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残り火本編第一章 火種9
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穂高さんの財布をちゃっかりチェックしながら、職場であるコンビニを目指す。
使い古された感じの茶色の長財布の中身は、一万円札が一枚と小銭がたくさん入っていた。特に五百円玉がぱっと見、五、六枚入っている状態に苦笑するしかない。財布を手にした時、異様に重たいなと思った。
これを使って煙草を買い、俺から確実にお釣りをせしめていた悲しい努力に、お疲れ様ですと呟いてみる。
同性の俺のどこが好きなのか、未だによく分からない。
飽きれ顔をそのままにコンビニに到着し、レトルトのお粥やスポーツドリンク、売れ残りしそうなお弁当を購入して店を出た。
家に戻ると穂高さんは薬が効いたのか、寝息をたてて既に寝ている状態。財布を背広に戻して、買物した食品を冷蔵庫に入れた。
壁にかけている時計を見たら、既に午前2時を回っていたので、慌ててシャワーを浴びに浴室に向かう。
大学の授業は昼からだったので、いつもよりはゆっくり出来るけれど、この人がいる限り、間違いなくそれが出来ないだろう。
朝起きた後のことを考えながらシャワーを浴び終え、着替えをしながら横目で穂高さんを見つめて、さっきまでのことを思い出してみる。
風邪を引いてダルそうにしていたせいか、動きがいつもより鈍い感じだった。それを見たら、つい手を出さずにはいられなくて。なんだか大人と子どもの両方を兼ね備えたように見えた。不思議な人だな。
丸くなって寝ている姿をじっと眺めていたら、出逢った時のことが鮮明に、頭の中に蘇っていった。
柔らかな笑みを浮かべて俺を見る視線や、美味しそうに煙草を吸う仕草。他にも好きだと言いながらいきなり咬み付いてきたり、息が止るほどにぎゅっと抱きしめた二の腕が、意外と力強くて――
だけど現在、三十八度にも満たない熱で、見事なくらい情けない姿を晒している。それはすっごく普段とかけ離れた様子で、頼りなさげで甘えたで。
寝ている顔をもう一度だけ覗き見て、様子をそっと窺ってみる。心配で目が離せないなんて、俺も随分とこの人に毒されてしまったみたいだ。
そんな気になる気持ちを捨て去るように身を翻し、タオルで頭を拭いながら台所に行こうとしたら、耳に聞こえてきた声――
「う、……ん、寒い……」
振り返るとベッドの上に、大きなミノムシが出来上がっていた。穂高さんが頭まで、すっぽりと布団を被っているのだ。
「わっ、どうしたんですか? 熱が上がったのかな?」
頭を拭いていたタオルを首にかけベッドの脇に跪き、布団をべりべり引き剥がして、汗の滲む額に触ってみる。
「……ちょっとだけ、熱が上がったのかもしれませんね」
もしかしたら三十八度を超えたのかも。
「ち、千秋お願いだ、一緒に布団に入って……」
「ゲッ!」
「このままだと凍え死んでしまう。……頼むよ」
身体を小刻みに震わせながら、苦しそうに眉根を寄せて必死に頼み込んできた。
(どうしよう、困ったぞ! 熱が確実に上がったのを、自ら確認したけれど――)
「俺がその中に入っても、暖が取れるとは思えませんよ」
「でも千秋は、……いつもあたたかいから。そのことよく知っているし」
ガクガクと震えながら縋るように、俺を見つめてくれる視線。これをされると本当に断りにくいんだよな。――というか、何だか悪魔に魂を売り渡す気分。病気で弱ってるフリをして、演技してる可能性だって捨てきれないのだ。
「条件があります。俺に手を出さないことを約束してください。勿論、咬みついたりとかいや
らしく触ったりなんていうのは絶対になしで。ただ暖を取るだけですよ」
「分った。その条件を飲もう……」
静かに告げられた言葉に信用がないので、恐るおそる布団の中に入ってみた。
――自分の布団に入るのに、どうしてこんなに緊張しなきゃならないんだ……
腰を下ろした瞬間、さらう様に穂高さんの両腕が後ろから、身体にぎゅっと巻きついてくる。
「うわぁあっ!?」
「暴れないでくれ。風が入って身体が冷える」
我慢だ、暖を取るだけ暖を取るだけ!
念仏のように何度も唱えながら両手に拳を作り、いつ襲われてもいいように襲撃に備えた。
緊張感漂う俺を優しく抱き締めると、首に巻いていたタオルを勝手に取り、ぽいっと床に落として、ぎゅっと抱きついてくる。
「千秋、……いいニオイ。すごく落ち着く」
「そ、そうですか」
首筋を撫でる穂高さんの鼻息がくすぐったくて、何とかしたかったけど、動くと風が入るだのと煩く騒がれても厄介だと思ったから、んもぅ必死に我慢した。
「やっぱりあたたかいね、君は。寒気がどこかにいったよ」
肩口に頬をすりりと寄せて、安堵のため息をついてくれる。そういえば、ずっと震えていたのに、今は大丈夫そうだ。
「苦しくないかい? この状態で寝られそう?」
「あ、はい。お気遣いなく」
車の中でされた抱擁じゃなく、優しく包み込むような抱きしめ方なので、寝返りも簡単に打てそうな状態。後ろから抱きしめられてるので、身体を動かすと穂高さんと対面してしまうから、多分この体勢を絶対に維持すると思う。
「そぅ。……よか、……た」
ちゃっかり首にくちびるを押し当て、ちゅっとしてから寝始める。抱きしめられた腕の力が、すっと抜けるのを感じた。
「何もしないっていう約束だったのに。何してくれるんだよ」
いきなりされてしまった行為にイライラしながらも、穂高さんから伝わってくる熱や、今日一日の疲れが襲ってきて、あっという間に床につくことが出来たのだが――
数時間後のお目覚めが、えらく最悪なものになったのである。
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