相手の方って男性……なの?」  聞き間違いであってほしいと願うその顔色に、違うよって答えられたら、どんなに楽だろうか。異性なら堂々と紹介して、お母さんと仲良くしてもらうのにな。 「……そうだよ。お父さんにスルーされて、内心安心してるトコ」  肩を竦めて言い放ったら、その場にぺたんと座り込んでしまった。 「お母さん!?」  額に手を当てて俯く姿に、しゃがみ込んで肩を抱き寄せる。 「っ……。どうして、こんなことに――」 「ゴメンね、お母さん。ショックだよね、自分の息子が同性と付き合うなんてこと。だけど、履き違えないでほしいんだ。お母さんの育て方が誤ったから、こんなことになってしまったなんて、絶対に思わないで」 「ち、あき……」  細い肩を震わせながら、恐るおそる俺の顔を見上げた。 「俺だって最初っから、こんな趣味していなかったんだよ。ただ憧れていただけだったのに、いつの間にか好きになっちゃって。勿論、軽い気持ちで好きになったんじゃないけどもしかしたら、こんな恋愛をしたのはお母さんの姿をずっと見ていたからかもね」  苦笑いしながら告げると、やるせなさそうな表情をして視線を伏せる。  お母さんは好きで、お父さんと一緒になったんじゃない。理由は後から知ったんだけど子どもの目から見ても、ふたりに恋愛感情というものがないのは、手に取るように分かっていた。  隣の県にある、おじいさんの作った不動産会社。手厚いサービスなど地域に密着していた不動産会社として人気があったお蔭で、そこそこ手を広げていたのだけれどおじいさんが亡くなった途端に、経営が一気に傾いてしまった。  折りしも高度成長期が終わり、どこの企業も必死になっている時期だった。AOグループがいち早く動いて会社をフランチャイズ化し、一緒に頑張りましょうと手を差し伸べてきたそうだ。  おじいさんに代わり経営を担っていたお母さんは、それに反対したのだけれど、お母さんのお母さん……ばあやは、おじいさんが残した会社を、何としてでも残したかったらしい。  AOグループとの絆を強くすべく、娘であるお母さんを差し出した――当時、付き合ってる恋人がいたのに、強引に別れさせて。  俺はそんな風に、会社の人柱になりたくない。好きな人と一緒にいたい、だから――。 「これからばあやのいる施設に行くんだけど、一緒に行かない? 顔を出したら、きっと喜ぶと思うんだ」  お母さんの手を掴み、引っ張って立ち上がらせた。俺の問いかけに、力なく首を横に振る。 「親不孝をしてる自分が言うのも何だけど、ばあやもいいお年なんだ。昔のことがあって、逢いたくない気持ちも分かるけどさ。ちょっとだけでも、顔を出せないかな?」  動き出してしまった時間は、もう元には戻らない。どんなことがあっても、今を生きなくちゃいけない。だけど憎しみを持ったまま、生き続けるのは辛いだろう。少しでも前を向いてほしいから、俺は手を差し伸べる。  ――お母さんとばあやの、心からの笑顔が見たいから。 「そっか……。でもさ、少しでも行きたくなったら、遠慮せずに声をかけて。俺も一緒に顔を出すよ」  不肖の息子だけど、自分にできることがあるなら進んでしてあげたい。  そう思いながらお母さんにさよならを告げて、実家を後にしたあの日。胸の中のしこりは完全に取りきれないままだけど、迷いなくまっすぐに歩いていけるのは、穂高さんのお蔭なんだ。  遠くに見えていた島が、目の前にはっきりと姿を現した。岸壁にいる穂高さんの姿と、あと――。 「康弘くんや、漁協のおばちゃんたちまでいるよ。しかも横断幕つきって、一体?」  手書きの大きな文字で『ちーちゃん、お帰り。がんばれ!』なぁんて書かれてある。  横断幕の傍にいる穂高さんは終始ニコニコしながら、それを眺めつつ、フェリーに視線を飛ばしていた。その姿を目にするなり、慌てて甲板の影に隠れてしまった。 「……うっ、こんなことで、うっ……涙が溢れてくるなんて、情けない」  俺を心底愛してくれる恋人と、あったかい島の人たちに囲まれて本当に幸せだ。  滲んでくる涙を必死になって拭い、奥歯をぎゅっと噛みしめた。とびきりの笑顔で、挨拶しなきゃならないって思ったから。心からの笑顔で応えなきゃいけないよね――。

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