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第2話
○ 二日目〈蛇岐〉
早朝、椿が寝ている間にくすりを買いに出かけた。昨夜椿は痛みに何度もうなされて(きっとそれだけではないだろうけれど)、数時間後には高熱を出した。眠りが浅いのか、俺の腕からベッドへ降ろそうとするたびに、びくりとからだを震わせ薄く目を開けた。どこにも行かない、と意思表示すると安心したように頷き目を閉じて、そんなことを一晩中続けた。
外は寒くて、空は灰色で、コンビニを出ると雪が降っていた。椿は寒がっているだろうな、と急ぎ足で家を目指した。
帰宅すると、椿はベッドから転げ落ちるようなかたちで床で蹲っていた。痛む腹を抱えて、それでも俺を見付けるとあからさまに安堵した表情を浮かべた。時計を見る。家を出てから二十分しか経っていない。
「ベッドから出たらだめだ」
極めて静かに、口先だけでぼそぼそと声を発した。椿は俺の腕に縋りついて何度も頷き、導かれるまま素直にベッドに横たわった。高熱でからだは熱くて、瞳は濁って虚ろだ。
「なにか食べる?」
訊くと首を横に振り、そして痛みに顔を歪めた。
「くすり、買ってきたから」
立ち上がると、椿はまた慌てて俺の腕を取った。そして今度はしっかりと目を開けて、その瞳で俺を捉えて(束の間迷いのようなものを見せ)焦燥を滲ませた声色で突然「そうか」と呟いた。そうか、蛇岐か、と。そしてまた「そうか」と呟いて、俺の腕を解放するとベッドに沈んだ。
「……………くすり、飲める?」
「……………いらない」
そう、と返事をする。テーブルに水の入ったグラスと市販の痛みどめを二錠置き、狭い台所で甘ったるいジャムの挟まったパンを齧った。ちっとも美味しくないな、と思う。こんなに味のしない食事をしたのは、母と暮らした家を出てからはじめてだ。心の中にぽっかりと、それどころか身体中の大事な骨や肉や血管が、ひと息にずるりと抜き去られた気分だった。
ひと口齧っただけのパンをゴミ箱に捨てて、窓を開けた。室内は一気に冷たく沈む。椿が身じろいだ。あの人の声を思い出す。冷ややかで抑揚がなくて、決して大きな声ではないけれど、きちんと意思を持った声だった。小さな声で真似をしてみる。
蛇岐、椿、蛇岐、椿。蛇岐。
雪はしんしんと降ってきて、遠慮がちに地面を湿らせていった。アスファルトの灰色が黒く埋め尽くされるたび、自分自身も少しずつ、ここから遠ざかっていくような気がした。あの人がこの世から消えてしまった今、あの人に名付けられた俺は、まるで負の遺産のようだった。
蛇岐。
消え入りそうな声は、思わず幻聴かと疑った。
「寒いから、閉めて」
椿はこちらを見ないままそう言った。すぐに閉めるよ、そう返事をしたけれど、しばらく窓を開け放したまま、陰鬱とした絵画のような景色を眺めていた。
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