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第二章 籠の鳥2

***  以前勤めていたホストクラブは、一つ違いの義兄さんが経営しているところだった。  親父から借金して店を始めて、一年で借金を返済。現在は地方にも店を構えるくらいに、成長を成し遂げた。  そんな忙しい義兄さんに連絡をしたら、上手いこと捕まったので、本店である以前勤めた店へと赴く。  店の横にある従業員出入口の前に佇み、セキュリティーを解除すべく、暗証番号を入力した。四苦八苦だよ、人生は……なんて、遊び心に溢れた義兄さんらしい番号なれど、以前と同じままなのは、いかがなものだろうか。  そんなことを考えつつ、鍵が開く音を聞き扉を開けると、目の前を誰かが足早に通り過ぎていく。 「あっ、信二くん!!」  懐かしい顔につい、はしゃいだ声を出してしまった。俺の声に直ぐに反応して、ぱっと表情を明るくする。 「うっわ~! 穂鷹さんじゃないですか。久しぶりっす、パラダイスへようこそ!!」 「ん……。何だか、お客様になった気分だね。髪型、変えたんだ?」  頭ひとつ分小さい彼をよしよししてあげると、嬉しそうに瞳を細めた。 「俺は変えたくなかったんですけどぉ、オーナー命令で仕方なく……。だってまんま、ラーメンつけ面の、お笑いの人とキャラがまる被りっしょ」 「あはは。……確かに」  顔のパーツが似てるから、あえてやらせているんだろうな。義兄さん、相変わらず人が悪い。 「んもぅ、お陰でお笑い担当なんですよ。そんなキャラじゃないのに」 「でも明るい信二くんがいるからこそ、店が盛り上がるじゃないか、いいことだと思うよ。 オーナーは、事務所にいるのかい?」 「はいっ。さっき入店したので、挨拶してきました。お飲み物は、オレンジでいいですか?」 「ああ、済まないね。好みを覚えていてくれて嬉しいよ」  ニッコリ微笑んでから、事務所がある二階フロアに足を運んだ。4回ノックしてから中に入ると、ソファに横でなってる義兄さんがゆっくりと起き上がる。 「懐かしいだろ、パラダイス。一年半ぶり以上だっけ?」 「そうですね。さっき下で、信二くんに逢いました」  義兄さんが座ってる、目の前のソファに腰掛けた。 「お前がいた頃のメンツ、半分いなくなったんだよ。信二に逢えて、ラッキーだったね」  長い髪をかき上げて、テーブルに置いてある煙草に手を伸ばす。その姿にすかさず、ジッポに火を点けて差し出した。 「ありがとさん。……ふぅっ」  美味しそうに煙草を吸い、紫煙を吐き出した時に、扉を叩く音が部屋に響く。 「失礼しますっ!」  信二くんがにこやかな笑みで微笑みながら手際よくテーブルに、コーヒーとオレンジジュースを置いていった。 「穂鷹さん、オーナーと話が終わったらお店の方に顔、出してくださいよ。お願いします!」  ぺこりとお辞儀をしながら頼まれてしまったので、仕方なくOKする。  昔馴染みのコに逢う分には構わないが、知らないメンツと顔を合わせるのは正直イヤだった。自分を脅かすライバルが増えると勝手に誤解してくれて、他のホストの嫉妬の種になってしまうから。 「相変わらず、甘え上手だねぇ信二。その調子で営業も、頑張ってほしいものだけど」  しれっと嫌味を言う義兄さんに苦笑いしながら、きちんと一礼して出て行った。 「可愛いコに冷たく当たるのは、変わらないんですね。そんなことをしていたら、いつまで経っても、仲良くなれないというのに」  呆れながら指摘すると、意味深な笑みを浮かべる。 「前回逢ったのは、3ヶ月前だったっけ。お前、な~んか変わった気がするよ。牙を抜かれた、獣って感じ」  自分の犬歯を、わざわざ指差しながら告げた言葉に、眉根を寄せてみせる。 「……変わってませんよ。やっていることは、以前と同じですし」 「ふぅん。変わったかどうかチェックしてやる。今、ここで俺を抱けよ」  俺が誤って右頬につけたキズを見せつけて、嘲笑いながら誘われても困るしかない。何か物を頼むときには、いつもこうやって迫るのだが―― 「悪いけど、それはできません。靴を舐めろとか、その……。他のことならしてあげます」 「何、ビビッてんの?」 「ビビりますね。だって感じなかったとか騒いで、訴訟起こされたら困ります」 「へぇ、俺の噂、知ってんだ」  ふらりと立ち上がり、俺の顔に紫煙を吹きかけて、灰皿に煙草を押し付けた。  言葉の意味が分らず首を傾げると、忌々しそうな表情を浮かべソファに座り直す。 「俺が不感症になるのを見越して、そんなセリフが出たんだと思ったんだけど」 「そんな……。もう随分と前のことなのに、そんなの分かるワケないじゃないか」  義兄さんは俺が抱いた、初めての男だった。兄弟喧嘩をした際に、誤って顔にキズを付けてしまってから、いろんなワガママをきいて、ガマンしながらそれに応じていたのだが。まさか関係を迫られるなんて、思いもよらなかった。  だけどかれこれ十年以上前の出来事で、その時はしっかりと感じていた記憶がある。だって、……泣きながらこの人は、俺を求めていたから。 「今や、某所で『キレイなマグロ』って言われちゃってね。俺を感じさせようと、いろんな人に声をかけられるんだけど、ぜーんぜんダメなんだよ。面白いくらいに、さ」 「確かに。キレイな義兄さんを喘がせたいと、他の男は思うだろうね」 「だったら――」  射止めるように俺を見据えた義兄さんの視線をあからさまに外し、俯いてみせた。 「悪いけどどんなに頼まれても、応じることは出来ません」 「なら俺のことを好きなヤツとでも思えば、抱くことは可能だろ。昔のように」 「えっ……?」  義兄さんが発した言葉に反応して顔をあげると、口元を押さえながらどこか嬉しそうに、瞳を細めていた。 「穂高、俺のことが好きだったろ?」 「……好きでしたよ、兄として。残酷なまでにキレイ過ぎる義兄さんと兄弟になれて、素直に嬉しかったです」 「ふぅん。ヤれて嬉しかった?」  長い髪をかき上げながら挑むような視線を送られ、言葉に詰まる。――何を言ったら、納得してくれるのか、考えても答えは見つからない。  膝の上に置いてる両手を、ぎゅっと握りしめた。 「今日はそんな昔話をしに、ここへ来たんじゃないんです。俺の話を聞いてください」 「聞いてほしければ、質問に答えろよ。俺を抱けて、嬉しかったのかと聞いている」  どうして今更、こんな話を持ち出すんだろうか。この人の考えてることは、さっぱり分からないんだ。恐怖しか感じられないのだから。 「あの……。嬉しいよりも、蔑んで見てました。俺の身体の下で感じさせられて、喘いでいる義兄さんを、ざまぁみろって思いながら……」  たどたどしく口を開くと、立ち上がって俺の顎を強引に掴んだ。 「ざまぁみろって思いながら、あんなに激しく腰を振って、感じさせてくれたってワケなんだ。頑張ってくれて、俺は嬉しかったんだけど」 「…………」 「今はその情熱の矛先は、紺野 千秋くんだけに向けられているようだね。羨ましいことで」  触れるだけのキスをして、ソファに座る義兄さん。喉が一気に渇いてしまい、言葉が出ない。  この人はまた俺を貶めるために、大事な人をキズつけようとするかもしれないから。 「あ、そうそう。親父殿の会社も乗っ取られかけて、危ないんだったね。いくら欲しいのさ?」  無言で、指を3本立てた。 「そんなんで、足りるの?」 「……分からない。地方の株主に掛け合って、ウチが向こうよりも高く買い取ればいいだけなんだけど、今のところ、ざっと3千あれば足りるかな、と」  会社の話になり、気持ちを切り替えて、やっと口を開く。 「大変だねぇ、ひとりであたふたして。前回よりも金額が少ないけれど、ちゃんとウチでも働いてもらうから」 「分かってます、そのつもりで来てます。前と同じように」 「ああ、いい仕事をしてくれたら、ボーナスをプラスにしてやるよ。お金、欲しいんだもんね」  形の整ってるくちびるの左側だけ口角を上げて、笑いながら長い髪を揺らし、俺の隣に座ってきた。そっと、左手を握りしめてくる。 「相変わらず、冷たい手をしているね。あっためてやろうか?」  そんな兄の手を振り解き、肩を掴んでソファに押し倒した。  真っ白い革張りのソファの上に、緩くカールのかかった漆黒の長い髪が、無造作に散らばる。  くっきりとした二重まぶたの下にある、潤んだ瞳。さくらんぼ色をしたくちびるが、甘い吐息をこぼした。誘うように、俺をじっと見上げる。  他の男なら喜んで飛びつくだろうけど、この人のキレイさは見てくれだけなんだ。心の中から腹の中まで、ドス黒い色に染まりきっている。 「義兄さん……」 「威勢よく押し倒してくれたのに、躊躇するなんて、気を持たせすぎだろ」 「どんなに頼まれても、抱きませんから」  言いながら、細い首に両手をかけた。ちょっとだけ手に力を入れてみる。 「……千秋に、手を出さないで下さい。彼は会社の事や俺の素性すべて、何も知らない。変な事に巻き込んでほしくないんです」 「俺の首を絞めて脅してるつもりなのか。ご苦労様だね」 「脅しじゃないですよ。彼をキズつけるようなことをしたら、その顔にキズをつけたように、躊躇なくヤってあげますから」  更に力を入れていくと、白い肌がどんどん赤みを増していった。 「ちょっ……。わかった、わかったから! く、るしっ、……ゲホッ!」  苦しそうに顔を歪めませたのを確認してから手を離してやると、起き上がって派手に咳き込む。俺は義兄さんに跨ったまま、その背中を優しく撫で擦ってやった。 「っ……、ゲホゲホッ! お前って過激なんだか優しいんだか、ワケ分かんない男だね、まったく」 「ああ、もう」と呟いて、憎らしそうに俺を見上げる。  落ち着いたのを見計らい、寝乱れた義兄さんの長い髪を整えるべく梳いてやった。 「母ひとり子ひとりでいた俺に、義兄さんが出来て嬉しかったんですよ。それまで母さんは忙しく働いていて、ずっとひとりきりだったから。聡明でキレイな義兄さんと、仲良くなりたかった」  左側の髪をゆっくりとかき上げながら、その耳元に顔を寄せる。 「仲良くしたいって、俺としては思っているんです。だからイジワル、しないでくださいね」  吐息をかけながら肉厚の耳朶を口に含み、きゅっと甘咬みしたのだが―― 「…………」  身体をビクつかせることもなく、声もあげずに、じっとしていた。 「これじゃあ抱いたとしても、感じさせる事は無理そうですね」  苦笑いしながら、最後にぎゅっと細い身体を抱きしめ、義兄さんから放たれる視線を振り切るように、勢いよく立ち上がる。 「ほらよ、受け取れ」  テーブルの影に置いてあった大判の封筒を、押しつけるように寄越してきた。 「これからお前が働く店について、まとめたものだ。そこにいるホストの連中、自分を客だと思っているらしくてね。店舗の中では、最低の売り上げなんだよ」 「Shangri-La(シャングリラ)ですか。パラダイスと違って、内装は落ち着いた雰囲気ですね」  封筒から資料を取り出し、パラパラ捲って内容を把握。 「穂高、お前のその手で地上の楽園を作ってみろ。客にサービスさせてるバカ供を、叩き直してくれないか。どんな手を使ってもいいからさ」 「それは早急に、結果を出せとの命令、……ですか?」 「俺だって、慈善事業をしているんじゃないんだ。親父殿に回した、金の徴収も兼ねているんだし。是非とも従業員を手玉にとって、操ってくれたまえ!」  その言葉に、奥歯をぎゅっと噛みしめた。  結果を直ぐに出さなきゃ、この人は躊躇なく千秋に対して、何らかの手出しをするに違いない。――それを回避するには、やはり……  渋い顔をする俺の傍を、涼やかに通り過ぎながら、俺の肩を叩いて行く。 「穂高、頼んだよ」  いつもより一層低い声で頼んだ声はまるで、悪魔の囁きにしか聞こえない。  読んでいた資料を手早く封筒に戻し、一礼をして事務所をあとにした。

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