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残り火本編第一章 火種17
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その後一緒に着替えて、近所にあるファミレスに連れて来られた。時間的にはお昼時だったので、店内は結構混雑している。
「二名様ですね、お煙草吸われますか?」
「はい……」
「では喫煙席にご案内いたします、どうぞこちらへ」
丁寧な接客に伴われ穂高さんと並んで、店内を歩いていると――
「あ……」
向かって左側にある、奥まった席に目が留まった。
「どうしたんだい?」
「芸能人の葩御 稜 が、男の人と食事しているんですよ」
わざわざ記者会見を開き自分がゲイであることと一緒に、過去の出来事をカミングアウトしつつも、精力的に芸能活動をしているモデルさん。そんな発表はマイナスイメージになると思いきや、持ち前の美貌とキャラクターを生かした発言が好感度を得た結果、CMやバラエティー番組に引っ張りダコとなっている、今話題の人だった。
間近で芸能人を見るのは初めて、一般人とは何かが違うな。華やかなオーラをまとっている感じがした。
俺の声が聞こえたのか、ふっとこっちを見て背中まで伸ばした長い髪を耳にかけると、小さく手を振ってくれる仕草に、思わず微笑んでしまった。
その気軽な行動に、本当に気さくな人だなぁと嬉しくなって手を振り返すと、反対の手を強引に引っ張られてしまった。
「ほら、行くよ。ウェートレスさんを待たせてる」
「は、はいっ……」
穂高さんに声をかけられ、そのまま身を翻したら、彼の低い声が耳に届いた。それは、俺に向かって言ったのかは分からないけど。
『偏ってるね、あの人――』
引っ張られながら振り返ると頬杖をついて、じっとこちらを見ている視線。あの人って俺のこと? それとも……
彼の目は確かに、俺たちを捉えていた。だから、どっちかだって分かるのに。
穂高さんと向かい合って、メニュー表を眺めながら、そのことばかりをつい考えてしまった。
「千秋は何にする? 決まったかい?」
「はい、このオムライスとサラダのセットにしようかな、と」
写真を指差すと、テーブルにあったボタンを押してウェートレスさんを呼び出し、俺のと一緒に注文してくれる。穂高さんはハンバーグとナポリタンのセットだった。
「見かけによらず君って、ミーハーだったんだね。意外」
苦笑いしながら俺に手を伸ばして、何故か前髪を梳いてくれる。いきなり、こういうのを人前でされるのは、照れてしまうんだけど。
「ミーハーっていうか、ああいう人を見たことがないから、思わずはしゃいじゃっただけ、ですよ」
髪を梳いてくれる手をぎゅっと握って、ぱっと離しながら顎を引いた。
「寝癖出来てる、跳ねてるよ」
「ええっ!?」
恥ずかしい……。ずっと変な髪型で穂高さんの隣を、のん気に歩いていたんて。
両手を使って前髪を直してみたけど、はっきりいって、どんな風になってるのか分からない。
「考え込んだと思ったら、照れてみたり慌てたりして、くるくる表情が変わって面白いね。俺が触った時点で直ってる、髪」
瞳を細めて、さもおかしそうに笑う。
「……穂高さん、そんなに笑うことないじゃないですか」
「今度は怒った。こんな風に会話出来るなんて、本当に幸せだなぁ」
煙草を取り出し、口に咥え火を点ける。
「で、さっきは何を考え込んでいたんだい? 深刻な顔して悩むようなことだったか、彼の言ったことは」
聞こえていたんだ――
紫煙を吐き出しながら、小首を傾げて遠くを見た。その視線の先は、奥にある席を指している。あの、葩御 稜がいる場所。
「偏ってる人って、何でしょうね」
「きっと俺だろうな。野菜が嫌いだから、偏った食事をしているし」
穂高さんの言葉に、何と返答していいのか分からず、口を引き結んだ。一目見ただけで、食の偏りが分るワケないだろうに……。それとも葩御 稜は、そういうのを見分けることが出来る、能力の持ち主なのか!?
「しかも千秋は俺と一緒にいるというのに、他の男に気をとられるなんて、信じられないことをしてくれるんだね」
「それは、さっき言ったように――」
「バツとして帰ったら、股間のモノにお仕置き決定」
実に美味しそうに煙草を吸いながら、さらりと凄い一言を告げるなんて。思わず周りを、キョロキョロと見渡してしまった。
「ちょっ、何を言い出すんですか。こんなところで、もう」
「口で説教されるのと手で扱かれるの。どっちがいい?」
臆することなく、畳みかける様に訊ねてくる。しかも真剣な顔して。
そんな恥ずかしい言葉を、公衆の面前では普通言えないよ。
「いい加減、止めて下さいって。場所を考えて下さい」
「ああ、そうか。千秋はお風呂で泡まみれになりながら――」
「穂高さんっ!」
昨日の出来事を思い出してしまい、頬が一気に熱くなった。散々焦らされて、いろいろ際どいことを耳元で囁かれ、実際とても大変だったのだ。
「千秋が悪いんだ、他の男に目移りするから」
灰皿に煙草を押し付けて目の前に、にゅっと顔が迫ってくる。
「……帰ったらしっかりバツ、受けてもらうから覚悟するんだよ」
身体の芯に響くような低い声色に、ドキドキが止らない――
「お待たせいたしました。オムライスのセットのお客様は?」
真っ赤な顔で口を開きかけた時、タイミングよく料理が運ばれてきた。内心、安堵のため息をつく。
じと目をしながら手を上げて料理を誘導すると、もう少しだったのにと呟き、顔をちょっとだけ歪ませた穂高さん。
(何が、もう少しだったのにだよ。人を散々困らせているというのに……)
そんなことを考え、オムライスをパクつきながら不機嫌な顔をしてみせると、まぁまぁと宥めるように口を開いた。
「そんな顔していると料理に悪いよ。美味しそうに食べなければ」
「そんな顔にさせたのは誰ですか。あんなことを言って、からかっておいて」
「だって千秋が好きなんだ。いろんな顔が見たいって思っちゃ、ダメなのかい?」
細長い指を使い、くるくるフォークを回してスパゲティを巻きつけ、口に運んだ穂高さん。終始笑顔を絶やさない。ここぞとばかりに反撃しようとすると、そのタイミングで好きと言ってくれる。しかもそれに対する、反撃の言葉が見つからないのだ。
「その気持ち、分からなくはないです。俺も穂高さんが好きですし」
意味なく、オムライスのご飯と玉子をぐちゃぐちゃに混ぜながら、上目遣いで目の前の人の様子を窺った。
一瞬動きを止めて、目の下を赤く染めたと思ったら、手早くフォークにハンバーグを一口分突き刺すと、俺の口元に向かって、そっと差し出す。
「ん……」
食べろということ、だよな。これは――
周りをキョロキョロしてから、ぱくっと口に入れると、えらく嬉しそうな表情を浮かべた。
「穂高さんに、これ……」
サラダについてるミニトマトを箸で摘み、口元に持っていくと表情は一変。笑顔がピキンと凍りつく。
「千秋ってば、根に持つタイプだったのか。俺の嫌いな野菜を、こんな形で食べさせようだなんて」
「食べてください。栄養が偏りますよ、身体の心配してるんです」
そう言うと顎に手を当てて、むぅと何か考えはじめた。
「……デジャヴのような夢を見た気がする。こうやって千秋に、身体のことを心配されたのを見た気が」
「ダメですよ。そんなウソを言って、これから逃げようとしても」
ほらほらとミニトマトを掲げて、さっさと食べるように促した。すると仕方なさそうな顔して、渋々口にする。
だけどマッハで飲み込んだのを、俺は見逃さなかったぞ。まるで子どもみたいな人だな――
そんな穂高さんを見ながら笑っていると、口直しと言わんばかりに、大量のスパゲティを頬張った。
「そんな食べ方をするから、口の端にケチャップ付いちゃってますよ」
何だか、わざわざ笑いを誘うためにやっているみたいだ。
「……そういう千秋こそ、オムライスのケチャップが付いてる」
互いに指摘し合い、おしぼりで口を拭う。
これで大丈夫かなと顔を上げたら、首を横に振る穂高さん。
「拭ったら余計に広がってる。ほら、おいで」
手招きされたので、さっき穂高さんが顔を寄せたように、自分から顔を近づけてみた。手にはおしぼりが握られていたので、それで拭ってくれると思ったのに――
不自然に広げられたおしぼりを横目で確認した途端、上くちびるだけをちゅっと吸われてしまって。
「ふわぁっ!?」
思わず出てしまった変な声に、ぷぷっと吹き出しながら、ぺろりと下から上に俺のくちびるを舌でなぞった。
「ちょっ、こんなトコで何するんですかっ?」
「別に……。俺は真剣に千秋のくちびるに付いたケチャップを、キレイに取ってあげただけ」
――俺よりも穂高さんの方が、根に持つタイプじゃないか!
顔を真っ赤にしながら椅子に腰かけ直すと、何もなかったようにしれっとして、ハンバーグをぱくぱくと口にした。俺が怒っているというのに、平然とするなんて。
「あの、頼みますからこういう場所で、卑猥な言葉を言ったり、しちゃったりするのを、止めてもらえませんか? 結構、人の目が気になるので」
「随分と自意識過剰なんだね。案外、他人は人のことなんて、見てはいないものだよ。そういう君は俺といながら、他人の動きをいちいちチェックしているのかい?」
確かに……。現在俺たちの周りは、上手いこと店にある小道具で遮られていて、ちょっとした密室になってるから、覗き込んで気にしない限り目には映らない。
「だけどっ、俺はその……」
「周りの人たちに、自分が男とデキてるなんて思われたくない、から?」
「っ……」
まんま自分の考えていることを指摘されたせいで、言葉に詰まってしまった。
慌てふためいた俺の顔を見ながら、平然とスパゲティを食べつつ、足を使って器用に太ももへ――
「やっ、だからその、そういうの。……止めて、くださぃ」
伸ばされている穂高さんの脚を、がしっと掴んで放り投げた。こんなことをしておいて、どうして平然としていられるんだ、この人。そういうことに対して、情けないくらい耐性のない自分。――酷く落ち着かない。
「食欲と性欲は比例しているらしいけど、人は理性があるからね。後者についてはコントロール出来ると言われてる。けど――」
さっさと皿の中の物を平らげ、おしぼりで口を拭いながら、瞳を細めてじっと見つめる。
苦情だけじゃなく、退けた脚がちゃっかり太ももに乗せられ、さわさわしている状態。きっと同じように放り出しても、元に戻されてしまうだろうな。
ため息をつきながら平然を装い、残っているオムライスを口にした。
「君の存在のせいで、タガが外れてしまうんだ。俺の理性のコントロールが利かない。どんな時でも千秋に、触れていたいって思ってしまうから」
「……ふたりきりの時はいいですけど。こういう場所では、ちょっと……」
こんな風に求められたことがないから、どうにも対処に困り果てる。強い口調で、止めてくださいって、言えればいいんだろうけど。それを言わせてくれない何かを、穂高さんが持っていて、言葉に出来なくなるんだ。
「俺のコレを止めるのは簡単だよ、千秋」
眉間にシワを寄せて、上目遣いで穂高さんを見つめる俺に、艶っぽい笑みを浮かべ、口に煙草を咥えた。
キンといい音をたててジッポの蓋を開けて、ゆっくりと火を点ける。美味しそうに吸って煙を吐き出し、外の景色を眺めるべく横を向く。太ももに置かれている穂高さんの脚が更に伸ばされ、つつっと器用に大腿骨を撫であげた。
「うっ……」
その淫らな行為に、喉に詰まりそうになったオムライスを無理矢理飲み込み、撫でている穂高さんの脚を掴んで、遠くにぽいっ! 注意した矢先に、堂々としてくれちゃって、もう……
「穂高さ――」
「止めたければ、千秋が俺を求めればいい」
文句を開きかけた言葉に被せるように、穂高さんが声を出した。
(求めればいいって、どうやって?)
きょとんとした俺に視線を移し、ニッコリと柔らかく微笑む。
「俺がさっき、君にしてあげたことを、すればいいだけだよ。簡単だろ」
それって注意した卑猥なことを、俺が進んでやれって言ってますか? そんなことをしたら負けじと、もっと卑猥な行為を、穂高さんはするような気が激しくする。
ぐるぐると考えた結果、返事が出来ず渋い表情を滲ませた俺を、涼しい顔して見つめ、咥えていた煙草の火を消し、頬杖をついた穂高さん。
どこかすっごく楽しそうだ――
「それよりも昨日の、風呂場で見せてもらった、あの顔。俺に腰を押し付けながら喘いでいた、あの顔をしてくれたら、きっと手が止まるんじゃないかな。今の顔も、悪くはないんだけどね」
そんなことを言って、更に俺の言葉を奪ってくれたのだった。
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