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残り火本編第一章 火種2
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「今日も一日、お疲れ様。いつも偉いね」
わざとらしく疲れた表情を作り、重い足取りで店から出てきた俺を、赤い車の前で爽やかに出迎えてくれたリーマン。
「あの俺すっごく疲れているので、ここで失礼させてもらいます!」
さっさとやり過ごすべく、しっかりとお辞儀をし、急いでその場を立ち去ろうとしたら、いきなり腕をぎゅっと掴まれてしまった。おいおい――
「あのぅ……」
いつもはレジに阻まれている身体が、すぐ傍にあった。身長170センチの俺に対し、リーマンはその上をいく、180センチを軽く超えているであろう体格。
それゆえの無言の圧力。――俺が睨んでも何のその、余裕綽々の笑みで見下ろしてきた。
「約束、したでしょ」
「してないですって! ちょっ、うわっ!」
掴んでいる腕を引っ張り、強引に助手席に押し込まれ、パニックに陥るしかない。これって拉致だよ、拉致!
いきなりの出来事に焦る俺を、窓の外からしばし眺め、ニッと笑みを浮かべる。鍵がしっかりかかっていたけど、何とかして開けようと必死になっているところに、運転席に乗り込んできた。
赤い車がコンパクトカーなので、隣に乗られるだけで、触れ合いそうな距離感に、眉根を寄せるしかない。
「降ろして下さい。約束なんてしてないですよ!」
「紺野くん、君は断ってなかったよ。なのでさっきの事はOKしてくれたものだと、俺は判断したんだけどね」
「帰ります! 下ろしてください!」
(――この人、本当にイヤだ)
拒否する態度を示すべく、無言で下からじっと睨み倒してやる。
「……この時間まで待っていた俺に、随分と冷たく当たってくれるんだね。しかもこれからひとりで寂しく、昇進祝いをしろって言うのかい?」
柔らかい口調で話しながら、印象的に見える瞳に、じわりと寂しさを滲ませて、俺の視線を受けた。
「そ、それは……」
『アンタの勝手だろ!』と怒鳴ってやりたかったけど、それを言わせてくれない雰囲気を、ひしひしと漂わせるなんて、本当に卑怯だ。
悔しさのあまり、両拳をぎゅっと握りしめた。
「俺は井上 穂高 。すぐ傍にある峠の夜景を一緒に見たら、紺野くんを家まで送るよ。それが終われば、無事に解放してあげる」
それが終われば、解放されるんだな。――これ以上、押し問答しても時間の無駄だし、それにこの人に文句を言っても無理そうだ。
「分りました、井上さん。ご一緒しますけど、さっきも言ったように俺、結構疲れているので、早くお願いしますね」
渋々快諾してシートベルトを装着したら、目を見開いてからふわりと微笑み、表情を一気に明るくした。
井上さんもシートベルトをつけてハンドルを握りしめると、何かを思いついたのか、一瞬だけ動きを止めて、わざわざ俺の顔を覗き込んでくる。
この人の動き、いちいち妙に目を惹く。何故だか分からないけど、目で追ってしまう自分がいた。
「紺野くんの名前、何?」
「……紺野 千秋です」
「千秋、くんか。いい響きだね」
嬉しそうな顔して呟くと、勢いよくアクセルを踏み込んだ。周りの景色が、あっという間に流れていく。
車窓の外に目を奪われていると、運転席側の窓を少し開け、背広から煙草を取り出した。
「煙草吸っても、大丈夫?」
「どうぞ……」
俺に聞く前に、吸う気が満々だろ。既に煙草を、しっかりと咥えているじゃないか。
ポケットからシルバーのジッポを取り出し、キンといい音をさせて蓋を開け、ゆっくりと煙草に火をつけた。
動きのひとつひとつが、洗練された大人の男って感じに見える。自分もいつか、こんな風になれるんだろうか?
紫煙を吐き出して、前を見据える姿を、無意識にじっと見つめてしまった。
「千秋くんは煙草、吸わないのかい?」
目の前にある信号が赤になった途端、にこやかな笑みを浮かべて話しかけられ、ハッと我に返った。
井上さんの視線を慌てて視線を外したけど、見惚れていたのがバレてしまっただろうか。
「貧乏学生なので、そんな余裕はないっていうか」
「俺もそうだった。煙草を吸い始めたのは、社会人になってから」
「そう、ですか……」
もう一度視線を隣に移して見ると、まだ長い煙草を灰皿に押しつける姿だった。
「煙、キツかっただろ。大丈夫かい?」
「あ、……大丈夫です。すみません、気を遣わせてしまって」
そんな気遣いに目をぱちくりさせたら、首を少し傾げて前を見据える。そしてスムーズに車を発進させた。
「俺って千秋くんから見て、変な人に見えるかい?」
唐突な質問に、正直言葉が出ない。
――変というか何というか。自分の手には、かなり余りまくる人っていうのが、質問の答えだけど、それをハッキリと言っちゃ失礼だ。
「変だとは思いませんが、俺の周りにはいない、大人だなって思いまして」
結構強引で、見た目がカッコイイ上に、気の利いた優しいところもある。女のコなら喜んで、飛びつかれる男だろう。
「だから、さっきから見ていたのか。納得」
「え――!?」
「変だから、物珍しく見られていたのかと思ったんだ。……興味をもたれるのは、イヤなことじゃないけどね」
言いながらまた煙草を取り出して、すっと口に咥える。
「火は点けない、ポーズだけにしておく。口寂しさを紛らわすだけ」
艶っぽく笑ったと思ったらウインカーを出して、勢いよく右折した。その勢いに、身体がぐらりと動いてしまう。
「わっ!?」
「おっと。……済まないね」
済まないと言ったクセに、どこか楽し気な表情を浮かべ、左腕で俺の身体を元に戻す様子に、イラッとしたのだが。次の瞬間、鼻を掠める上品な香りに意味なく、どぎまぎしてしまった。
「千秋くん、表情がくるくる変わって面白い」
「それって俺が、ガキだって言いたいんでしょうか?」
どことなく、からかいを含んだ言葉にムッとするしかない。
「そうじゃないよ。お店では見られない顔だなと思っただけ。何だか、新鮮に映ったんだ」
苛立つ俺を横目で見つつ、どこか笑いを堪える姿は、小バカにされているようにしか思えなかった。
「……そんな風にしてる、不機嫌な顔もいい。泣かせてみたいね」
「泣きません、絶対に!」
ふたりで全くかみ合わない会話をいていると、見晴らしのいい景色が眺めることの出来る、峠の中腹に到着した。脇にある駐車場に車を停める。
「頂上よりもここの方が、景色を一望出来るんだ。どうぞ」
助手席のドアを開けて降りるよう、外に促してくれた。中にいる自分では開けられないから、当然なんだけど。
そんなことを考え、ちょっとだけふて腐れながら、目の前に広がる景色に、渋々視線を飛ばしてみた。
山から見下ろす夜景は、街灯がキラキラ瞬いていて、思わず目を奪われる。真夜中だから、走っている車が少ない中で、たまに見えるヘッドライトが流れ星みたいだ。
夜景に食らいつく、俺の横にそっと並んで、口に咥えていた煙草に火を点け、美味しそうに吸い込んだ井上さん。
「……吸ってみる?」
「へっ!?」
唐突な質問を流し目で見ながら言い放ち、焦る俺をじぃっと見下ろしてきた。
「ん……。ほら」
細長い指に挟まれた煙草を、半ば強引に手渡される。恐るおそるといった感じでそれを手にして、井上さんと煙草を交互に見ながらオドオドした。
「軽く、すーって吸い込んでごらん」
慌てふためく俺に、印象的な闇色の瞳を細めて教えてくる。
「は、はぃ」
言われたとおり、ストローでジュースを吸うような感覚で吸ってみた。
軽く吸い込んでみたら、むせることなく口から吐き出される煙が、目の前にふわりと広がっていった。
(――何だか、ちょっとだけ大人になった気分)
はにかみながら井上さんを見上げると、俺が持っていた煙草を摘み取り、自分の口に咥える。
「美味いモンでもないだろ」
その口ぶりとは裏腹に、実に美味しそうに吸っていた。
「はあ、そうですね」
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