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第10話

 勝手にドアが開き、何も言われることなく乗った。好きにしろって、言われたから。    「おはよう、譲」    中は前に乗ったリムジンの仕様とは違い、対面座席になっていて運転席と完全に切り離された構造になっている。目の前の座席に座っていたのは、珍しく祖母一人だった。    「おはようございます」    「ごめんなさいね、どうしてもあなたとお話がしたくて」    「…おれ、も話があります」    あらそうと嬉しそうと笑う顔に狂気は見られない。どうせ「取引」の事だろうから先に話してもらおうとして、呼び方に困った。この人の頭ではおれは息子になってるから、おばあちゃんと呼んでも反応はしなさそうだ。    「えっと…お、おばあちゃん、からどうぞ」    試しに呼んでみる。    「あらあら、おばあちゃんだなんて…ちゃんとお母さんとお呼びなさい」    …そんな気はしていた。お母さんと呼ばないと、話もしてくれなさそうだと仕方なく呼ぶ。    「おか、…お母さん」    「なぁに、譲」    猫なで声が背筋をぞくりと這い上がる。気持ちの悪さを抑え込み微笑み返す。おれの母さんは、一人だけだと心の中で語った。    「話ってなんですか」    「譲は、いつ家に来るのかしら?もう随分待ったのだけど…。アレのところにいるのも辛いでしょう?」    榊田に行くのは確定事項みたいだ。アレ─父さんのとこにいるのは確かに辛い。けど、好きだから遠目でもいいから見ていたいと思うのはいけない事ではない。  お金は借金してでも払い続ける、だからおれは行かない事を伝えに来た。    「おれは榊田の家には行きません」    祖母の目を見つめ、はっきり言った。するとさっきまで化けの皮を被っていた顔が剥がれ落ちていくのが見え、現れたものは酷く歪んでいた。    「だめよ、来なさい。あなたは私の言う事が聞けないの?」  「言う事もなにも…おれは、あなたの息子でもないんです」    「なん、ですって…?…………もう一回チャンスをあげるわ、家に来なさい」     もう一度行かないと言おうとしたその時。ふとした瞬間に顔が横を向いていて、左頬には痛みが強く残っていた。ロボットの如く固まりながら祖母の方を向いた。祖母は手を、右手を上げ不気味に笑っていた。    叩かれたのだと、気づくのに時間がかかった。    「譲は、そんな子じゃないわよねぇ。譲は私の言う事をちゃあんと聴けるいい子よねぇ?」    最初から、おれの話を聞く気なんて無かったのではないかと思う。何を言っても、きっと殴られるか蹴られるかされていた。    「譲の家はここよ!」    「ち、ちがっ」    否定しようとしたら、また手が上に上がっていく。  また叩かれる─っ、身を守ろうとさっ身構えたが、痛みはない。その代わり温かい物に包まれていた。祖母の体である。    「そんなに怯えなくていいのよ?」    気のお香が鼻につく。いい香りだと思うのに、今は全く感じられない。    「…アレの仕事は、確か美容師とかいうふざけた職業だったわね。………あんなちんけな会社、すぐ潰してあげる」    血の通っていない声に、耳を疑う。お金で強請(ゆす)れないとなれば、父さんの会社で強請るというのか。  おれが甘かったんだ…。まだ会って日も浅い人たちの事を、分かりきったものだと思い込んでいた。話せば分かってくれると。 おれに拒否権なんてない、あるのは肯定権のみだということに気づくのは遅すぎた。    

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