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第三章 偽りだらけの恋愛6
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「久しぶりね、穂高。一年前よりも何だか、表情が柔らかくなったみたい」
誰かに恋をしたら、そんなに変わるものなんだろうか。毎日鏡の前に立っていても、全然分からないのにな。
助手席にパラダイスの時にお世話になった上客を乗せて、自宅に向かっている。
本当は千秋に逢いたかったのだが、シャングリラの顧客が落ち着くまでの辛抱。早く片付けて、逢えなかった分の時間を埋めればいいと考えた。
「一年も経てば多少なりとも、変化があるんじゃないですか? 年をとるわけですし」
「言ってくれるのね。私も老けこんだと言いたいの?」
「まさか。美しさにより一層、磨きがかかったと思います」
地雷を踏みそうになったところを上手くかわし、自宅マンションの地下駐車場に車を滑り込ませる。
「ねぇ、お家で穂高が淹れてくれるコーヒーを飲むだけで、終わっちゃうの?」
車庫入れを無事に終えエンジンを切った途端に、腕に縋りつかれてしまった。
「とりあえず詳しい話は、中でしますので」
こめかみにキスを落とし降りることを促してから、肩をそっと抱いて自宅に向かう。
昔の自分に背負うものなど何もなかった。それ故に、自由に行動出来たのだが――
今の俺には、大切にしたい人がいる。その人を泣かせないためにも、ギリギリのラインで、調整をしなければならない。
胸の中に鉛を抱えながら、彼女を家の中に上げた。
「どうぞ。ソファにかけて、待っていて下さい。コーヒーは、ブラックですよね」
着ていたコートを貰い、ハンガーにかけて玄関に吊るしておく。
「ええ、久しぶりに飲むことが出来て嬉しいわ、穂高」
昔と変わらない寂しげな微笑で、彼女とご主人の冷めた関係に変化がないことが分かってしまった。
背中に視線を感じつつ、お湯を沸かしながら、コーヒー豆をフィルターに入れていく。
「……アドバイスしてあげたというのに、実践しなかったんですね、困ったお人だ」
ため息と一緒に、溢してしまった言葉を一笑した。
「穂高が悪いのよ、突然お店からいなくなるんだから。アドバイス通り実践しても、その後どうすればいいか、分からないじゃない」
きちんと実践していたら、寂しそうな笑みを浮かべないだろう。
彼女の文句を無視し、沸騰したお湯をフィルターに二、三回に分けて、丁寧に注いでいく。室内に充満するふくよかなコーヒーの香りが、荒みかけた自分の心を癒していった。
真っ白いコーヒーカップと自分のカップを手にして、テーブルにそれを置き、彼女の横に並んで座る。
「いい香り。……戴きます」
俺に向かって微笑んでから、カップを手に取り、ゆっくりと口に含む。
「やっぱり美味しい。穂高の味ね」
「お口に合ったみたいで、よかったです」
同じように微笑んでから、自分もコーヒーを飲んだ。
以前、千秋に振舞った時、同じように美味しそうに飲んでくれたっけ。コーヒーが苦手だといった彼に合わせて、やや薄めに淹れてカフェオレにしてあげたら、目の前で一気に飲み干したんだ。
しかもお代わりを要求してくれて、とても嬉しかった。千秋の喜ぶ顔を見ることが出来るだけで、俺は――
「何を、思い出し笑いしているの穂高?」
「……前にコーヒーを淹れた時と、違いがなくてよかったなと思いまして。しばらく人には、振舞っていなかったので、多少味が落ちているかも、と」
「コーヒーは相変わらず美味しいけれど、穂高は変わってしまったみたいね」
とってつけた理由に納得してくれたらしいが、俺の変化について、やはり気にしているようだ。
「変わりましたか、俺は……」
「そうね。見えない壁を作っているみたい。以前のように、抱いてはくれないの?」
音をたててカップをソーサーの上に置き、ぎゅっと抱きつかれてしまう。迷うことなくその身体を抱きしめ、首筋に咬みついてやった。
千秋のもとに早く帰るための金づるへ、他のホストが手出し出来ないように、俺の客だという印をしっかりとつける。
「あぁっ、穂高……」
首筋から顔を離した途端、目の前に彼女の顔が迫ってきた。
キスされる。――分かってはいたが、あからさまに外すのも失礼だろうと判断し、そのまま受けることにする。
彼女から奪うようなキスをされながら、キリのいいところを見計らい、両肩に手を置いて、そっと身体を引き離した。
「穂高……?」
「スミマセン。これ以上は、もう――」
信じられないといった表情を、ありありと浮かべる彼女が見ていられなくなり、瞼を伏せる。なのに俺が着ているシャツのボタンを、次々と外されてしまって困惑するしかない。
「ダメですよ、そんな」
「いいじゃない。大好きな彼女に、バレなければ」
さっさとシャツを脱がせて半裸にし、俺の胸元に頬を寄せた。
「お互い、相手にバレなければ大丈夫よ。きっと……、私は穂高のこの、滑らかな肌が好き」
「……俺は貴女のように、相手を裏切ることが出来ません。とても大切に想っているので」
引き離そうとしたら背中に腕をまわして、ぎゅっとしがみ付く。参ったな――
「そうやって俺に迫れるのに、どうしてご主人に迫ってあげないんですか?」
子どもをあやすように、背中を優しく叩いてあげる。
「俺と寝たって、性欲の捌け口にしかならないでしょう? 分かっているクセに」
「だって……」
身体に回されている両腕から力を抜き、八つ当たりするみたいに、背中をバリバリと引っ掻く。
「痛いですよ。そういうのも愛しているご主人に、是非ともしてあげてください」
彼女の両腕を掴み顔を覗き込むと、潤んだ瞳から一筋の涙が零れ落ちる。無言でそれを拭ってやり、頭を撫でてあげた。
「穂高のバカ。……変に優しくしないでよ」
照れながら彼女が呟いた時、ピンポーンとインターホンが鳴る。
床に落ちていたシャツを手にしながら、液晶画面がついてるドアホンに近づき、来訪者の顔を見た。
「千秋……」
どうしてこのタイミングで、彼が現れたのか。――もしかしたらどこかで、彼女と一緒にいる俺を見て、慌ててやって来たのかもしれない。彼の浮かべている不安そうな表情が、すべてを表しているから。
シャツのボタンを手早く嵌めて、玄関に向かう。
(第一声は、何がいいだろうか――)
ドアノブに触れるのを躊躇し考えをまとめてから、勢いよく扉を開いてニッコリと微笑んだ。
「千秋、……来てくれたんだ。嬉しいよ」
俺の今の本心を、言葉にしてみる。こんなタイミングじゃなきゃ、もっと弾んだ声で言えたのに、どこか硬い印象で告げてしまった。
「お客さんが来たなら私、帰るわ」
玄関にかけてあるコートを手に取り、さっさと靴を履いて出て行く彼女。
「来たばかりなのに、すみません。お構いも出来なくて」
俺と千秋を見比べて、意味深な笑みを浮かべる。だけど目元が笑っていなかった。
「いいわよ、穂高と久しぶりにお茶出来たし」
その素っ気なさに違和感を覚え、千秋がいるのに彼女の腕を掴んだ。店のお客様をないがしろにすることは、自分には出来ないから。
「今日は、ありがとうございます……」
きちんとお礼を言いながら顎を掴んで、外してくれる視線をしっかり俺に向けさせた。
「明日の約束。……忘れないで下さい」
「分かってるわよ、同伴。たくさん騒いであげるから、楽しみにしててね」
千秋に見せつけるように頬にキスをして、柔らかく笑う表情に、内心安堵のため息をついた。
「あらあら。……あんまり激しくして、困らせたらダメよ穂高」
背後にいる千秋に視線を飛ばし、何故か俺の耳に触れてから、ゆっくりと歩いて帰って行く姿に頭を下げる。
彼女を見送ってから振り返ると、そこには涙を流した千秋が呆然とした感じで、立っている状態。
「……千秋?」
何を言って涙を止めてあげればいいか思いつかなくて、右手人差し指で意味なく涙をなぞってみた。
恋人である俺が他の人に構っている姿なんて、見たくはないだろう。
「どうしたんだい。……ん?」
「……うっ、……っ」
声をかけた途端、堰を切ったように涙が次々と流れ落ちていった。震える身体を抱きしめてから、肩を押して家の中に入れてあげる。
「いらない誤解、させてしまったようだね」
千秋の細い腰を抱き寄せてから、身体をぎゅっと抱きしめ、目尻にちゅっとキスを落とした。
「泣かないで、千秋。俺が愛しているのは、君だけなんだよ」
見えない想いは、上手く伝わらないのは分かっている。現実は残酷だな――
千秋は表情を硬くしたまま、俺をじっと見上げた。
「彼女は以前お世話になった、だたのお客さんだよ。さっきだってここで、一緒にコーヒーを飲んでいただけ」
テーブルにあるコーヒーカップを、ほらねと見せてあげても、どこか納得していない様子。
「でも……」
何か言いたげな口元を、きゅっと引き結ぶ。
「そんなに疑うなら、こっち。寝室を見てごらん」
疑う彼の眼差しを受け、背中をぐいぐい押して、寝室まで連れて行く。だけど寝室の入り口で、ぴたりと足を止め、隅々を眺めていた。
(どうすれば、疑いが晴れるのだろうか――)
どうしていいか分からず、立ちつくす千秋の身体をひょいとを抱き上げて、ベッドに放り出した。
「うわぁあっ!?」
ビックリした声をあげる彼を見下ろしながら、ボタンを引きちぎってシャツを脱ぎ、素早く跨る。
「千秋……」
着ているブルゾンに手をかけたら、悲しそうな顔して首を横に振ってくれた。
「……っ、イヤ、だ……」
「そんな風に無意味に泣いて、嫉妬している君を慰めようとしているのに」
「んな、……の、いらな、……ぃっ」
小さなコが親を求めているような、そんな顔をしているというのに――
「無理だよ。不安げに瞳を揺らして、俺を誘ってる君に、何もせずにはいられない」
嬉しい顔も泣いてる顔もすべて、俺を誘う材料になるんだよ。
抵抗しようとした千秋の両腕をぎゅっと握りしめ、いつも以上に荒々しく、くちびるを奪ってやる。
「いっ、……イヤ、だっ! やめっ……、んっ!」
それでも首を左右に振って、必死に抵抗する千秋に、ムキになってくちびるを追いかけた。どうすれば俺の心が伝わるのか分からず、すり抜けてしまう千秋を、何とかしたかったから。
「……やっ!! 穂高さんなんか、……も、キライだっ!」
大粒の涙を流しながら、投げつけられた言葉に、ひゅっと息を飲むしかない。
「嫌い、なんて、……どうして――?」
深く愛し合えば、何とかなると思った。なのに嫌いと告げられ、目の前で拒絶されて、どうしていいのか分からない。
震える声で質問した俺を涙で潤んだ瞳で、じっと見上げる千秋が、不機嫌そうに眉根を寄せた。
「だって……、あの人としたんでしょ? だから咬み痕があって……」
――それか。
「それは違うっ、違うんだ千秋! 彼女は俺にとって上客で、えっと……、お店でたくさんお金を落としてくれる人でね、他のホストが手を出せないよう、咬み痕をつけたんだ」
永久指名制じゃないからこその先制攻撃。――他のホストに横取りされないように、自分のお客様に首輪を嵌めてやる。外でニセモノの恋愛ごっこを繰り広げながら、店では、お金を使ってもらうんだ。
「……千秋にそんな顔、ホントはさせたくないんだが、少しの間だけ我慢してくれないか?」
ホストの仕事が分からない恋人の千秋にとって、俺のやってることは、かなりの負担がかかってしまうのが目に見える。
さっきだって、お客様とキスをした。それ以上の行為は拒否したが、千秋からしたら立派な浮気になるだろう。
俺の言った言葉がやはり面白くないのか、怒った表情を浮かべ、涙で頬を濡らしたまま、顔を逸らした。
「君と早く一緒に暮らすために、俺はナンバーを目指してる」
「……ナンバー?」
横目だけど俺をチラリと見て、きちんと話を聞いてくれる千秋に嬉しくてつい、笑みが零れてしまう。
千秋の態度ひとつで簡単に一喜一憂させられ、突き動かされる自分の心に、人間臭さを感じた。
『仕事をするのに、余計な感情はいらない。なぜならばそれは、冷静さを失うからだ』
そう親父に教えられ、今まで仕事をしてきた。だけどやはり仕事は、感情で動いている時がある。それを捨て去ることは、はたして悪いことなんだろうか?
千秋の身体を抱きしめながら首筋に、すりりと頬を寄せてみた。相変わらず俺の身体に、千秋の腕は絡まない――
君をこんなにも、愛おしく想っているのに。
くちびるをきゅっと噛みしめて大きなため息をついてから、ナンバーの説明をする。
「ナンバーはお店の中で、たくさんのお客さんの指名があって、人気があるホストじゃなきゃなれないものなんだ。勿論俺は、ナンバーワンを目指してる」
「うん……」
「ナンバーワンを目指しながら、新人ホストの仕事。……そうだな、店内の掃除や先輩のヘルプに入ったり、お酒を作ったと思ったら灰皿を取り替えたりしてね。そういう雑務をこなしながら、接客していくワケなんだが」
ここで一旦言葉を切り上げ、千秋の頬にそっと手を当てて、横に向いてた顔を俺に向けさせてみた。――揺れる瞳が、不安を表している。
「千秋にとったら、そのことは面白くないだろうね。恋人である俺が他の人と恋人ごっこをしている姿を、見ることになるんだから」
その言葉に、しっかりと頷く。
「だけどそれが俺の仕事だから。そのサービスに対して、お客さんがお金を出してくれるからね」
「……分かってますって、それくらい」
声を荒げながら言い放ち、視線をしっかりと逸らす。そんな冷たい態度に、胸が軋むように痛んだ。
頭では分かっていても、感情はどうにもならない。それは千秋だけじゃなく、俺も同じだ。
「千秋だけと、本当の恋愛をするから……」
「本当、に?」
俺の言葉に反応して、ちょっとだけ視線を戻してくれた。だけど不安げな表情は消えていない。
「勿論。……嘘をつくのは、お客さんだけでたくさんだ。君には、真実の愛をあげるから――」
偽りだらけの恋愛の中に、一粒だけの真実の愛。君だけにそれをあげたいのに、どうやって伝えたらいいのか、未だに分からない。どうしたらその不安げな表情を、消すことが出来るのだろうか――
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