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第3話
○ 三日目〈我妻椿〉
この部屋に来てから、寒さでよく眠れない。夜中に何度も目が覚めて、手足の先はかじかんで震えるし、寒さや痛みにだけは敏感になっているのに、それ以外は妙にぼんやりとしている。こんなに寒いのに、蛇岐はカーテンを開けたまま窓に寄りかかって寝ていて、薄暗闇の中それを見るともなしに眺めていると、蛇岐は何度か小さく身じろいで咳払いをしたあと、ふと目を開けた。
「蛇岐」
呼んでみると蛇岐はすぐに視線をあげて、視線が重なると白い息と共に、どうした、と呟いた。
「こっちにきて」
手足の震えはそこから全身に達して、吐き気までを催した。どれだけ布団にくるまっても、ちっともあたたかくならない。蛇岐は黙って立ち上がると俺の眠るベッドの脇に腰かけて、震える俺の手を握った。
「冷たいね」
俺は黙って頷く。蛇岐の指先も冷えていた。
「………もっと近くにきて」
握り合った手を引っ張ると、蛇岐は少しの抵抗もなく隣に横たわった。
「もっと」
布団を捲るとそこに大きなからだが滑り込んで、小さなシングルベッドはそれだけでいっぱいになった。蛇岐は俺を壁側に押しやって、分厚いからだを収めると俺の両手を固い指先でさすった。
「明日は、何か食べよう」
至近距離で見る蛇岐の顔はいつも以上に蒼白で、吊り上がった目の下には青紫色の濃いくまができていた。
「ね、椿ちゃん、明日は食べよう」
スープでも、パンでも、なんでも、と蛇岐は懇願するように小さな声で囁いた。互いの両手の指を絡め合わせて、脚をすりあわせ、蛇岐の胸に頭を預けた。心臓の音がする。血の巡る音を感じる。ひとりで寝るよりも随分とあたたかいはずなのに、震えはちっともよくならなかった。蛇岐の願いには応えてやれそうにないな、と心の内で呟く。どうしようもなく痛かった腹の傷は、感覚が麻痺したように鈍く疼くだけだった。
目を閉じると、睡魔はすぐそこまでやってきていた。暗い闇に落ちかかって、このまま目覚めなければ楽なのにと、そんなことが頭を過ぎり、途端に目が覚めて、すぐそばにある蛇岐の寝顔を見つめた。閉じられた瞼を視線だけでなぞった。得体の知れない恐怖が頭から爪先まで余すところなく駆け巡り、咄嗟に繋ぎ合った手を強く揺すった。蛇岐はすぐに目を開けて、返事をする代わりに俺の額に顎を擦り付けた。
「蛇岐、うたって」
俺が眠るまで。蛇岐は嫌な顔ひとつせず(表情は一貫して少しも動かなかった)、俺が目を閉じるのを確認すると小さな声で途切れ途切れに鼻歌をうたった。俺はただ寝るためだけに必死になって、その歌声を、音を追いかけた。途切れれば腕を揺すり、へたくそな歌に聞き入り、蛇岐の声が聞こえなくなればきつく脚を絡めて、震えるからだすべてを隙間なく密着させて強引に強請った。蛇岐はそれにいちいち応えてくれた。
次に目覚めたときには、外は既に明るくなっていた。蛇岐がいつまで歌ってくれていたのかは、知らない。
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