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残り火本編第一章 火種25
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――あれから十日経った。
週二~三日はバイト入れるから逢えなくなるねと、穂高さんから低い声で告げられ、その時は胸が締めつけられた。
けれど時間が経ってしまえば逢えないのが当たり前だと、無理矢理に気持ちを割りきって、仕事に励むことが出来たんだ。
「アキさん、最近ため息つく事が結構増えてますけど、疲れていませんか?」
久しぶりの昼間のバイト中に、竜馬くんが心配したのか話しかけてくれたので、何とか笑顔を作ってみせた。
「……そんなにため息、ついてるかな」
「はぁ、まあ。以前に比べたら暗い顔してるの多いし、どこか思いつめてるようにも見えますよ。……何か、悩みごとですか?」
気遣ってくれる視線に心底困り果てて、思わず俯いてしまった。
言えるワケがない。――同性の恋人が俺と一緒に暮らすために、ホストになってバイトをしているなんて……
「えっと、ね。もっと稼げるバイト、どこかにないかなぁと思って」
「バイト、探してるんだ? あるにはあるけど……。 アキさん線が細いから、肉体労働的なのは、ちょっと無理そうですよね」
お客さんがいないときだったので、思いきって聞いてみたら、顎に手を当てて考え込む竜馬くん。
「だとしたら、う~ん。割りはいいけど、苦情オペレーターは胃がやられるし、客の呼び込みも酔っ払いに絡まれたら、振り切れなさそうだし……」
頭の先から足の先まで、じっと俺を見ながら、いろいろ提案しては却下していく。
「竜馬くんって、いろいろバイトの経験しているんだね」
「ウチ片親なんで、必然的に働かないとダメなんですよ。故にゆっきーに、代返お願いしまくりで」
頭をガシガシ掻きながら、苦笑いを浮かべるしかない。高額バイトの理由、不謹慎すぎて、絶対に言えないな――
「アキさん、この後バイト終わったら、暇ですか?」
唐突に訊ねられ、きょとんとしながら首を捻った。
「バイトが終わったら、ゆっきーの家に遊びに行くんですけど、一緒に行かないかなって。その、気晴らしに」
「あ……。う、ん」
今日は穂高さんが会社もホストの仕事もお休みで、昼間休んでから家に来る予定だった。でも俺としてはいち早く逢いたくて、バイトが終わったら、向かおうかなぁと考えていたのだけれど。
「ゆっきーも何気にアキさんのこと、心配していましたから。元気な顔を見せたら、きっと喜ぶんじゃないかな」
こんな風に誘われたら、断れなくなってしまう。穂高さんに逢う前に、少しでも暗い気分を入れ替えておこうかな。
「わかったよ。一緒に、お邪魔させてもらう」
微笑みながら了承したら、今まで以上に破顔して、ニコニコと笑った竜馬くん。お陰で、自然と笑うことが出来た。
こうしてふたりで、ゆっきーの家に行くことになったんだけど――
大通りをゆっくり歩きながら、隣で喋る竜馬くんの話に耳を傾け、車道を意味なく眺めてしまった。
赤い色の車が通り過ぎるたび、目で追ってしまって、ハッと我に返ることが何度もある状態に、眉をひそめるしかない。
――イヤだな、穂高さん切れを起こしてる……
歩いてる通りが、穂高さん家に向かう道へと、続いているせいでもあった。きっと疲れて今頃、家で寝ているかもしれないのに、何やってるんだろ。
呆れ果てて前方を見た瞬間、偶然赤い車とすれ違った。見慣れた車の形とナンバーと――
「っ……!」
「アキさん?」
その場に立ち止まった俺に、竜馬くんが声をかけてきたけど、それに対して返事が出来なかった。
「アキさん、顔色が真っ青になってる。大丈夫?」
屈みこみながら、俺の顔を覗き込んで額にそっと触れた。
「熱は、ないみたいだけど……」
「あ、……ごめっ。やっぱ帰る……」
額に触れている手をやんわりと外して、ぺこりと頭を下げた。
「……送りましょうか?」
「だっ、大丈夫。ひとりで帰れるから。本当にごめんね……」
自然と早鐘のように鳴り出す、バクバクとした心臓を感じながら、竜馬くんに背を向けて駆け出した。穂高さんの隣に、……助手席に女の人がいた――
きっとふたりで家に向かうはずだと、もうひとりの自分が呟く。穂高さんの家に行って、それからどうするんだろう?
いろんな感情を引っさげて、急いで穂高さんの家に向かってひた走る。
マンションに到着し、直ぐに地下一階に行って、車があるかを確認してから、エレベーターに乗り込んだ。
やがて穂高さんが住んでるフロアに着いて、自宅の扉の前にゆっくりと立ち尽くす。心を落ち着けるべく、深呼吸を何度かしてみてから、震える指先でインターフォンを押して、反応を待った。
搭載されてるカメラで、俺が来たのが直ぐに分かるだろう。
しばしの沈黙を経て、ゆっくりと扉が開け放たれる。
待ってる間、いろんな想いが駆け巡って不安になり、下唇を咬んで俯いてた俺に、あたたかい声がかけられて――
「千秋、……来てくれたんだ。嬉しいよ」
穂高さんの喜んだ声を聞いて、一気に心がぶわっと満たされてしまった。その安心感で、身体の力が抜けかけた瞬間、
「お客さんが来たなら私、帰るわ」
穂高さんの声にかぶさる様に、女の人の声が奥から聞こえてきた。
満たされた心に、冷や水を浴びせられた感じ。そんな衝撃的なショックに堪えるべく、両手の拳をぎゅっと握りしめた。
助手席にいた女の人、やっぱり部屋の中にいたんだ――
身体の震えを止めようと奥歯をぎゅっと咬みしめて、じっと前を見据える。硬い表情を浮かべた俺を穂高さんは一瞥し、家から出て行く女の人に、そっと視線を移した。
「来たばかりなのに、すみません。お構いも出来なくて」
「いいわよ、穂高と久しぶりにお茶出来たし」
素っ気なく言い放つと、ピンク色のヒールを履いて、家から出て行く。俺の前を通り過ぎた彼女の腕に、穂高さんが慌てた感じで手を伸ばした。
「今日は、ありがとうございます……」
振り返った彼女に向かって、柔らかく笑いながらお礼を言ったと思ったら、親指と人差し指で顎を掴んで、くいっと上向かせる。
「明日の約束。……忘れないで下さい」
鼻先近くまで顔を寄せてお願いする穂高さんに、彼女は嬉しそうに微笑んだ。その姿は何処からどう見ても、恋人同士みたいだ――
そんな姿を見ていられなくて背を向けたら、彼女の声が耳に入る。
「分かってるわよ、同伴。たくさん騒いであげるから、楽しみにしててね」
ちゅっという音と、クスクス笑い合う声。
気になって振り返ったら、女の人の首元に咬み痕があるのが目についた。
(――何でだよ、どうして……)
「あらあら。……あんまり激しくして、困らせたらダメよ穂高」
ふわっと笑って派手な色した人差し指の爪で、穂高さんの耳の縁をそっとなぞってから、
ヒールの音を鳴らして、目の前を去って行った。
「……千秋?」
消えていく彼女に気を取られていた俺は、目の前に穂高さんがいるのに、ただ呆然と立ちつくしたままでいて。顔に冷たい手が添えられるまで、自分が泣いていることすら分からなかった。
穂高さんの指先が、涙で頬を滑っていく。
「どうしたんだい。……ん?」
近づいてくる顔が、心配そうに俺を見つめているんだけど、その瞳に映る自分は、すっごく酷い顔をしていた。まるで、化け物を見るような目つきをしている。
愛しい恋人が、目の前にいるというのに――
「……うっ、……っ」
自然と、身体の奥から震えが起こってきた。いいようのない悲しみや怒りが、どんどん膨らんできて言葉にならなず、ひたすら涙となって、次々流れていった。
俺の様子を眺めて視線を落し、肩を抱き寄せて、無言で部屋の中へと誘う穂高さん。
「いらない誤解、させてしまったようだね」
腰を抱き寄せてから身体をぎゅっと抱きしめると、目尻にちゅっとキスを落とした。
「泣かないで、千秋。俺が愛してるのは、君だけなんだよ」
いつものように低い声色で告げてくれたのだけれど、心の中までは入ってこない。目の前に、いきなり突きつけられた現実が、そうさせているんだろうな。
「彼女は以前お世話になった、だたのお客さんなんだ。さっきだってここで、一緒にコーヒーを飲んでいただけ」
「でも……」
しっかりと見たんだ、あの人の首元にあった咬み痕。あれは間違いなく、穂高さんが咬んだものだろう。
言い淀む俺の頭を優しく撫でてから、背中を押してくれる。
「そんなに疑うなら、こっち。寝室を見てごらん」
しょんぼりしながら歩く身体を、後ろから勢いよく押して寝室の扉を開けたら、いつも通りキレイなままのベッドがそこにあった。
部屋の様子を見て、ぴたりと足を止めた俺の身体を、いきなり抱きかかえると、手荒にベッドに、ぽいっと放り投げる。
「うわぁあっ!?」
涙の雫が何個か、ぱらぱらっと宙に舞った。
「千秋……」
すかさず身体に跨った穂高さんは、着ている白いシャツをさっと脱ぎ捨て、手早く床に放り去り、俺の羽織っていたブルゾンを脱がしていく。
「……っ、イヤ、だ……」
――あの女の人を触った手で、触れられたくない!
そう言いたかったのに、喉がやけに乾いてしまい、最後まで口に出来なかった。
「そんな風に無意味に泣いて、嫉妬してる君を、慰めようとしているのに」
「んな、……の、いらな、……ぃっ」
「無理だよ。不安げに瞳を揺らして俺を誘ってる君に、何もせずにはいられない」
静かに首を横に振りながら告げられた言葉に、抵抗しようとした両腕を、ぎゅっと握られた挙句、いつも以上に荒々しく、くちびるを奪われる。
きっとこのくちびるで、彼女の首をなぞって、咬みついたんだ――
「いっ、……イヤ、だっ! やめっ……んっ!」
首を左右に振って抵抗しても、しつこく追ってくる。
いつもなら大好きな穂高さんにキスされて、心も身体も悦んでされるがままでいたのに。
――今は嫌悪感しか感じられない……
「……やっ!! 穂高さんなんか、……も、キライだっ!」
俺の投げつけた言葉にやっと動きを止め、それはそれは悲しげな瞳で見つめられる。
「嫌い、なんて、……どうして――?」
いつもとは違う、か細い声がやけに耳に残った。
「だって……。あの人としたんでしょ? だから咬み痕があって……」
「それは違うっ、違うんだ千秋! 彼女は俺にとって上客で、えっと……、お店でたくさんお金を落としてくれる人でね、他のホストが手を出せないよう、咬み痕をつけたんだ」
自分の客を、他の人に捕られないようにするためだけに、自分のだっていう印をつけたのか?
穂高さんが言った言葉を、そのまま鵜呑みにしたい。だけど彼女の言った言葉も、気になるのだ。
『あらあら。……あんまり激しくして、困らせたらダメよ穂高』
彼女は穂高さんと関係を持ったからこそ、このセリフが出てきたんじゃないのか――
微妙な表情を浮かべる俺を、息を飲んで見下ろす穂高さん。
「……千秋にそんな顔、ホントはさせたくないんだが、少しの間だけガマンしてくれないか?」
穂高さんにお願いされることは、困ったものがほとんどだ。――俺が困惑するのを承知の上で、断れない表情をしっかりと浮かべるんだから。
そんな顔を見たくないので、ぷいっと横を向いてみせた。
「君と早く一緒に暮らすために、俺はナンバーを目指してる」
「ナンバー?」
正直面白くないけど疑問を口にすると、ふっと笑った感じが、空気にのって伝わった。俺に跨ったままの穂高さんが、身体を抱きしめながら首筋に、すりりと頬を寄せてくる。
吐息が耳元に当たって、ちょっとだけくすぐったい。
「ナンバーはお店の中で、たくさんのお客さんの指名があって、人気があるホストじゃなきゃなれないものなんだ。勿論俺は、ナンバーワンを目指してる」
「うん……」
「ナンバーワンを目指しながら新人ホストの仕事……。そうだな、店内の掃除や先輩のヘルプに入ったり、お酒を作ったと思ったら、灰皿を取り替えたりしてね。そういう雑務をこなしながら、接客していくワケなんだが――」
ここで一旦言葉を切り、俺の頬にそっと手を当てて、横に向いてた顔を正面に向けさせた。
「千秋にとったら、そのことは面白くないだろうね。恋人である俺が他の人と、恋人ごっこをしている姿を、見ることになるんだから」
その言葉に、こくんと頷いてやる。
「だけどそれが、俺の仕事だから。そのサービスに対して、お客さんがお金を出してくれるからね」
「……分かってますって、それくらい」
頭で分かっていても、どうにもならないことがある。ホストをしていようが、していなくても、この人はカッコイイから人目を惹くわけで。いちいちヤキモチを妬いたり、気持ちを荒立たせるだけ、しょうがないんだよな。
「千秋だけと、本当の恋愛をするから……」
「本当、に?」
見つめてくれる、穂高さんの熱っぽい視線に翻弄されないよう、窺う視線で応戦。
「勿論……。嘘をつくのは、お客さんだけでたくさんだ。君には、真実の愛をあげるから――」
頬に添えている手で、俺の顔に少しだけ角度をつけると、穂高さんがその顔に覆いかぶさるようにキスをしてきた。
いつもと違う角度で、強く合わせられたくちびるから、割って入ってきた舌が普段責めないような場所を、ぐちゅぐちゅとしつこく責めて感じさせる。
「んぅっ、……はぁあっ……」
(質問も返事も、させてもらえない――)
穂高さんの責めに喘ぎながら、大きな背中にぎゅっと抱きついた。そのとき、指先に感じた違和感――
「っ……!」
「千秋だけだから……。君だけが好きなんだ」
甘い囁きが耳元で告げられた瞬間、わだかまっていた心が、ふわっと解放される。
本当に厄介な人を、俺は好きになってしまった。この低い声が、無防備な心にじわじわぁっと沁みこんでしまったら、全てを許してしまえるのだから。
信じたくない事実が、涙となって流れていく。だから、それを見ないことにした。
今は俺だけを見てくれる、穂高さんが傍にいるから――
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