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残り火本編第一章 火種24
***
その後、数日間は平穏な日々が続いた。
いつも通りバイトが終わったら送ってくれて、その場でバイバイしたり、泊まったり泊まられたり。
穂高さんが部屋に来るようになってから、少しずつだけど物が増えていくのも、何気に嬉しかった。
急に泊まった用にと、ネクタイやら下着やらの衣類を置いてくようになり――煙草を吸うからと灰皿を用意したときには、嬉しいなぁと感動してくれたっけ。
すぐ見える位置にある灰皿は、穂高さんが部屋にいなくても、存在感がすっごくあって、それを見るだけで、つい口元が緩んでしまう。一緒にいればもっと、だらしない顔をしちゃうんだろうなぁ。
なぁんて考えながらバイトを終え、急いで着替えてから外に出る。
「……あれ?」
いつも停められているであろう、駐車場にあるはずの、赤い車が見当たらない。
仕事が残業になった場合、無理して来なくていいと念を押したら、そういうときは、連絡するからという取り決めとなり、きちんとしてくれていた。今までは――
「連絡、忘れちゃうくらい疲れたのかな? 昨日は元気だったし、風邪を突然引いて寝込んでる。……っていうのも?」
心配になり電話をかけてみたけど、残念ながら繋がらない。
「ここんとこ、仕事が忙しいって言ってたもんな。疲れて寝ちゃってるのかも」
勝手にそう判断して、寂しさを振りきるように足早に自宅に帰る。
「ただいまぁ……」
誰もいない部屋に向かって、意味なく声をかけた。テーブルに置かれた灰皿が、ぽつんとした俺を、優しく出迎えてくれる。
「一緒に帰れない日が、こんなにも寂しく思うなんて、ちょっと前の自分なら、考えつかないことだよな。うん」
穂高さんといることに慣れてしまったからこそ、その寂しさを心底噛みしめてしまう。
そんな弱くなった自分を、改めてしみじみ思っていると、「ピンポーン」とインターフォンが鳴った。
慌てて振り返り、覗き窓から誰なのかきちんと確認してから、急いで扉を開ける。
「――穂高さんっ」
嬉しい……。すっごく逢いたいって思っていたから尚更。だけど――
「穂高さん?」
その様子はどこか思いつめていて、悲壮感に満ち溢れていた。一体、どうしたというのだろう?
「とにかく中に入って。さぁどうぞ!」
躊躇して揺れる瞳を窺いながら、大きな背中を部屋の中へと、ぐいぐい押し込んだ。
「……穂高さんよかった、逢えて。病気になって倒れていたら、どうしようかなって、心配したから」
「悪かった、連絡疎かにして……」
妙に沈んだ声で言うものだから、心配に拍車がかかる。
背後から、穂高さんの正面に移って顔を見上げると、微妙な表情を浮かべながら、俺を捉えた。目が合った瞬間、ガックリと膝をつき、目の前にある俺の身体にぎゅっとしがみついて。
「……千秋。……ち、あき」
どうしたんだろう、何だか様子がおかしすぎる。こんなに、弱り果てた穂高さんを見るのは初めてだ。
「何か、辛いことでもあったんですか? 大丈夫?」
自分の友人になら、気軽に声をかけて、
「何だよーどうした、話を聞いてあげる」
なぁんて暗い雰囲気をさっさと払拭しながら、話しかけることが出来るのに。穂高さんに対して、気軽に対応が出来ない。だって、すごく大事な人だから――
慰めにもならないだろうけど、右手で優しく、ゆっくりと頭を撫でてあげた。
「……一緒に暮らしたい。ずっと傍にいたい。君の優しさに包まれていたい……」
――会社で何か、イヤな出来事でもあったのかな? 学生である俺が、社会人の穂高さんの悩みを聞きだして、きちんと対処出来るだろうか?
身体に回されてる腕が、ちょっと痛いなぁと思いながら、宥めるように口を開いてみる。
「あの、穂高さん。一緒に暮らしたいのはやまやまなんですけど、俺が卒業するまで待てませんかね。それまでは時間が許す限り、なるべく一緒にいてあげますから」
俺の言葉を聞き、ふっと視線を落とす。
何だかもっと、暗くさせてしまったような……自分では一生懸命に、譲歩したつもりだったのに。
「……俺は今すぐにでも、君と暮らしたい」
「それは、俺も一緒にいたいですよ。だけど……」
「分かってる。現実、愛だけでは生活できないからね」
身体に回している腕がふっと緩められ、トレーナーを上下に引っ張った。導かれるように膝をつくと、穂高さんの大きな身体に抱きすくめられてしまう。
「……何か、困ってることでもあるんですか? 悩んでいることとか」
煙草のニオイが染み付いてる穂高さんを抱きしめ返し、恐るおそる見上げると、儚げなな瞳が瞬いていた。俺を見ているのに、どこか遠くを突き通して、違うところを見ているみたいだ。
「ううん……。優しい千秋の傍にいたいだけ。一緒に暮らすには、まずお金が必要だね。今の俺の稼ぎじゃ、新しいところに住むには、全然足りない……」
「穂高、さん?」
「家の敷金に礼金、まとまったお金が必要だ。何も考えずに全部、煙に消えてしまっていたから」
薄く笑って、煙草を吸う仕草をした。
「俺ね今の仕事をする前、実はホストをしたことがあって」
「ホストっ!?」
ビックリして声に出すと、俺を宥めるように頭を撫でてきた。
穂高さんのこれまでの行動は、いいトコの出生だからこその、洗練された動きだと思っていたのに、ホスト経験者ならではの行動だったんだ。――ちょっとショックかも。
「ん……。親父に会社を叩き出されて、一文無しで困り果てたときに、友人が声をかけてくれてね。身体ひとつでもできる、仕事だからって。住む場所も洋服も提供してくれる上に、短期間で随分稼がせてもらった」
「…………」
「軽蔑、した?」
掠れた声で告げてから、触れるだけのキスをする。
俺はふるふると、首を横に振ってみせた。
「軽蔑はしませんけど。……またホスト、やろうとしてます?」
「ん……。千秋と一緒に暮らしたいから」
俺がイヤだと言っても、この人はやるだろうな。反対すればするほど頑なになって、やり遂げてしまうだろう。
眉間にシワを寄せて口を尖らせたら、やんわりと頬を引っ張った。ちょっとだけ痛い。
「お金をある程度貯めたら、直ぐに辞める。それまで千秋には、寂しい思いをさせてしまうが――」
苦笑いしながら、ゆっくりと床に押し倒して、耳元にくちびるを寄せる。
「君と一緒にいるために、俺は頑張るから……」
切なげに微笑んだ感じが、吐息と一緒に伝わってきた。
そして、くちびるをゆっくりと重ねる。何度か触れるだけのキスをしてから、次第に熱くなっていく行為に、穂高さんの悩みを聞けず、この日はそのまま抱かれたのだった。
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