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第三章 偽りだらけの恋愛4
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「穂高さん、指名入ったから、五番テーブル任せるよ!」
お通しがなくなりかけたので厨房に戻ろうとしたら、大倉さんが右手をブンブン振って、アピールしてきた。
初日から指名が入ることは、かなり珍しい。――一体、どんなお客様だろうか?
訝しく思いつつも、指定されたテーブルに、笑みを浮かべながら足を進める。
「本日は、指名戴きまして有難うございます。穂鷹です」
ゆっくりと四十五度頭を下げ、背筋を伸ばすように直立しながら、お客様を見つめた。
年齢は、二十代前半でスレンダーな美人。値踏みするような視線で、見つめ返してくる。
直ぐさまソファの隅に置いてあるトーション(ひざ掛け)を手に取り、失礼いたしますと言いながら、そっとかけてあげた。
「当店をいつもご利用戴き、有難うございます」
テーブルの上に置かれたキープボトルに、『華ちゃん』という名札が付けられている。残りは半分くらい、か……
「新人が入ったっていうから楽しみにして来たのに穂鷹って、全然新人臭さがないよね」
「年季が入っているせいでしょうか。こちらは、僕が作ったチャームになります。お客様には特別に二種類、ご用意いたしました」
新人いびりに来た、イヤなお客様といったところなのかもな。俺の一挙手一投足を穴が開く勢いで、じっと観察している。
「なになに~? いきなり居酒屋メニューを作ったの?」
「ご来店戴く、お客様のお口に合えばと思い、作ってみました。左が通常お出ししている物で、ごま油を使って味付けしております。右はオリーブオイルで味付けした、特注品でございます」
初回は、テーブルを挟んで接客をするのがルールとなっている。故に、目の前で失敗するわけにはいかない――
口を動かしながら一緒にお酒も作り、きちんと水滴を拭いて、コースターの上に置いた。
「一緒に乾杯しましょうよ、どうぞ」
「有難うございます。戴きます」
一回り小ぶりのグラスに、手早くお酒を作り、グラスを両手で持って、お客様のグラスより自分のグラスを下にして、乾杯するグラスを鳴らす。
「僕たちの出逢いに、乾杯!」
にこやかに微笑み合い、お酒を口にした。
口の中に広がるお酒の余韻に浸りながら、ふと千秋のことを考えてしまう。
――目の前のお客様が、もしも千秋だったら――
彼が呑むなら、ビールあたりかな。おどおどしながら周りを見渡して、窺うように俺を見つめるだろう。
『こんなところで、働いているんですね。何か、ムダに緊張しちゃう……』
「今は、俺だけを見ていて。そうすれば緊張せずに済むから。はい、乾杯」
恐るおそるといった感じで、両手で持ってる千秋のグラスに、カチンと自分のグラスを当てて、勝手に乾杯。
「あっ、か、乾杯」
小さな声で言って、ぐびぐびと勢いよくビールを口にする千秋を見ながら、俺も一口呑むだろう。
「可愛いね。ビールの泡、口の端に付いてるよ」
耳元にそっと告げると、身体をビクつかせながら、慌てて右手で拭おうとする。
タイミングよくその手首を掴み、首を横に振りながら、おしぼりを手にした。
「大丈夫。俺がしてあげるから」
おしぼりへと、千秋の視線が釘付けになっているのをいいことに、ぺろりと舌で舐めとってやるんだ。
『んっ!?』
「キレイにとれたよ」
『ちょっ、……こんな場所でそんなこと、止めてくださぃ……』
頬を赤く染めて、じろりと睨まれても全然怖くない。
「千秋が、可愛らしいことをするのが悪いんだ。さぁ次は俺が作ったコレ、食べて」
本当は手料理を披露したいのだが、作る時間よりも、一緒にべったりしていたい時間を優先しているため、未だに作ってあげていない。
「穂高さん、料理するんだ。すごいですね」
目を細めて嬉しそうにしている姿に、ますますイジワルをしたくなり、箸で摘んだキャベツを自分の口に挟む。
「ん……」
「ゲッ、……口うつし、ですか?」
わざとしんなりしたキャベツの葉を選んだので、食べるのには相当苦労すると思われる。
「ん……」
強引に食べろと顔を寄せたら、仕方なさそうな顔をし、掬い取るように葉を食い千切ってくれた。
上目遣いで恨めしそうにする、そんな顔もたまらなく好き。
「……おいひぃです……」
「ん……」
まだ残っているキャベツの葉を、更に顔を寄せてアピールしてみる。
じと目をしながら食べろと暗に示したら、俺の頬を包んで隠すようにかぶりついてきた。一瞬触れたくちびるを感じ、キャベツの葉を離して、逃げかけるそれを追いかける。
困り果てる千秋を尻目に、しっかりキスしてから――
「ご馳走様でした、美味しかったよ」
――って、千秋がお客様になったら、時間制限延長しまくって、もっと困らせることをしてしまうだろうな。
「何を考えてるの? やけに嬉しそうな感じ、だけど」
その声で、頭の中から千秋がふっと消えて、目の前のお客様へと意識が移った。
「華さんと呑むお酒は、とても美味しいなぁと。つい、噛みしめてしまいました」
誤魔化すべくニッコリと微笑むと、ふぅんと生返事をして、バックから煙草を取り出す。
スーツの袖に仕込んである手製のポケットから、広告など宣伝が書いてない、安いライターを素早く取り出して、自分の手元で一回火をつけてから席を軽く立っち、お客様の近くで両手を使って差し出した。
安全のため、火力はバッチリ最小限。こういう細かい気遣いは、当然なれど――
ふと周りのホストたちの動向を、ちゃっかり観察してみると、それが全然出来ていない。
あ~あ、お客様のテーブル前が、グチャグチャになっているじゃないか。
「穂鷹って、恋人いるでしょ?」
片付けたい気持ちをぐっと堪えていると、聞かれたくない質問が投げかけられた。
「仕事が忙しくて、作ってる暇すらありません」
「絶対にウソだぁ。いい寄って来る女、吐いて捨てるほどいるんじゃないの?」
「あはは、吐いて捨てるほどいたら、かなり騒がしそうですね。そういう華さんはステキな人、いるんでしょうねぇ」
質問を曖昧に回避しつつ、箸でキャベツを摘み、唐突に口へと突っ込んでやった。
「ちょっ、……美味しいっ!」
「こちらは通常メニューです。華さんのお酒に合うのは、特注品かもしれませんね」
口の中の物がなくなるのを見はかり、オリーブオイルとミックススパイスで味付けしたキャベツを、同じように口に運んであげる。
「ホントだ。こっちの方がお酒に合う!」
「良かったです。同業者のお客様に、そんな風に褒めてもらえて」
華さんの使っているグラスに水滴がついたので、持ち上げてキレイに拭き上げ、様子を窺った。
俺の放った言葉に、一瞬だけ目を見開いて、あ~あと呟く。
「何で分ったのよ? 大倉さんに聞いたとか?」
「いえ……。正面で接客させていただいたからこそ、それに気がつきました。普通のお客様は、そんな風に座りませんから」
「そんな風に?」
「はい。常に自分をキレイに見せるべく、背もたれにもたれずに背筋を伸ばして、ちょっとした角度をキープし続けるのは、大変そうだなぁと」
こんな感じですねと真似をしてあげたら、途端に顔を曇らせた。
「やだぁ、もうバレちゃった……。もっと苛めてやろうと思っていたのに」
「遠慮せずに、苛めてください。華さんのような、可愛いお客様に苛められるのは、イヤじゃないですよ」
少しだけ小首を傾げニッコリ微笑むと、あ~もぅ! とグラスのお酒を煽るように飲み干す。
「とっても可愛くない新人の相手、渋々しているんだから、穂鷹も付き合いなさいよね」
「ご馳走になります。どうぞ」
空になったグラスに新しくお酒を作って、コースターの上に置いた。作りたてのお酒を一口だけ呑んで、諦めた表情を浮かべ、天井を仰ぎ見る華さん。
「せっかく仕事を貰えたから、完璧にこなしてそれをエサに、彼女になってやろうと思ったのになぁ」
「計画には、誤算がつきものです」
自分のグラスに入ってる酒を飲み干し、お言葉に甘え、新しいのを注ぎ足す。
「ホント、色恋ごとは厄介よね。ちょっと、隣に来て話を聞いて!」
右手で、おいでおいでと呼ばれたので、ゆっくり立ち上がってから、失礼しますと呟き、隣に腰を下ろした。
「華さんのような、プロを手玉に取るなんて、お相手は相当な方なんですね」
そういう俺も、千秋に翻弄されてばかりいる。気がついたら目で追っていて、あっという間に、どっぷりとハマってしまっていた。
彼を自分のものにしたくて、毎日コンビニに足繁く通い、接客している笑顔を垣間見ることができるだけで、すごく嬉しくて――
ほっこりした気持ちを抱えながら、隣にいる華さんに視線を向けると、手に持っているグラスの中の氷を弄りながら、寂しげに微笑んだ姿が目に映った。
「仕事はプロかもしれないけど、恋愛に関しては、ホント駄目なのよね私。昇ちゃんの恋人になりたくて、一生懸命になればなるほど、いい雰囲気になった途端、離れちゃうんだ」
昇ちゃんというワードに、眉をひそめるしかない。
「……もしかして、藤田 昇ですか?」
俺がその名前を口にすると、驚いた顔をして、じっと見つめてきた。
「ちょっと何それ、知り合いだったっていうの?」
「義理の兄なんです」
――相変わらず、人が悪すぎる――
「それってもしかして、昇ちゃんの顔にキズをつけた弟って、穂鷹だったんだ。ねぇねぇ、お兄さんに恋人いるの?」
いきなり腕を絡めてきて、縋りながら身体を揺さぶってきた。
「すみません。義兄のことはさっぱり、分からないんです」
今回もどうして、知り合いである彼女に、俺を指名させたんだか。腕が落ちてるとでも、思われたのか?
「だけど、昇ちゃんの好みくらい分るでしょ? どんなコがタイプなの?」
「タイプ、ですか……」
まさか、男に抱かれるのが趣味なんですと、口が裂けても言えない――
「僕たち、仲のいい兄弟じゃなくて、一緒に住んでいたときも今も、仕事以外の話をしたことがないんです。なので義兄さんの好みも、まったく分かりません」
心を闇に閉ざしている人で、俺自身も義兄さんをあまりよく思ってはいない。
昔は兄弟になろうと、頑張ってみたことがあったけど、それすらもあっさりとかわされ続けたので、興味すら感じなくなってしまった。好みのタイプなんて、知ったこっちゃない。
「義理の兄って、血の繋がりは全然ないの?」
「ええ。僕は母の連れ子だったので」
「そうなんだ。でも似てるところ、あるけどな」
俺の頬を右手人差し指でつんつん突いてから、美味しそうにグラスの酒を呑む。
どこら辺が似ているんだろうと、ふと考えたときだった。
「穂鷹、似てるって言った瞬間、イヤだっていうのが目に現れてたよ。顔にキズをつけちゃうくらい、昇ちゃんのことが嫌いなんだね」
ガマンしたつもりでいたことを、あっさりと見透かされ困ってしまう。
「確かに顔にキズをつけたときは、傷つくことを言われたから、やってしまったんですけど。それ程、嫌いってワケでは……」
「ううん、目は口ほどにものを言うの。誤魔化しが全然、きかないんだからね。なのに、変に誤魔化そうとするところが、昇ちゃんとおんなじ」
わざわざ指を差して、可笑しいと言わんばかりに笑う。
「あとねぇ、目の輝き方が一緒。仕事の話をしてるときの昇ちゃんの目と、今の穂鷹の目、同じようにキラキラしてる」
「なら僕も華さんに好かれてしまう、可能性があるってことですね?」
耳元に顔を寄せながら、低い声で告げてみたら、首根っこをぎゅっと掴まれてしまった。
「残念ね。こう見えても私、一途なんだから」
「なるほど、ね。一途な人はちゃっかりこんなトコ、お触りしちゃうクセがあるんですか」
片腕は俺の腕に絡めつつ、反対の手でさりげなく、微妙な位置を撫で擦っている。
「義兄さんと、比べてみてるでしょ? しっかりした人ですね」
ナニを触って、何が分かるんだか――
「んもっ、そんな。比べてないってば!!」
「じゃあ、どうして触ったんです? ここは、お触りバーじゃないですよ」
口で指摘しても止めなかったので、優しく握りしめてから、人差し指の爪にそっと、口づけを落としてあげた。
「いいじゃない。減るもんじゃないんだし」
「――と華さんが言いながら股間を触ったって、義兄さんに報告させていただきます」
「きゃあっ!! それだけは勘弁してっ! ゴメンゴメン、どうしても気になっちゃったんだってば」
両手を合わせて謝り倒す姿に、苦笑を浮かべるしかない。
「分かりました。義兄さんには報告しませんからボトル、新しいのを入れてくださいね」
「穂鷹ってば、商売上手ね。新しいの入れてあげるから、手伝ってよ」
「喜んで……」
華さんのグラスに、手にしていたグラスを当てて、一気に飲み干した。ボトル半分くらいなら、軽くこなせそうだ。
「ね、ドンペリ好き?」
「高いボトル、入れてくれるんですか?」
何かを窺うような視線に、警戒心を隠しながら微笑む。
「穂鷹の答え方次第で、考えてあげてもいいわよ」
「じゃあ僕からも質問。この店に来て、誰に接客をしてもらったか」
俺の切り返しに、きょとんとした表情をしてから店内に視線を彷徨わせ、目当てのキャストたちに指を差していく。
「はじめては、あの人。淳くん。二回目は、あの隅っこにいる人」
ナンバースリーと下っ端の先輩か――
「このふたりにも同じ質問をして、華さんが気に入る答え方をしていないから、ドンペリが入っていない、と」
なくなりかけの安いボトルを手に取り、目の前に掲げながら、ニッコリと笑いかけてみた。
「そうね。ほらほら、どうする?」
「僕はドンペリ、あまり好きではありません。どちらかといえば華さんと一緒に飲んでいる、コチラのお酒が口に合います」
「へぇ、思い切ったことを言っちゃうのね。それじゃあ高いボトル、入れられないな」
艶っぽい笑みで、俺を見つめる視線をワザと絡ませ、顎を掬い取ってやった。
「素直に答えたのに、冷たいお客様ですね。別に、高いボトルを入れなくてもいいですよ」
「強がり……」
その言葉を鼻で笑って一蹴し、くちびるギリギリまで顔を近づける。
「高いお酒よりも、毎回僕を指名して、このお酒をたくさん飲めばいいだけですから」
「昇ちゃんの恋人情報、くれるならね」
「指名しないとあげられませんよ。勿論、僕以外の指名はありえない」
喉で低く笑いながら告げて、グラスを手に取り、ゆっくりと飲み干した。
「んもうぅ! 面倒くさい駆け引きが苦手なのに。分かったわよっ、指名してあげるから昇ちゃんの件、ヨロシク頼むからね」
こうして確実な指名客をゲットし、幸先のいいスタートをした。
何回か店に通い、店内の状況を入念に把握。操りやすそうなナンバーワンに、ターゲットを絞ったのだった。
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