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残り火本編第一章 火種8
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「お疲れ様でした!」
元気よく一声かけてから店を出ると、珍しく井上さんは車の中で待っていた。
「今日は一段と冷え込んでるもんな。雪が降りそう……」
キンと冷え込む空気を肌で感じつつ、白い息を吐いて身震いしながら、車の横を通り過ぎると、俺に気がついて車から出て来る。
「今日もお疲れ様、千秋」
――いつもより鼻にかかった声。
「井上さん、風邪引いてるでしょ。身体のために帰った方がいいですよ。すっごく外、寒いんだし」
「いいや。一緒に歩く」
予想通り強引さが発動され、小さく震えながら隣を歩いてきた。ああ、もう面倒くさいな。
「昨日は大丈夫だったのに、いきなり風邪を引いたんですね。疲れが溜まっているんじゃないですか?」
毎晩遅くまでここに出待ちして、朝だってきちんと起きて仕事に行ってるだろうに。
「へっくしゅんっ! 部屋の空気が乾燥していたらしい。疲れからじゃない」
強情な人だなぁ、呆れ果ててしまうよ。
「……ウチに寄って行ってもいいですよ。あたたかいお茶くらい出します。それ飲んでから帰ってくださいね」
「いいのかい?」
鼻をグズグズさせながら、嬉しそうに聞いてきた。
「ただし、何もしないことが条件ですけど」
「もちろん! へっくしゅっ! 何もしない」
「風邪もうつさないでくださいね……」
あまりにも不憫だったので、仕方なく家に招くことにしたのに玄関に入った途端、いきなり後ろから抱きすくめられてしまった。
「っ!? ちょっ、何して……」
「……千秋、あったか、い」
もしかして――
顔を引きつらせながら井上さんの額に手を当ててみると、すっごく熱くなっているではないか!
「井上さん、アンタ熱があるじゃないですかっ!」
「ん……。千秋にお熱」
俺の顔の横ではにかむように笑いながら、更にぎゅっと抱きしめてくる。
「そうじゃないでしょ! 絶対に風邪からくる熱ですって。もう!」
毎晩毎晩、寒い中を車の外で待っていた。疲れで身体が弱ってるせいで、風邪を引いたに違いない。変な情をかけずにとっとと追い払っていたら、体調を崩さずに済んだだろう。半分くらいは俺の責任でもある。
背後霊のようにくっついてる大きな身体を引きずり、玄関からリビングに到着して、絡んでる腕をべりべりと引き剥がした。クローゼットの中にある衣装ケースから、急いでパジャマを取り出し、井上さんに投げつける。
「今、着てるそれ脱いで、これに着替えてください」
てきぱき指示して小さなポータブルストーブを引っ張り出し、すかさず電源を入れた。そしてベッドに電気毛布を敷いて、同じく電源を入れてやる。ベッドから振り返ると、もたもたしてる井上さんが、やっとという感じでパジャマに着替えていた。
何だか、ムダにデカい子どもに見えるかも――
「ああ、ちょっと貸して下さい。やってあげます」
パジャマのボタンにまごついていたので手早くかけてあげると、頭の上から嬉しそうな声がする。
「何か。……千秋が天使に、見える」
熱で頭がおかしくなったんだろうか。井上さんの言葉に、激しく顔を引きつらせて仰ぎ見ると、熱で潤んだ視線が俺とぶつかった。
「はいはい。こっちに来て、さっさと寝て下さいね」
まるで誘うようなそれに一瞬だけドキッとしてしまい、慌てて顔を背けて井上さんの背中を無理矢理押しながら、ベッドに誘導する。電気毛布の暖かさが利いた、布団の中に押し込んだというのに。
「……寒、い……」
身体をブルブル震わせながら布団を肩口まで引っ張り、ぎゅっと握りしめる姿。
(――おかしいな、温度は一番高くしているハズなのに)
首を傾げて布団の中に手を突っ込むと、やはり暖かい。むしろ井上さんの体温が高いので、もわぁとしたあたたかさが伝わってくる。
「はい、体温測ってください。今、風邪薬持ってきますから」
こんな具合の悪い状態で俺を待っていたなんて、本当に信じられない。いい大人なのに自分の体調管理くらい、しっかりしろよな。
井上さんに体温計を握らせ、風邪薬を仕舞ってあるカラーボックスの中の引き出しに、急いで手を伸ばした。
「確か、総合感冒薬だったよな。大人は3錠っと」
水の入ったコップと錠剤を持ってベッドに戻ると、タイミングよく体温計測済みの音が鳴った。
「起きて下さい。これ風邪薬です、飲んで下さい」
肩を抱き起こして体温計と物々交換。液晶画面を見てみると、三十七度八分と表示されていた。
思っていた以上に体温が高くないぞ。この体温でフラフラになって、倒れこむとかおかしい――
疑惑の眼差しで目の前にいる人を見ると、錠剤を飲み終え、残っている水を全部飲むべきかどうか悩んでいるのか、コップをじっと眺めながら、ぼんやりとしていた。
「汗かいた方がいいので、なるべく水分は摂った方がいいですよ」
その様子に呆れながら言葉をかけると、俺の顔を見て静かに頷いた。そしてゆっくりと水を飲み干す。
どこか艶めかしく動く喉仏に視線が釘付けとなってしまい、意味なくじっと見つめてしまった。
「ありがと、千秋。いろいろ済まないね」
コップの水を飲み終え、固まる俺に向かって柔らかく微笑んだ井上さん。不意に視線が絡んだせいで、ドキッとする。
空になったコップを無造作に奪うと、どぎまぎする俺をそのままに、いそいそと布団の中に入っていった。
「……あのさ、井上さん」
思ったより高くない体温について話すべく、恐るおそる声をかけてみる。
「穂高って呼んで……」
(何でこのタイミングで、それを要求してくるんだ?)
「じ、じゃあ穂高さん、実際あまり熱が高くないんですけど」
「ん……。平熱が限りなく、三十五度台に近いんだよ。だから三十七度まで上がると、死にそうなくらい辛いんだ」
それを聞いて何だか納得。そのせいでいつも、手が冷たいんだな。
「ちょっと職場まで戻ります。車を停めてることもあるし、食料調達もしたいから」
「なら、俺の背広に入ってる財布を使うといい。世話になった礼には、ならないだろうけど」
「そんなの、気にしないでください……」
首を横に振った俺を、首まで布団を被った穂高さんが、じと目で見つめてきた。
「……使ってくれないのなら、俺が起きてこれから買い出しに行――」
「分かりましたっ! 有り難く使わせて戴きます!」
本当のところ、自腹を切れるほどお金に余裕がなかったので、助かってしまったのだが。穂高さんの強引さには、ほとほと呆れ果ててしまうしかなかった。
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