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第16話
東吾の言葉に、哲生は訝るように訊ねた。
「本気だったって…。お前、俺のこといつまでたっても『佐倉、佐倉』って他人行儀に呼んで。だから、単なるセフレだと思ってたよ。ま、身体の相性は最高だったから、それでも構わなかったんだけど」
「お、俺がずっと『佐倉』と呼んでたのは…!」
この教室に呼び出されたときからずっと、淡々と乾いた態度だった東吾が、気色ばんだ。
「俺は、君を『佐倉』って呼ぶのが好きだった。君の名前が『サクラ』だと知ったとき、ぴったりだと思った。君はテツオより、サクラが似合う」
「黒川…」
哲生は涙が出そうになって、唇を噛んでうつむいた。
東吾が自分との間に一線を引いていると感じていたのは勘違いと言うことか。『佐倉』と呼ばれていたのは、東吾の愛情の表れだった。あの夏の日、不安の裏返しで強がったりせず、東吾に気持ちをぶつけていたら、二人の未来は違ったものになっていたかもしれない。
だが、最早今更遅いのだった。
哲生は東吾の腕に手をかけて、彼の顔を見上げた。
「ごめん」
「佐倉…」
「お別れに、キスしてくれないか」
東吾は一瞬切ない表情を浮かべたが、哲生の頬に両手を当てると唇が触れ合うだけの優しいキスをした。そして、自分の胸に押しつけるように抱きしめた。
息が詰まりそうな力で抱きしめられながら、哲生は自分と東吾はどこかで間違ったのには違いないが、きっとこれで良かったんだと思い込もうとしていた。
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