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第三章 偽りだらけの恋愛6

*** 「久しぶりね、穂高。一年前よりも何だか、表情が柔らかくなったみたい」  誰かに恋をしたら、そんなに変わるものなんだろうか。毎日鏡の前に立っていても、全然分からないのにな。  助手席にパラダイスの時にお世話になった上客を乗せて、自宅に向かっている。  本当は千秋に逢いたかったのだが、シャングリラの顧客が落ち着くまでの辛抱。早く片付けて、逢えなかった分の時間を埋めればいいと考えた。 「一年も経てば多少なりとも、変化があるんじゃないですか? 年をとるわけですし」 「言ってくれるのね。私も老けこんだと言いたいの?」 「まさか。美しさにより一層、磨きがかかったと思います」  地雷を踏みそうになったところを上手くかわし、自宅マンションの地下駐車場に車を滑り込ませる。 「ねぇ、お家で穂高が淹れてくれるコーヒーを飲むだけで、終わっちゃうの?」  車庫入れを無事に終えエンジンを切った途端に、腕に縋りつかれてしまった。 「とりあえず詳しい話は、中でしますので」  こめかみにキスを落とし降りることを促してから、肩をそっと抱いて自宅に向かう。  昔の自分に背負うものなど何もなかった。それ故に、自由に行動出来たのだが――  今の俺には、大切にしたい人がいる。その人を泣かせないためにも、ギリギリのラインで、調整をしなければならない。  胸の中に鉛を抱えながら、彼女を家の中に上げた。 「どうぞ。ソファにかけて、待っていて下さい。コーヒーは、ブラックですよね」  着ていたコートを貰い、ハンガーにかけて玄関に吊るしておく。 「ええ、久しぶりに飲むことが出来て嬉しいわ、穂高」  昔と変わらない寂しげな微笑で、彼女とご主人の冷めた関係に変化がないことが分かってしまった。  背中に視線を感じつつ、お湯を沸かしながら、コーヒー豆をフィルターに入れていく。 「……アドバイスしてあげたというのに、実践しなかったんですね、困ったお人だ」  ため息と一緒に、溢してしまった言葉を一笑した。 「穂高が悪いのよ、突然お店からいなくなるんだから。アドバイス通り実践しても、その後どうすればいいか、分からないじゃない」  きちんと実践していたら、寂しそうな笑みを浮かべないだろう。  彼女の文句を無視し、沸騰したお湯をフィルターに二、三回に分けて、丁寧に注いでいく。室内に充満するふくよかなコーヒーの香りが、荒みかけた自分の心を癒していった。  真っ白いコーヒーカップと自分のカップを手にして、テーブルにそれを置き、彼女の横に並んで座る。 「いい香り。……戴きます」  俺に向かって微笑んでから、カップを手に取り、ゆっくりと口に含む。 「やっぱり美味しい。穂高の味ね」 「お口に合ったみたいで、よかったです」  同じように微笑んでから、自分もコーヒーを飲んだ。  以前、千秋に振舞った時、同じように美味しそうに飲んでくれたっけ。コーヒーが苦手だといった彼に合わせて、やや薄めに淹れてカフェオレにしてあげたら、目の前で一気に飲み干したんだ。  しかもお代わりを要求してくれて、とても嬉しかった。千秋の喜ぶ顔を見ることが出来るだけで、俺は―― 「何を、思い出し笑いしているの穂高?」 「……前にコーヒーを淹れた時と、違いがなくてよかったなと思いまして。しばらく人には、振舞っていなかったので、多少味が落ちているかも、と」 「コーヒーは相変わらず美味しいけれど、穂高は変わってしまったみたいね」  とってつけた理由に納得してくれたらしいが、俺の変化について、やはり気にしているようだ。 「変わりましたか、俺は……」 「そうね。見えない壁を作っているみたい。以前のように、抱いてはくれないの?」  音をたててカップをソーサーの上に置き、ぎゅっと抱きつかれてしまう。迷うことなくその身体を抱きしめ、首筋に咬みついてやった。  千秋のもとに早く帰るための金づるへ、他のホストが手出し出来ないように、俺の客だという印をしっかりとつける。 「あぁっ、穂高……」  首筋から顔を離した途端、目の前に彼女の顔が迫ってきた。  キスされる。――分かってはいたが、あからさまに外すのも失礼だろうと判断し、そのまま受けることにする。  彼女から奪うようなキスをされながら、キリのいいところを見計らい、両肩に手を置いて、そっと身体を引き離した。 「穂高……?」 「スミマセン。これ以上は、もう――」  信じられないといった表情を、ありありと浮かべる彼女が見ていられなくなり、瞼を伏せる。なのに俺が着ているシャツのボタンを、次々と外されてしまって困惑するしかない。 「ダメですよ、そんな」 「いいじゃない。大好きな彼女に、バレなければ」  さっさとシャツを脱がせて半裸にし、俺の胸元に頬を寄せた。 「お互い、相手にバレなければ大丈夫よ。きっと……、私は穂高のこの、滑らかな肌が好き」 「……俺は貴女のように、相手を裏切ることが出来ません。とても大切に想っているので」  引き離そうとしたら背中に腕をまわして、ぎゅっとしがみ付く。参ったな―― 「そうやって俺に迫れるのに、どうしてご主人に迫ってあげないんですか?」  子どもをあやすように、背中を優しく叩いてあげる。 「俺と寝たって、性欲の捌け口にしかならないでしょう? 分かっているクセに」 「だって……」  身体に回されている両腕から力を抜き、八つ当たりするみたいに、背中をバリバリと引っ掻く。 「痛いですよ。そういうのも愛しているご主人に、是非ともしてあげてください」  彼女の両腕を掴み顔を覗き込むと、潤んだ瞳から一筋の涙が零れ落ちる。無言でそれを拭ってやり、頭を撫でてあげた。 「穂高のバカ。……変に優しくしないでよ」  照れながら彼女が呟いた時、ピンポーンとインターホンが鳴る。  床に落ちていたシャツを手にしながら、液晶画面がついてるドアホンに近づき、来訪者の顔を見た。 「千秋……」  どうしてこのタイミングで、彼が現れたのか。――もしかしたらどこかで、彼女と一緒にいる俺を見て、慌ててやって来たのかもしれない。彼の浮かべている不安そうな表情が、すべてを表しているから。  シャツのボタンを手早く嵌めて、玄関に向かう。 (第一声は、何がいいだろうか――)  ドアノブに触れるのを躊躇し考えをまとめてから、勢いよく扉を開いてニッコリと微笑んだ。 「千秋、……来てくれたんだ。嬉しいよ」  俺の今の本心を、言葉にしてみる。こんなタイミングじゃなきゃ、もっと弾んだ声で言えたのに、どこか硬い印象で告げてしまった。 「お客さんが来たなら私、帰るわ」  玄関にかけてあるコートを手に取り、さっさと靴を履いて出て行く彼女。 「来たばかりなのに、すみません。お構いも出来なくて」  俺と千秋を見比べて、意味深な笑みを浮かべる。だけど目元が笑っていなかった。 「いいわよ、穂高と久しぶりにお茶出来たし」  その素っ気なさに違和感を覚え、千秋がいるのに彼女の腕を掴んだ。店のお客様をないがしろにすることは、自分には出来ないから。 「今日は、ありがとうございます……」  きちんとお礼を言いながら顎を掴んで、外してくれる視線をしっかり俺に向けさせた。 「明日の約束。……忘れないで下さい」 「分かってるわよ、同伴。たくさん騒いであげるから、楽しみにしててね」  千秋に見せつけるように頬にキスをして、柔らかく笑う表情に、内心安堵のため息をついた。 「あらあら。……あんまり激しくして、困らせたらダメよ穂高」  背後にいる千秋に視線を飛ばし、何故か俺の耳に触れてから、ゆっくりと歩いて帰って行く姿に頭を下げる。  彼女を見送ってから振り返ると、そこには涙を流した千秋が呆然とした感じで、立っている状態。 「……千秋?」  何を言って涙を止めてあげればいいか思いつかなくて、右手人差し指で意味なく涙をなぞってみた。  恋人である俺が他の人に構っている姿なんて、見たくはないだろう。 「どうしたんだい。……ん?」 「……うっ、……っ」  声をかけた途端、堰を切ったように涙が次々と流れ落ちていった。震える身体を抱きしめてから、肩を押して家の中に入れてあげる。 「いらない誤解、させてしまったようだね」  千秋の細い腰を抱き寄せてから、身体をぎゅっと抱きしめ、目尻にちゅっとキスを落とした。 「泣かないで、千秋。俺が愛しているのは、君だけなんだよ」  見えない想いは、上手く伝わらないのは分かっている。現実は残酷だな――  千秋は表情を硬くしたまま、俺をじっと見上げた。 「彼女は以前お世話になった、だたのお客さんだよ。さっきだってここで、一緒にコーヒーを飲んでいただけ」  テーブルにあるコーヒーカップを、ほらねと見せてあげても、どこか納得していない様子。 「でも……」  何か言いたげな口元を、きゅっと引き結ぶ。 「そんなに疑うなら、こっち。寝室を見てごらん」  疑う彼の眼差しを受け、背中をぐいぐい押して、寝室まで連れて行く。だけど寝室の入り口で、ぴたりと足を止め、隅々を眺めていた。 (どうすれば、疑いが晴れるのだろうか――)  どうしていいか分からず、立ちつくす千秋の身体をひょいとを抱き上げて、ベッドに放り出した。 「うわぁあっ!?」  ビックリした声をあげる彼を見下ろしながら、ボタンを引きちぎってシャツを脱ぎ、素早く跨る。 「千秋……」  着ているブルゾンに手をかけたら、悲しそうな顔して首を横に振ってくれた。 「……っ、イヤ、だ……」 「そんな風に無意味に泣いて、嫉妬している君を慰めようとしているのに」 「んな、……の、いらな、……ぃっ」  小さなコが親を求めているような、そんな顔をしているというのに―― 「無理だよ。不安げに瞳を揺らして、俺を誘ってる君に、何もせずにはいられない」  嬉しい顔も泣いてる顔もすべて、俺を誘う材料になるんだよ。  抵抗しようとした千秋の両腕をぎゅっと握りしめ、いつも以上に荒々しく、くちびるを奪ってやる。 「いっ、……イヤ、だっ! やめっ……、んっ!」  それでも首を左右に振って、必死に抵抗する千秋に、ムキになってくちびるを追いかけた。どうすれば俺の心が伝わるのか分からず、すり抜けてしまう千秋を、何とかしたかったから。 「……やっ!! 穂高さんなんか、……も、キライだっ!」  大粒の涙を流しながら、投げつけられた言葉に、ひゅっと息を飲むしかない。 「嫌い、なんて、……どうして――?」  深く愛し合えば、何とかなると思った。なのに嫌いと告げられ、目の前で拒絶されて、どうしていいのか分からない。  震える声で質問した俺を涙で潤んだ瞳で、じっと見上げる千秋が、不機嫌そうに眉根を寄せた。 「だって……、あの人としたんでしょ? だから咬み痕があって……」  ――それか。 「それは違うっ、違うんだ千秋! 彼女は俺にとって上客で、えっと……、お店でたくさんお金を落としてくれる人でね、他のホストが手を出せないよう、咬み痕をつけたんだ」  永久指名制じゃないからこその先制攻撃。――他のホストに横取りされないように、自分のお客様に首輪を嵌めてやる。外でニセモノの恋愛ごっこを繰り広げながら、店では、お金を使ってもらうんだ。 「……千秋にそんな顔、ホントはさせたくないんだが、少しの間だけ我慢してくれないか?」  ホストの仕事が分からない恋人の千秋にとって、俺のやってることは、かなりの負担がかかってしまうのが目に見える。  さっきだって、お客様とキスをした。それ以上の行為は拒否したが、千秋からしたら立派な浮気になるだろう。  俺の言った言葉がやはり面白くないのか、怒った表情を浮かべ、涙で頬を濡らしたまま、顔を逸らした。 「君と早く一緒に暮らすために、俺はナンバーを目指してる」 「……ナンバー?」  横目だけど俺をチラリと見て、きちんと話を聞いてくれる千秋に嬉しくてつい、笑みが零れてしまう。  千秋の態度ひとつで簡単に一喜一憂させられ、突き動かされる自分の心に、人間臭さを感じた。 『仕事をするのに、余計な感情はいらない。なぜならばそれは、冷静さを失うからだ』  そう親父に教えられ、今まで仕事をしてきた。だけどやはり仕事は、感情で動いている時がある。それを捨て去ることは、はたして悪いことなんだろうか?   千秋の身体を抱きしめながら首筋に、すりりと頬を寄せてみた。相変わらず俺の身体に、千秋の腕は絡まない――  君をこんなにも、愛おしく想っているのに。  くちびるをきゅっと噛みしめて大きなため息をついてから、ナンバーの説明をする。 「ナンバーはお店の中で、たくさんのお客さんの指名があって、人気があるホストじゃなきゃなれないものなんだ。勿論俺は、ナンバーワンを目指してる」 「うん……」 「ナンバーワンを目指しながら、新人ホストの仕事。……そうだな、店内の掃除や先輩のヘルプに入ったり、お酒を作ったと思ったら灰皿を取り替えたりしてね。そういう雑務をこなしながら、接客していくワケなんだが」  ここで一旦言葉を切り上げ、千秋の頬にそっと手を当てて、横に向いてた顔を俺に向けさせてみた。――揺れる瞳が、不安を表している。 「千秋にとったら、そのことは面白くないだろうね。恋人である俺が他の人と恋人ごっこをしている姿を、見ることになるんだから」  その言葉に、しっかりと頷く。 「だけどそれが俺の仕事だから。そのサービスに対して、お客さんがお金を出してくれるからね」 「……分かってますって、それくらい」  声を荒げながら言い放ち、視線をしっかりと逸らす。そんな冷たい態度に、胸が軋むように痛んだ。  頭では分かっていても、感情はどうにもならない。それは千秋だけじゃなく、俺も同じだ。 「千秋だけと、本当の恋愛をするから……」 「本当、に?」  俺の言葉に反応して、ちょっとだけ視線を戻してくれた。だけど不安げな表情は消えていない。 「勿論。……嘘をつくのは、お客さんだけでたくさんだ。君には、真実の愛をあげるから――」  偽りだらけの恋愛の中に、一粒だけの真実の愛。君だけにそれをあげたいのに、どうやって伝えたらいいのか、未だに分からない。どうしたらその不安げな表情を、消すことが出来るのだろうか――

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