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残り火本編第一章 火種17

***  その後一緒に着替えて、近所にあるファミレスに連れて来られた。時間的にはお昼時だったので、店内は結構混雑している。 「二名様ですね、お煙草吸われますか?」 「はい……」 「では喫煙席にご案内いたします、どうぞこちらへ」  丁寧な接客に伴われ穂高さんと並んで、店内を歩いていると―― 「あ……」  向かって左側にある、奥まった席に目が留まった。 「どうしたんだい?」 「芸能人の葩御 稜(はなお りょう)が、男の人と食事しているんですよ」  わざわざ記者会見を開き自分がゲイであることと一緒に、過去の出来事をカミングアウトしつつも、精力的に芸能活動をしているモデルさん。そんな発表はマイナスイメージになると思いきや、持ち前の美貌とキャラクターを生かした発言が好感度を得た結果、CMやバラエティー番組に引っ張りダコとなっている、今話題の人だった。  間近で芸能人を見るのは初めて、一般人とは何かが違うな。華やかなオーラをまとっている感じがした。  俺の声が聞こえたのか、ふっとこっちを見て背中まで伸ばした長い髪を耳にかけると、小さく手を振ってくれる仕草に、思わず微笑んでしまった。  その気軽な行動に、本当に気さくな人だなぁと嬉しくなって手を振り返すと、反対の手を強引に引っ張られてしまった。 「ほら、行くよ。ウェートレスさんを待たせてる」 「は、はいっ……」  穂高さんに声をかけられ、そのまま身を翻したら、彼の低い声が耳に届いた。それは、俺に向かって言ったのかは分からないけど。 『偏ってるね、あの人――』  引っ張られながら振り返ると頬杖をついて、じっとこちらを見ている視線。あの人って俺のこと? それとも……  彼の目は確かに、俺たちを捉えていた。だから、どっちかだって分かるのに。  穂高さんと向かい合って、メニュー表を眺めながら、そのことばかりをつい考えてしまった。 「千秋は何にする? 決まったかい?」 「はい、このオムライスとサラダのセットにしようかな、と」  写真を指差すと、テーブルにあったボタンを押してウェートレスさんを呼び出し、俺のと一緒に注文してくれる。穂高さんはハンバーグとナポリタンのセットだった。 「見かけによらず君って、ミーハーだったんだね。意外」  苦笑いしながら俺に手を伸ばして、何故か前髪を梳いてくれる。いきなり、こういうのを人前でされるのは、照れてしまうんだけど。 「ミーハーっていうか、ああいう人を見たことがないから、思わずはしゃいじゃっただけ、ですよ」  髪を梳いてくれる手をぎゅっと握って、ぱっと離しながら顎を引いた。 「寝癖出来てる、跳ねてるよ」 「ええっ!?」  恥ずかしい……。ずっと変な髪型で穂高さんの隣を、のん気に歩いていたんて。  両手を使って前髪を直してみたけど、はっきりいって、どんな風になってるのか分からない。 「考え込んだと思ったら、照れてみたり慌てたりして、くるくる表情が変わって面白いね。俺が触った時点で直ってる、髪」  瞳を細めて、さもおかしそうに笑う。 「……穂高さん、そんなに笑うことないじゃないですか」 「今度は怒った。こんな風に会話出来るなんて、本当に幸せだなぁ」  煙草を取り出し、口に咥え火を点ける。 「で、さっきは何を考え込んでいたんだい? 深刻な顔して悩むようなことだったか、彼の言ったことは」  聞こえていたんだ――  紫煙を吐き出しながら、小首を傾げて遠くを見た。その視線の先は、奥にある席を指している。あの、葩御 稜がいる場所。 「偏ってる人って、何でしょうね」 「きっと俺だろうな。野菜が嫌いだから、偏った食事をしているし」  穂高さんの言葉に、何と返答していいのか分からず、口を引き結んだ。一目見ただけで、食の偏りが分るワケないだろうに……。それとも葩御 稜は、そういうのを見分けることが出来る、能力の持ち主なのか!? 「しかも千秋は俺と一緒にいるというのに、他の男に気をとられるなんて、信じられないことをしてくれるんだね」 「それは、さっき言ったように――」 「バツとして帰ったら、股間のモノにお仕置き決定」  実に美味しそうに煙草を吸いながら、さらりと凄い一言を告げるなんて。思わず周りを、キョロキョロと見渡してしまった。 「ちょっ、何を言い出すんですか。こんなところで、もう」 「口で説教されるのと手で扱かれるの。どっちがいい?」  臆することなく、畳みかける様に訊ねてくる。しかも真剣な顔して。  そんな恥ずかしい言葉を、公衆の面前では普通言えないよ。 「いい加減、止めて下さいって。場所を考えて下さい」 「ああ、そうか。千秋はお風呂で泡まみれになりながら――」 「穂高さんっ!」  昨日の出来事を思い出してしまい、頬が一気に熱くなった。散々焦らされて、いろいろ際どいことを耳元で囁かれ、実際とても大変だったのだ。 「千秋が悪いんだ、他の男に目移りするから」  灰皿に煙草を押し付けて目の前に、にゅっと顔が迫ってくる。 「……帰ったらしっかりバツ、受けてもらうから覚悟するんだよ」  身体の芯に響くような低い声色に、ドキドキが止らない―― 「お待たせいたしました。オムライスのセットのお客様は?」  真っ赤な顔で口を開きかけた時、タイミングよく料理が運ばれてきた。内心、安堵のため息をつく。  じと目をしながら手を上げて料理を誘導すると、もう少しだったのにと呟き、顔をちょっとだけ歪ませた穂高さん。 (何が、もう少しだったのにだよ。人を散々困らせているというのに……)  そんなことを考え、オムライスをパクつきながら不機嫌な顔をしてみせると、まぁまぁと宥めるように口を開いた。 「そんな顔していると料理に悪いよ。美味しそうに食べなければ」 「そんな顔にさせたのは誰ですか。あんなことを言って、からかっておいて」 「だって千秋が好きなんだ。いろんな顔が見たいって思っちゃ、ダメなのかい?」  細長い指を使い、くるくるフォークを回してスパゲティを巻きつけ、口に運んだ穂高さん。終始笑顔を絶やさない。ここぞとばかりに反撃しようとすると、そのタイミングで好きと言ってくれる。しかもそれに対する、反撃の言葉が見つからないのだ。 「その気持ち、分からなくはないです。俺も穂高さんが好きですし」  意味なく、オムライスのご飯と玉子をぐちゃぐちゃに混ぜながら、上目遣いで目の前の人の様子を窺った。  一瞬動きを止めて、目の下を赤く染めたと思ったら、手早くフォークにハンバーグを一口分突き刺すと、俺の口元に向かって、そっと差し出す。 「ん……」  食べろということ、だよな。これは――  周りをキョロキョロしてから、ぱくっと口に入れると、えらく嬉しそうな表情を浮かべた。 「穂高さんに、これ……」  サラダについてるミニトマトを箸で摘み、口元に持っていくと表情は一変。笑顔がピキンと凍りつく。 「千秋ってば、根に持つタイプだったのか。俺の嫌いな野菜を、こんな形で食べさせようだなんて」 「食べてください。栄養が偏りますよ、身体の心配してるんです」  そう言うと顎に手を当てて、むぅと何か考えはじめた。 「……デジャヴのような夢を見た気がする。こうやって千秋に、身体のことを心配されたのを見た気が」 「ダメですよ。そんなウソを言って、これから逃げようとしても」  ほらほらとミニトマトを掲げて、さっさと食べるように促した。すると仕方なさそうな顔して、渋々口にする。  だけどマッハで飲み込んだのを、俺は見逃さなかったぞ。まるで子どもみたいな人だな――  そんな穂高さんを見ながら笑っていると、口直しと言わんばかりに、大量のスパゲティを頬張った。 「そんな食べ方をするから、口の端にケチャップ付いちゃってますよ」  何だか、わざわざ笑いを誘うためにやっているみたいだ。 「……そういう千秋こそ、オムライスのケチャップが付いてる」  互いに指摘し合い、おしぼりで口を拭う。  これで大丈夫かなと顔を上げたら、首を横に振る穂高さん。 「拭ったら余計に広がってる。ほら、おいで」  手招きされたので、さっき穂高さんが顔を寄せたように、自分から顔を近づけてみた。手にはおしぼりが握られていたので、それで拭ってくれると思ったのに――  不自然に広げられたおしぼりを横目で確認した途端、上くちびるだけをちゅっと吸われてしまって。 「ふわぁっ!?」  思わず出てしまった変な声に、ぷぷっと吹き出しながら、ぺろりと下から上に俺のくちびるを舌でなぞった。 「ちょっ、こんなトコで何するんですかっ?」 「別に……。俺は真剣に千秋のくちびるに付いたケチャップを、キレイに取ってあげただけ」  ――俺よりも穂高さんの方が、根に持つタイプじゃないか!  顔を真っ赤にしながら椅子に腰かけ直すと、何もなかったようにしれっとして、ハンバーグをぱくぱくと口にした。俺が怒っているというのに、平然とするなんて。 「あの、頼みますからこういう場所で、卑猥な言葉を言ったり、しちゃったりするのを、止めてもらえませんか? 結構、人の目が気になるので」 「随分と自意識過剰なんだね。案外、他人は人のことなんて、見てはいないものだよ。そういう君は俺といながら、他人の動きをいちいちチェックしているのかい?」  確かに……。現在俺たちの周りは、上手いこと店にある小道具で遮られていて、ちょっとした密室になってるから、覗き込んで気にしない限り目には映らない。 「だけどっ、俺はその……」 「周りの人たちに、自分が男とデキてるなんて思われたくない、から?」 「っ……」  まんま自分の考えていることを指摘されたせいで、言葉に詰まってしまった。  慌てふためいた俺の顔を見ながら、平然とスパゲティを食べつつ、足を使って器用に太ももへ―― 「やっ、だからその、そういうの。……止めて、くださぃ」  伸ばされている穂高さんの脚を、がしっと掴んで放り投げた。こんなことをしておいて、どうして平然としていられるんだ、この人。そういうことに対して、情けないくらい耐性のない自分。――酷く落ち着かない。 「食欲と性欲は比例しているらしいけど、人は理性があるからね。後者についてはコントロール出来ると言われてる。けど――」  さっさと皿の中の物を平らげ、おしぼりで口を拭いながら、瞳を細めてじっと見つめる。  苦情だけじゃなく、退けた脚がちゃっかり太ももに乗せられ、さわさわしている状態。きっと同じように放り出しても、元に戻されてしまうだろうな。  ため息をつきながら平然を装い、残っているオムライスを口にした。 「君の存在のせいで、タガが外れてしまうんだ。俺の理性のコントロールが利かない。どんな時でも千秋に、触れていたいって思ってしまうから」 「……ふたりきりの時はいいですけど。こういう場所では、ちょっと……」  こんな風に求められたことがないから、どうにも対処に困り果てる。強い口調で、止めてくださいって、言えればいいんだろうけど。それを言わせてくれない何かを、穂高さんが持っていて、言葉に出来なくなるんだ。 「俺のコレを止めるのは簡単だよ、千秋」  眉間にシワを寄せて、上目遣いで穂高さんを見つめる俺に、艶っぽい笑みを浮かべ、口に煙草を咥えた。  キンといい音をたててジッポの蓋を開けて、ゆっくりと火を点ける。美味しそうに吸って煙を吐き出し、外の景色を眺めるべく横を向く。太ももに置かれている穂高さんの脚が更に伸ばされ、つつっと器用に大腿骨を撫であげた。 「うっ……」  その淫らな行為に、喉に詰まりそうになったオムライスを無理矢理飲み込み、撫でている穂高さんの脚を掴んで、遠くにぽいっ! 注意した矢先に、堂々としてくれちゃって、もう…… 「穂高さ――」 「止めたければ、千秋が俺を求めればいい」  文句を開きかけた言葉に被せるように、穂高さんが声を出した。 (求めればいいって、どうやって?)  きょとんとした俺に視線を移し、ニッコリと柔らかく微笑む。 「俺がさっき、君にしてあげたことを、すればいいだけだよ。簡単だろ」  それって注意した卑猥なことを、俺が進んでやれって言ってますか? そんなことをしたら負けじと、もっと卑猥な行為を、穂高さんはするような気が激しくする。  ぐるぐると考えた結果、返事が出来ず渋い表情を滲ませた俺を、涼しい顔して見つめ、咥えていた煙草の火を消し、頬杖をついた穂高さん。  どこかすっごく楽しそうだ―― 「それよりも昨日の、風呂場で見せてもらった、あの顔。俺に腰を押し付けながら喘いでいた、あの顔をしてくれたら、きっと手が止まるんじゃないかな。今の顔も、悪くはないんだけどね」  そんなことを言って、更に俺の言葉を奪ってくれたのだった。

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