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第2話

 放課後。ぼんやりとスマートフォンの音楽を聴いている俺から、いきなりひょいっとヘッドホンが外された。 「なに聴いてんの? これ、洋楽?」 ヘッドホンに片耳をくっつけて、スマートフォンを覗き込むのは、やはり泉原だった。 「まーた俺の所に来たのか……ほら、返せよ」 あの日の放課後の、泉原から受けた言葉が心に引っかかってしょうがない。 「この前のやつはさ、俺からお前への告白、って訳じゃねーからな」 顔を背け、感情を抑えながら言う。 「このまえ? あぁ、欲情するとかしないとか?」  無言で頷く。本気の言葉でないのは解っているが、泉原と俺がどうにかなるのか、なんて一瞬でも想像してしまった自分が怖い。 「そんな自惚(うぬぼ)れてないよ。尾嶋は男が恋愛対象でも、俺が恋愛対象、って訳じゃないんだしさ」  泉原はあっさりと笑う。なんだこいつ、意外と分かってるじゃん。 「でもさ、俺みたいなのって、本気で尾嶋の好みじゃないの?」   首を傾げて、泉原の眼が俺の眼を真っ直ぐに見つめる。そんな言動に、不覚にもまた心が揺らいだ。 「やっぱりお前、俺を口説いてんじゃねーか。大体さ、俺とお前が付き合ってどうすんだよ」 「ちゃんと恋人同士になれればさ、もっと尾嶋と色々な話が出来るじゃん」  俺が苛立つのにも気にせず、また子供のように笑いながら泉原は言う。 完全に面白がってるな。そういう奴はいままでもいたから放っておくしかないが。  女への興味は無いガキ、と噂されているけど、そのうち美人から誘われれば乗っかる。そしてこいつは、男への興味なんて完全に無い。それなのにじゃれついてくるのが嫌だった。 そんな泉原に、どこか惹かれている俺も嫌だった。 「自分の恋愛対象は男、っていうのは本当。だけど自分は、まだ男と一度もセックスしたことない。もちろん女ともない。男子高校生らしい性欲はあるけど、ただ相手がいないだけ。お前みたいに好奇心から言い寄ってきた男達もさ、いざとなるとびびるんだぜ。だから、ペッティングも、キスも、全部未経験だよ」  正面から向き合うと、一気に事実を語るが、何も返さない。こいつ、理解してないのか? 性体験の有無についての話なんて、まだ難しかったか。 「お前と同じだよ。恋愛経験が無い、ってだけ」  もう恋愛話は終わらせようと、顔を背ける。 「恋愛経験、ね」  泉原はしばらく黙り込んでいたが、ふと呟いた。 「よく童貞って言われるけどさ、違うんだよ。同級生の女子と付き合ってたことある。あぁ、もう別れたけど」  そして、落ち着いた口調で語りだした。少し驚いて、俺は背けていた顔を泉原に向けた。 「……ふうん」 「疑わないのか? 泉原は恋愛経験ない、って思ってたんだろ?」 「別に変じゃないだろ。お前は見た目は良いし、性格も……悪くねーし。まぁ、意外だったけどさ。そのときの彼女と最後までやったのか」  俺の下品な問いに泉原は頷き、また黙り込んでしまった。寂しいような、切ないような、奇妙な表情をしている。初めて見たな、泉原のこんな表情。 「相手がいて性欲湧いたら誰だってやるよなー」  重たい雰囲気をごまかそうと軽い調子で喋るが、泉原は何も応えない。 「お前さぁ、なんで彼女と別れたんだ? 振られたのか?」   いつもうるさく喋りかける泉原がずっと無言でいるのが耐えられず、からかい交じりで問いかける。現在の俺は、過去の恋愛をしつこく探る嫌な奴だな。 「まぁ、ガキの付き合いなんてすぐ終わるか~」  ごまかして話を終わらせようとするも、ただの上から目線のからかい文句になった。 しばしの沈黙の後、泉原はゆっくり口を開いた。 「妊娠した、って言われてさ」 「……なに?」  予想外の言葉に変な声を出した俺に向かって、泉原は首を横に振った。 「してなかったよ。ちゃんと病院で調べたんだ」 「騙されたのかよ。女は怖いな~」  驚いた照れを誤魔化(ごまか)そうと俺は笑うが、泉原は真剣な口調で応える。 「嘘ついたんじゃなくて、彼女も勘違いしてたんだよ。俺もしっかり避妊してなかったし」  真面目な表情で「避妊」なんて言葉を口から出す泉原は、なんだか別人みたいだな。 「もちろんびっくりしたけど、俺は彼女を本気で好きだった。だから真剣に思い詰めて、検査する前にプロポーズした」 「えっ?」  再び驚いた俺の変な声に、また泉原は首を横に振る。 「でもさ、彼女はもっと混乱していて『康太郎くんが怖い』なんて泣かれてさ。それで、彼女の親に相談したんだ」    生々しい過去を淡々と語るが……。  親に相談すれば、まず医者に診せるか。そして妊娠していなかったのか。ちょっとした体調の変化から、間違いが起こったのだろう。  どうせ、軽い女子と適当に付き合い始め、飽きたから別れたのだろう、なんて思っていたが。予想外に重たい恋愛経験だったな。    「誰だってビビるだろ。受験とかもあるし。大体、それって中学何年のときだよ」 「いや、小六のとき」 「はあっ?」  再び返ってきた予想外の答えに、今日一番の変な大声を出した。 「小学五年の冬頃から付き合い始めて、小学六年の夏に『赤ちゃんが出来た』って言われてさ、ちょうど夏休みの始めだったから、クラスメイトにはばれずに済んだけど」  驚きの声を上げた俺とは対照的に、泉原は冷静な声で語る。 「さんざん言われたぜー。なんか教師陣と両親の会議みたくなってさ。俺は親とその会議場に行ったけど、何故か彼女はそこに居なくて」 寂し気な表情で、しみじみと想い出話を続ける。 「それで、彼女の父親に『二度とうちの娘には近寄るな!』って怒鳴られて……夏休み明けに彼女は突然転校してたし……互いの親に迷惑も金も掛けたただろうな」  突然の転校、ってことは、お互いに別れ話もなく引き離されたのか。 一連の話、嘘ではないよな。幼い頃の恋愛を痛々しく語る泉原の表情は、とても演技には見えない。 だが、小学生の泉原が女子を押し倒す場面なんて、もっと想像つかなかった。 「その……寝たときはさ、彼女から誘われたんじゃないのか?」 「いいや、俺もその気だったよ。なんか、大人への儀式、みたいな感じでさ。裸でくすぐり合い、みたいな記憶しか無いけど」  泉原が恋愛から遠ざかっているのは、異性関係の失敗からだったのか。「女に興味がないガキ」なんて言われているが、実際はクラスの連中より大人なんだな。俺と泉原って、恋愛経験の有る無しが、周りの噂とは逆だったのか。 「この話を誰かにしたの、尾嶋が初めてなんだよ」  また予想外の言葉が投げられた。 「なんでいきなり話したんだ? 俺がお前を、恋愛経験が無い、って馬鹿にしたからか?」  勘違いの発言が悔しかったのだろうか。でもそれは、他の奴等からも言われているのに。 「いいや、尾嶋は真面目な恋愛してるから。俺も昔の思い出を、真面目な恋愛にしたくてさ」  クラスの奴等に、泉原が小学生の頃の恋愛経験を真剣に話しても、「こいつ実はエロいガキだった」なんて笑われるだけか。 面白がって俺にじゃれついていた訳じゃなく、同性愛をカミングアウトしているクラスメイトの俺に対して、真面目な恋愛観を持つ者同士、という意識が泉原にはあったのか。 「なーんか話したら楽になった。ありがとな、聞いてくれて」 ぱっと明るい口調に戻った。 「それでも、俺が違う奴等に話したらどうすんだよ。お前、悪口の的にされるぞ」 「でも尾嶋は、噂ばらまくの好きじゃないだろ」  心配した俺の性格をさらりと決め付ける泉原は、もちろん俺より大人だ。 「恋愛経験、かぁ……」  俺はさっきの泉原の言葉を真似るように呟く。 「俺も話そうかな……。中学生の頃、好きな人がいたんだ。あぁ……もちろん男だよ」  横目で見ると、真面目な表情で泉原は頷いた。 「年上のひとで、同じスイミングスクールに通ってて……思い切って告白したんだよ」  思い出したくない記憶だったが。誰にも話すつもりなど無かったが。 「貴方のことが好きです。自分は同性愛者だから、本気で恋愛対象としてみてます……なんて、カッコつけてたな、ガキのくせに」  ガキだからこそ格好良く見せたかったのだろう。相手は年上で、大人なんだと思っていたし。   「そしたらもちろん、ごめんね、って断られたよ。傷ついたけど、それよりショックだったのは――」  深く息を吸い込むと、 「そういう事、これから他人(ひと)に言わない方が良いよ。変な噂で竜司くんが傷つくだけだから」  心の奥底に仕舞い込んでいた言葉を、一気に吐き出した。 「――って言われてさ。告白しても傷つくだけ、って言いきられたら、俺は一生恋愛するの無理じゃん」  いま俺がゲイであることをあっさりとカミングアウトするのは、この、失恋したときのアドバイスへの疑問からだ。 本当に変な噂になるか?   噂になったら自分は傷つくだろうか?   傷つく、ってどこがどういう風に傷つくのだろう?  疑問というより、反抗心か。 そのひとが俺にそんなアドバイスしたのは、変な性癖の少年に、巻き込まれたくなかったからだろう。  そのひとと俺は、結構仲良くはしていた。だからもしも、俺が失恋話を周囲に広めたら? そのひとは、俺と恋愛して別れた、とでも言われるかもしれない。 「でも、尾嶋も恋愛出来るだろ?」   不思議そうに言う泉原は、俺は真面目な恋愛をしている、と思ってるんだよな。 「さぁ……どうだろうな」  いつも過去に言われた言葉が心に引っかかり、不安しか抱けない。 「俺とすればいいじゃん」  俯いた俺に向かって、泉原はさらりと言う。  「お前、俺には欲情しない、って言ってただろ」  上目遣いで睨み付ける。 「友達としか見てなかったからだし。いまは恋愛対象として見てるよ」 「なんだよそれ……本気か?」  「真面目な口説き文句」  きっぱりと告げた泉原と目を合わせた。すると何故か面白くなって、俺は吹き出した。すると泉原も真剣な目を細め、顔面を崩す。  もはや笑い疲れて大きく息を吐くと、泉原の笑いも止まった。そして、ふたりの笑い声だけ響いた教室が、ふと静まる。 笑顔の残る優しい瞳で俺を見つめる泉原にゆっくり顔を近づけると、何故かそっと瞳を閉じた。 こういう時ってもっと緊張するかと思ったが、どうしてだろう、妙に落ち着いているな。 軽く顎を持ち上げられ、唇に温かいなにかが当てられた。瞳を閉じたままの俺はそれがなんなのか、はっきりとは分からない。でも、初めての心地良さは感じる。 唇からなにかが離れたから、うっすらと眼を開いて、ぼうっと見つめると、泉原は照れながらも笑顔のまま、俺の唇を指先でなぞった。 あぁ、やっぱりそうか。 唇に残る柔らかな感触。それは泉原の唇だったのだろうな。  

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