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残り火本編第一章 火種3

「それが分かったなら、吸わない事をオススメするよ。中毒性が高いから。だけど……」  一旦言葉を止めて煙草を吸い、ゆっくりと紫煙を吐き出す。その口元はどこか、嬉しそうな笑みが湛えられていて、それだけで妖艶な姿に見えた。  ……何も考えないで吸っちゃったけど、よく考えたらこの人と、間接キスしちゃったんだ俺。 「だけどこれのお陰で千秋くんに出逢えたから、悪いことばかりでもないんだよな。ちゃんと感謝しながら吸わないと」  喉で低く笑いながら、俺から視線を逸らし、前方に広がる夜景を眺める。 「でも吸い過ぎは、身体に良くないと思いますよ」 「ん……。だから一日一箱にしてる。それ以上は買ってないでしょ?」 「そうですけど。でも他の店や自販機で買ってたら、俺に見つからず誤魔化せますよね」  人がわざわざ心配して言っているのに、どこか楽しそうにしている井上さん。何を考えているのか、全然分からない。 「誤魔化さないよ。君のトコでしか買ってない、神に誓ってもいいよ」 「どうだか」  俺が肩をすくめると、大きな声をたてて笑った。 「ハハッ、千秋くんから見たら、俺は不審者らしいからね。しょうがないか。……そろそろ冷えてきた。寒くないかい?」 「少しだけ……」 「そう、じゃあ帰ろうか」  煙草を咥えたまま助手席のドアを開けて、中に促してくれる。スムーズに乗り込んだ俺の身体に交差するように、井上さんが上半身を入れてきた。  咥えていた煙草を消すために、灰皿で処理をしようとしてるのを、目の当たりにしているんだけど―― 「あっ、あれっ!?」  何故だかシートが倒れていく。……ゆっくりと自動的に。まるで歯医者さんで治療される感じだ。  起き上がろうとしたら、両肩を掴まれてぎゅっとシートに押し付ける。 「ちょっ、何するんですかっ!?」 「何って、昇進祝いの徴収」  その言葉の意味が分からず唖然とする中、助手席の扉がしっかりと閉められてしまった。 「普段使いの電動リクライニングは楽だけど、こういう場面には、まったくそぐわないね」 「はぁあ!?」 「千秋くんの身体、結構冷えてる。あったまることをしてあげるよ」  いつもは冷たい井上さんの手が、頬を撫でる様に触れてきた。その手がえらく熱く感じる。俺の身体が冷えているせいだろうか。 「あったまることなんてしないでください。退いてくださ――」  最後まで言えなかったのは、口を塞がれたから。 「っ、……んっ!」  突然の出来事に身体と思考、両方が停止してしまった。だけどハッキリと伝わってくるくちびるの感覚が、妙に艶めかしくてやけにリアルだ。  角度を変えて更に、俺のくちびるを食みながら、しつこいくらいに攻めてくる。今まで感じたことのないゾクゾクとしたものが、身体を駆け抜けていった。 「……煙草の次は、キスが初体験だったりするのかい?」 「うっ、男とはそんなこと、普通はしませんからねっ」  わめく俺に余裕な表情を浮かべ、ゆるりと首を傾げる。 「気持ちよくしてあげるよ。身体もあったまるし」 「しないで下さいっさっ! さっきから悪寒が走ってます!」 「そう。……じゃあ別の意味で、もっとゾクゾクさせてあげようか?」  怜悧な瞳が俺を見下ろし、何かを探るように眺めた。 「イヤだっ、離して!」 「離さないよ、絶対に。君を俺のモノにする」  抵抗しかけた俺の両腕をあっさり掴んで、動きを封じられてしまう。 「……ずっと君を見ていたよ千秋。健気にお客さんに尽くす姿に、俺は釘付けだった」 「そんなっ、……のっ、仕事だから当たり前、だって」 「そうかもしれないけどね。それでも俺は、そんな君の姿に癒されていた。好きになったんだ」  ――好きと耳元でもう一度呟き、首筋をなぞるようにくちびるが下りていく。  宣言されたように別の意味で、身体にゾクゾクしたものを感じてしまった。くすぐったいのとは明らかに違う何かが、皮膚の上を走っていく。くちびると舌を使って、ゆっくりとなぞられる動きに、何度も身体をビクつかせるしかない。 「やめっ、……あっ、ンっ!」  うなじにふわっと吐息がかかって、余計にゾクゾクしてしまい、思わず変な声が出てしまった。何か自分のものじゃないみたいだ。  着ているTシャツの襟首に無理矢理口元を入れて、首の付け根から肩へと舌をはわせていった次の瞬間、 「っ、……痛っ!」  咬みつかれた痛みが、肩の真ん中あたりでしたのだが――何やってんだよ、この人! 「ゴメン、痛くしてしまって」 「井上さん、思いっきり咬んだでしょ」  あまりの痛さに、涙が滲んでしまった。 「……咬んだ。俺のだっていう印、付けたかったから」 (ワケが分からないよ……。俺のことが好きなんて言ったり、一体どんな趣味をしているんだろう) 「俺は誰のものにもなりません。勿論、井上さんも含めてです」 「絶対に、俺のものにする!」  低い声で告げた言葉に、ますますイライラするしかない。強引にも程がある。 「イヤです!!」  本当はもっと、拒否る言葉をたくさん言いたかった。だのに井上さんの言葉には強い何かがあって、見えないそれが胸を疼かせる。艶っぽくて低い声が、俺の心の中に忍び込んでくるみたいで、すごく怖かった。 「泣かせてみたいねとは言ったけど、違う意味で泣かせてしまったね」  咬まれた痕がジンジンと傷む。一緒に胸の中も痛み始めた。いろんなことを立て続けにされたせいで、言葉が出てこない。  抵抗も説得も出来なかった悔しさに、下くちびるを噛みしめ俯いたら、肩を咬まれたときに溜まっていた涙が、ゆっくりと頬を伝っていった。その涙を舌先で掬い取り、井上さんのくちびるが優しく頬に押しあてられる。  どこか宥めるような、優しいキス―― 「っ、……も、いい加減に、やめて……、ください」 「じゃあ君に、選ばせてあげようか。ひとつは俺とキスをする。もうひとつは――」  俺の顔を意味ありげに覗き込んでから、視線をふたりの身体の間に移していった。釣られるようにその場所を見た途端、井上さんの下半身が自分の下半身に押し当てられてしまって。 「あぁっ!? なっ……」  革張りのシートが、ギュッギュッと音をたてて車内に鳴り響く。それを聞いただけで、ぶわっと頬が熱をもったのが分かったのだけれど、頬だけじゃなく大事な部分にも――  お互い布で阻まれているのにも関わらず、ムダに猛っているせいで、ちょっとの刺激にも、敏感に感じてしまった。 「俺のネクタイで君を縛り上げて拘束し、徹底的にココを可愛がってあげる。なぁんていう二択なんだけど、どっちを選ぶ千秋?」  いたずらっ子のような顔して言ってるのに、告げられた言葉は卑猥なことそのもので。しかも選べと言われてもどっちを選ぶかなんて、火を見るよりも明らかだ。 「……選んだら解放してくださいよ、約束してください」 「分かった、きちんと守ってあげる」 「じゃあ、キスを選びます」 「随分と感じてるココ、放っておいて大丈夫かい?」  キスってはっきりと告げてる傍から、何を心配してくれてるんだっ。余計なお世話だよ。 「かっ、構わないでください」 「痩せ我慢して。……可愛いね千秋」 「さっさとしてください、疲れているんです」  さりげなく早く帰りたいをアピールしたのに、何故だか色っぽい形をしたくちびるの口角が上がる。その姿に、自然と不安が募っていった。 「絶対に約束、守ってくださいよ」  大事なことだからこそ、念を押して言ったのだけれど。  井上さんは意味深な笑みを浮かべたまま、不機嫌な俺を食い入るように見つめてきた。 「勿論さ。だから君も逃げずに俺の想い、きちんと受け止めてほしい。抵抗したら――」 「分かってます! 抵抗しませんから、もうやっちゃってください」  本当はすごくイヤだけど、しょうがない。それにキスなんて、一瞬で終わるものだろうし。とにかくガマンだ!  傍から見る自分のキスされる絵面を、ぼんやりと頭の中で描いて寒気がした時に。 「好きだよ、千秋……」  甘い囁きとともに井上さんのくちびるが、俺のくちびるにそっと触れてきた。  その後、滑り込むように舌が入れられ。――舌と舌が絡み合うように触れ合った瞬間から、今まで味わったことのない変な味を感じた。  さっき吸わせてもらった、煙草を濃くした感じ。ほろ苦いというか酸っぱいというか、表現しにくい妙な味だ。    それをイヤだと感じて顔を背けても、しっかりとくちびるを押し付けて追いかけてくる。 「はっ、……んんっ、あぁ、あっ……」  そのせいで、呼吸が上手く出来ない。だからだろうか、頭の芯がジンジンしていくとともに、身体が徐々に痺れてきた。  逃がさないと言わんばかりに、いきなりキュッと下くちびるを食み、俺の動きを止めてから、強弱をつけて吸い上げ、ゆっくりと舐めあげる。 「ン、やめ……」 「抵抗は、なしだ……」  喘いだ俺の口をまたしても塞いで、言葉を無理矢理に消された。  両手で俺の顔を包み込み、逃げないように固定して、激しく舌を出し入れされる。さっきよりも卑猥な音がして、頭がおかしくなりそうだ。 「やっ、……くっ……」  ……苦しい。――たかがキスなのに、何でこんなに苦しい目に遭わなきゃならないんだよ。なんでこんなに身体が疼いてしまって。――身体が異様に熱い。腰から下が、すごくジンジンしてる。下半身なんてもう……  痺れかけた全身が、残念なことに井上さんを求めていた。無意識に伸ばした手で彼をぎゅっと掴むと、それまで激しく出入りさせていた舌を止めて、今度は上くちびるを優しく食む。 「ンンっ……」  その絶妙な力加減に、身体をビクつかせながら、自分のものとは思えない、妙に甘い声が出てしまった。 「感じてる千秋の顔、堪らないね」  優しい声で告げてから、触れるだけのくちづけをし、身体をぎゅっと抱きしめる。 「これが俺の気持ち。分かってくれたかい?」  耳元で囁かれた言葉を、きっちりと否定してあげたかった。だけど激しいキスをされたお陰で、思考停止状態の俺。 「……分かりました」  やっと口から出た自分のセリフが、後に厄介な事態を招くことになろうとは、この時は思ってもいなかった。

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