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Final Stage 第6章:恋の炎は心の芯に灯し続ける7

穂高(と千秋)の苦難 その3  ベッドでふと目が覚めたとき、隣に千秋がいることを幸せに感じてしまった。ぼんやりとその余韻に浸っていたら頬にキスをされてしまい、かなり驚いてしまったという経緯がある。  俺の顔をじっと見つめて柔らかく微笑んでくれる千秋が、無性に眩しくて胸が痛くなり、思わず涙ぐんでしまう始末。  そんな情けない自分を見られたくなくて、慌ててベッドを飛び出し、洗面所に向かったのだが――。 「ゲッ! 何だ、この酷い顔は……( ̄□||||」  目の前にある鏡を見たら、見たことのないくらいの憐れなやつれ方をしていた。こんな顔を見たら、必然的に千秋が気を遣うだろう。何をやってるんだ、今日は就職試験という大事な日だというのに。 「しかもこんな顔になった理由を知ったら、絶対に嫌われる。口が避けても言えない……」  俺のバカ~と心の中で叫びながらバシャバシャと激しく顔を洗っていると、背中に何かが当たった衝撃を感じた。予め首にかけていたタオルで、慌てて顔を拭う。 『……朝ご飯を作るの、俺も手伝っていい?』  なんて、またしても気を遣ってくれる千秋の言葉に、困り果てるしかない。 『少しでも傍にいたいから。いいでしょ?』  断れないような言葉を言い放ち、両腕で俺の顔を引き寄せるなり、触れるだけのキスを1回だけする。さっきベッドでしてくれた頬のキスにしても、俺を煽る材料になるのが分かってるのに、自ら率先してやらかしてくれる。 「千秋、駄目だよ」 『どっちが?』  君は気づいているのだろうか。さっきから、ずっと甘えたような声になっていることを。俺としては、妄想の続きを見ている感じだよ。 「勿論、両方に決まってる」  掠れて告げた俺の言葉に、ゆっくりと瞳を閉じた千秋。受け入れてくれるそれに甘えて、くちびるを深く重ねた。  そんでもって現在、台所にて千秋とふたり仲良く並んで朝ご飯の支度をしている。 「ねぇ、穂高さん。サラダに入れるリンゴ、大きく切っていいかな? 薄くスライスしたものより、歯応えがあるのが好きなんだよね」 「いいよ。千秋が作ってくれるものは、何でも食べるから」 「ありがと。じゃあ、はい、あーんして」  大きめにカットしたリンゴを目の前に差し出してくれたので、千秋の指ごとぱくっとかぶりついてやった。 「あっ、もう! 俺の指まで食べないでよ」  目元を少しだけ赤くして睨まれても、全然怖くない。むしろ可愛い――。 「んまい……」 「そうじゃなく! 俺の指を食べていないで、リンゴを食べてみて下さいって。酸味が強かったら、マヨネーズの量を減らそうかなって考えてるから」  千秋の言葉に渋々指を解放して、口の中にあるリンゴをシャリシャリ食べてみた。そういえばリンゴって、酸味があっただろうか?  首を傾げつつ口の中のものを判定する俺を見つめながら、千秋が口を開く。 「塩水につけてるから甘みはあると思うんだけど、酸味はどんな感じになっていますか?」 「……普通にリンゴの味だが」  味をしっかり堪能してから告げてやると、じと目をしながら俺を見上げた千秋。きちんと感想を伝えたのに、どうしてそんな目で見てくれるのやら。 「穂高さんって音痴だけじゃなく、味にもオンチだったりして?」  言いながら新たにリンゴを手に取り、口に放り込む。いい音をさせて食べながら、きゅっと眉根を寄せた。 「これ、結構甘酸っぱいじゃないですか。普通のリンゴは、もっと甘いですよ」 「そうだろうか。ちなみに俺は味オンチじゃない。利き酒ができるレベルだよ。ビールの銘柄を当てられるし、ノンアルコールと生ビールと第3のビールの違いが分かる男として、某所では有名なんだ」 「リンゴの味が分からない人に言われても、説得力がないんですけど」  困った人だなぁとブツブツ言いながら、手際よくサラダを作ってくれた。 「野菜嫌いの穂高さんには、たくさん食べてもらわなきゃ。ちなみに、蜜入りリンゴって食べたことはありますか?」  味噌汁に入れる味噌を溶かしていたら、躰の隙間がないくらいにぴったりと寄り添い、呆れた顔で訊ねてきた。  こういう風に積極的にスキンシップしてくれるのは、結構嬉しいものだね。 「んー、リンゴに蜜なんて入っていただろうか」 「はいはい、分かりました。リンゴが旬の時期に、一緒に食べましょう。それよりも朝から、随分と豪勢なお味噌汁作ったんですね。エビのお頭がたくさん入ってるなんて」  味噌汁が入ってる鍋に顔を近づけ、しげしげと眺め倒す姿に思わず笑みが零れた。 「キズが入って売り物にならなくなったものを、分けてもらったんだ。千秋に食べさせるって言ったら、まるごと戴いてしまったんだよ」 「……それで昨日の晩ご飯に、エビフライがたくさん出たんだ。納得した」 「エビの頭から、いいダシが出て旨いだろうね。美味しい物を食べて千秋が朝から元気になってくれると、俺としては尽くした甲斐があるのだが」  隙だらけの頬にちゅっとキスを落としてあげたら、ダメダメと呟き、俺のくちびるを指で摘まむ。これ以上、手を出させないためなのか抓る力が結構痛いものだった。 「お料理で尽くしてくれるのは有難いんだけど、こういうのはダメ。俺だって、我慢してるんだからね」  プイッと素早く身を翻し、サラダの入ったボールを手にテーブルに向かってしまった千秋を、恨めしく思いながら見つめてしまった。  しかしながら更なる悲劇が、このあと俺を襲ったのである。  それは一緒に朝食を食べ終え、後片付けは俺がやることにして、千秋は就職試験会場に出掛ける支度をしているときだった。 「そろそろ出ないと、間に合わなくなるのでは?」  居間にかかってる壁掛け時計に視線を飛ばしつつ、皿に付いてる洗剤を洗い流していたら。 「大丈夫! あと30分以上は、時間に余裕があるから。穂高さんのお蔭だよ、ありがと」  洗面所から千秋の声が聞こえてきたので何の気なしに見てみると、長めの髪を整髪料で抑えるように整え、ネクタイを締めた姿で颯爽と居間に現れた。紺色のリクルートスーツが細身の躰をより一層、素敵に見せているではないか!  ガチャン!  魅惑的な姿に思わず、持っていた皿を落としてしまった。 「穂高さん!? ちょっと大丈夫?」  物音に驚いた千秋がわざわざ台所にやって来て、シンクの中を覗き込むように見る。 「良かった、お皿は割れてないみたいだね」  惚けた俺をそのままに、出しっぱなしにしている蛇口を閉め、落とした皿を手に取り、じっと眺める。間近で見る見慣れない姿に思わず――。 『作者、是非とも挿絵を描いて、この感動を皆に伝えるんだ!』  心の中で熱く叫んでやった。だってこの話を読んでる皆さんも、ぜひとも見てみたいだろう? 『いえいえ。あえてそこは描きません。ここまで長らくこの作品をお読みくださっている読者さんなら気がついていると思うのですが、尚史の書く文章はスカスカです(・∀・) あえて細かい描写を避けているのは、読者さんにキャラの様子をオリジナルでお楽しみ戴くためだったりするのです』 『俺は普通に作者が手を抜いているか、ワザとボケをかましていると思っていた』 『残念でした、すべて計算ずくなのだよ(・∀・) 例えば遡ってプレィバックしてみると――千秋の髪型ね。長めの髪を整髪料で抑えるように整えって書いてあるけど、具体的にどんな風なのか、まーったく分からないよな。七三で分けて整えているかもしれないし、はたまたオールバックでビシッと固めているかもしれない』 『いや、でもこれは――』 『この文章を読んで、読者さんがどんな千秋を想像するか。十人十色なワケなのだよ! 他にもリクルートスーツは紺色って書いたけど、ネクタイの色はあえて指定せずに、サラッと書き流したことにより、幅が勝手に広がるのです。なのでいろんな千秋を妄想して、お楽しみください(*・ω・)*_ _))ペコリン』 「いろんな千秋が、そこかしこに溢れかえっている……」 「ちょっと穂高さん、大丈夫? 具合でも悪いの?」  手に持っていた皿をシンクに戻して、ぼんやりしている俺の頬をぱしぱしっと叩いた。心配してくれる千秋には悪いが、整っている髪の毛に両手を突っ込んで上向かせつつ、唇を重ねて乱してやりたい気分――。 「……美味しそう」 「何を言ってんの、もう。ワケが分からない」 「ふっ、冗談を言ったまでだよ。それよりネクタイが曲がってる。じっとしていてくれ、直してあげるから」  本当は脱がしたいんだけどなと思いながら、濡れている手をタオルで拭って千秋と向かい合い、右寄りに曲がっているネクタイを真っ直ぐに修正してあげた。  どこに働きに行っても即戦力になりそうな、新人リーマンのでき上がり。 「ありがとうございます。他に変なところはない? 大丈夫かな?」 「大丈夫! どこから見ても立派なサラリーマンにしか見えない。そんな不安そうな顔をしないで、もっと自分に自信を持たなければいけないよ」  スーツが着崩れしないように柔らかく抱きしめ、緊張を解すように背中を叩いてあげた。 「……穂高さんが、傍にいてくれて良かった。すごく安心できちゃうし、それに頑張らなくちゃって思えるから。少し早いけど、行ってくるね」  俺の躰に両腕を回し、一瞬だけ強く抱きついてからパッと離れる千秋。その顔は先程とは違い、自信に満ち溢れていた。 「行ってらっしゃい、精一杯頑張ってくるんだよ」  飛び出して行ってしまう細い背中に大きな声をかけたら、満面の笑みを浮かべて右手を振りながら俺を見る。  ――きっと大丈夫!  その笑顔に応えるように、親指を立ててやった。 「危なかった……」  千秋が出て行き、しんと静まり返る家の中。思わず本音が口から漏れてしまう。  スーツを着ている千秋の破壊力は、相当なものだった。瞼に焼き付けたのを思い出しただけでも、ヨダレが滴ってしまうレベルとか――。 「帰ってきて少しでも時間があったら、迷うことなく抱いてしまうだろうな」  昨日からずっと我慢し続けたというのに、あんな千秋を魅せつけられて、我慢しろって言う方が無理な話だ。  完勃ちしてしまったクララを前に、肩を落してムダにため息をつくしかなかった。

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