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第二章 籠の鳥3

***  信二くんに店に寄るよう強請られていたが、気持ちが沈んだ状態で逢うのが躊躇われたので、そのまま出て来てしまった。  無言で車に乗り込み靴を脱ぎ捨て、運転席で膝を抱える。  義兄さんの前では自分が無力すぎて、心をかけたとしても、まるで氷の上を滑るように、見事にかわされてしまった。 「イジワルしないで下さいと頼んだところで、あの人にはムダなのが分かっているのに、頼まずにはいられなかった……」  まぶたの裏に映る、千秋の笑顔。――この笑顔を守るために、自分がこれからやるべきことは、残念ながら大事なものを壊してしまう。間違いなく―― 「分かっていた、はず。……だったろ」  親父から電話がきた時点で、こうなることが一瞬で導き出され、悲観した俺は、千秋に縋りついてしまった。本来なら、キズの浅い内にさっさと別れを告げておけば、彼のためになったかもしれないというのに、それすら出来なくて、千秋のあたたかさに、身をゆだねるしか出来なくて――  別な形で、仕事を進めることだって出来る。だがそれでは時間がかかってしまって、その間に千秋が…… 「ダメだな。そもそも正攻法が何なのか、今更ながら考えてみたけど分からないとか、笑えてしまう……」  ――今回の仕事はスピード勝負。だからいつものように頭を抑えて、アメと鞭の割合を考えながら、上手いこと操っていけばいいだけ。 「前と同じことをすればいいだけ、なんだよな」  ぐるぐる考えたところで結果は見えているのに、どうしても抗ってしまうのは、大事な人の笑顔が崩れるのが嫌だったから。  心を落ち着けるべく、煙草を取り出し口に咥え、火を点ける。 「最善策は心を捨て去り、仕事をスピーディに終わらせること。千秋に見られないようにすれば、問題ないだろう……」  俺の裏の顔を、知られるワケにはいかない。  煙草を咥え直し、ダッシュボードに手を伸ばす。奥にしまってあった、茶色い手帳を取り出した。パラダイスで世話になった上客リスト。もしかしたらと思い、記帳してあった。 「ついでに表の仕事で知り合った、羽振りのいいご婦人にも、声をかけようか。少しでも早く、仕事を終わらせるために」  灰皿に煙草を押し付け、エンジンをかけた。低音のエキゾーストが身体に響く。  心地いいそれを聞きながら靴をしっかり履いて、ゆっくりと発進した。抗うことの出来ない、未来に向かって――

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