31 / 39
第31話
駅前の、ビジネスホテルのツインルームは簡単にとれた。出張中のサラリーマン2人連れと思われたようだ。
昔から知ってはいたが、入ったことのなかった古いビジネスホテルの、思っていたよりずっと清潔な部屋に安心していると、ドアが閉まると同時に哲生が東吾の首に腕を巻きつけ、キスしてきた。
既婚者とか、不倫とか、会ったことのない哲生の妻への罪悪感とかそんなものが一気に押し流され、嵐のように激しい感情が東吾を襲った。
8年間の空白を埋めるように互いに求め合い、奪い合い、やはり哲生ほど恋しい相手はいないのだと改めて思い知った。都会で抱いた誰もが埋められなかった心の穴を、哲生は一瞬で埋めてしまった。
それだけに、哲生は最早「サクラ」ではないという事実が東吾を傷つけた。
なぜ名前を呼んでくれないのかという哲生の問いに、佐倉とも、哲生とも、ましてや山岸とも呼べず、東吾はひとりベッドを出て、シャワー室に逃げ込んだ。
冷水を浴びて頭を冷やし、タオルを2枚ほど濡らして軽く絞ると部屋に戻った。 膝を抱えて座っている哲生の目が赤く潤んでいるのを見て、東吾の心は千々に乱れた。
だが大きく深呼吸すると、8年前のように彼の身体を拭き始めた。肋が浮くほど細いのもあの頃のままだ。太ももを拭き、股間にそっと触れるとため息を漏らすのも変わっていない。
「…なぜ、名前を変えたんだ?」
今はぐったりしている哲生のモノを丁寧に拭きながら、東吾は尋ねた。
哲生はぼんやりと東吾の手元を見つめていたが、ポツリと言った。
「お前以外のやつから、佐倉と呼ばれたくなかった。」
東吾の手が止まった。
「他の人間に佐倉と呼ばれるのが辛くて、寂しくて。一番呼んでほしいやつに呼んでもらえないのに。だから、結婚を機に名前を変えた。山岸としてなら彼女を愛せると思った」
哲生が東吾の頭をそっと撫でた。
東吾はタオルを握ったまま、何も言えず目を閉じた。
ともだちにシェアしよう!