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第4話
放課後。
なんとなく、俺はひとりで教室にいた。手にした小説の文字を目で追うが、内容は頭に入って来ない。
クラスメイト達は皆、部活動や寄り道を目的に居なくなって。
いつも傍へ寄って来た時間が過ぎても、泉原は姿を現さない。
まぁ、当たり前か。
すべて冗談だったのだろう。
泉原の重たい恋愛話も、俺が話した失恋話も。
ふたりで心の底から笑いあったことも。
まだ唇に残っている、あの心地良い感触も。
去り際に残していった、泉原から俺への告白も。
そんな想いを巡らせながら、俺は小説を鞄にしまった。
(さて……そろそろ帰るか)
教室から出た俺の足は、なんとなく自動販売機のある裏庭へと向かう。
そしてまた話し声が聞こえる裏庭を覗き見ると、そこには泉原が居て、なんだかほっとした。こんな俺はただのストーカーだな。結局俺は、あの笑顔とふたりきりで喋りたいんだ。だがそこには、クラスメイトの男子連中も居る。
「……だってさ、いまの尾嶋のオトコって、お前なんだろ?」
いきなり、聞きたくもない言葉が耳に飛び込んできた。だが逃げることも出来ず、その場に立ち竦む。
どう返すんだろう? 笑い話でごまかすか?
俺を悪者にするか? とぼけて自虐ネタにするのか?
「違うよ。尾嶋は俺の友達で、恋人同士じゃあない」
……まぁ、当たり前の答えか。
「じゃあ尾嶋の相手って、誰なんだろうな」
「イケメンなら誰でもいいんじゃねーの? だからお前も口説かれたんだろ?」
あいつ等の言う通りだな。泉原に「やることやってもいい」なんて誘ったのは俺からだったし。だけど、泉原は首を横に振った。
「尾嶋から口説かれたんじゃない」
俺との関係を、最初から最後まで否定したいのか? 少し心が痛んだが、泉原の口から出てきたのは、予想外の言葉だった。
「恋愛しよう、なんて軽い調子で言ったのは、俺からだよ。でも尾嶋はずっと、真面目な恋愛相手を探してるんだよ。だから俺も振られたんだ」
「お前から告白したの? やっぱお前も、オトコの方が良いのかよ」
普段とは違い、真剣に恋愛を語る大人びた口調の泉原に、男子連中はどこか戸惑っている。
「いいや、俺もずっと恋愛から逃げててさ。だからこそ、尾嶋だけは本気で好きになったんだ」
心臓が高鳴った。あいつ……何言ってんだ?
「逃げてたって、同性愛者だからか?」
少し引きながら問い掛ける男子に、泉原は淡々と語り始める。
「いいや、俺が恋愛から逃げてた理由は、小学生の頃……」
今度こそ俺は、裏庭へと飛び出した。
周囲に居た奴等の反応なんて無視して、思い切って泉原の手首をがっしりと掴むと、男子連中の輪の中から無理矢理に引っ張って、そのまま走り去った。
行き先も決めないまま、裏庭から校舎の周りをひたすら走り、人気の少ない校門の陰でやっと足を止めると。
「どうしたんだよ、急に出てきて……びっくりしてたぜ、俺と、喋ってたやつら」
泉原は息を切らして問い掛ける。しかし、びっくりしているのは泉原も同じだろう。
「話が、したくて……康太郎と、ふたりで」
心臓がばくばくと破裂しそうだ。呼吸も上手く出来ず、言葉が途切れ途切れとなる。
猛ダッシュしたせいか? いや、勢いで突っ走っている俺自身への羞恥心からだろう。
「ふたりでって……」
泉原は戸惑うが、初めて「康太郎」なんて呼んだ事には何も言わない。するとこちらへ、複数の話し声や足音が近づいてきた。
「とりあえず帰ろうぜ、竜司。俺の家に行こう」
「う、うん……」
自然と下の名前で呼ばれたが、それも初めてだった。どぎまぎしながら受け入れると、今度は泉原から俺の手を握ってきた。そしてふたりで歩き出す。なんだか、ありがちな恋愛漫画みたいな流れになってるな。
ふたりとも何を思っているのか分からない。泉原の顔を見ることは出来ないし、俺自身の想いをしっかりまとめる事も出来ないまま、泉原の自室に着くまで無言で歩いた。
部屋に入ると「ちょっと待ってて」と泉原は一旦出ていった。
(思ってたより散らかってないんだ……あっ、本棚にあるの、前に俺が貸した漫画だ。でもあいつ、ちゃんと返したよな? じゃあ、あそこにあるのは、泉原が自分で買ったのか)
そんな風にぼうっと考えていたら、泉原が足でドアを開けて、部屋に入ってきた。両手でお盆を持っている。
「コーヒーどこにあるか分かんなくてさ。適当に緑茶入れた」
湯気の立つマグカップを俺に手渡した。
「ありがとな……いただきます」
冬の始まりでも軽装だったためか、それとも緊張のせいか。身体が冷え切っていたが、大きなマグカップを手に取ると、指先からじんわりと温かくなった。
「それでさ、話ってなんだよ」
緑茶を飲んで問いかける泉原に、俺は真正面から向き合うと、思いっ切り頭を下げた。
「この前は、自分勝手なことばかり言ってすまなかった。康太郎は、この前まで本気で俺と向き合ってくれてたのに、この前に怖くなって、だから俺だけ逃げて……」
「ちょっ、ちょっと待て。この前、っていつだよ」
大声で話すと止められた。一気に打ち明けたかったが、訳が分からなくなるだけか。
「もしかして、友達に戻る、とか話したときか?」
口ごもると穏やかに訊かれ、無言で頷いた。
「でも、竜司は俺を好きではないんだろ。それなのに恋人なんて、俺は嫌だよ」
泉原らしい答えだな。
「それは本当は嘘だったんだよ。俺は康太郎から逃げてただけだ」
そう、逃げていただけだ。自分自身の恋愛から。
「逃げてたって、俺が怖かったのか?」
「違うよ、怖かったのは、本気で康太郎を好きになる自分!」
まだ怖いけれど、もう逃げたくはなかった。泉原から眼を逸らしたくもなくて、真っ直ぐに向き合う。
「康太郎が俺の事を好き、って言ってくれるのも、嬉しさより不安が大きくて……だから、嫌いじゃないけど好きでもない、なんて嘘ついたんだ」
「なんでそんなに怖がるんだよ?」
優しく尋ねられて、俺は泉原を睨みつけた。
「だってクラスの連中に、俺と会ってるのをからかわれてただろ?」
「女子と会っててもからかう奴はからかうよ」
怪訝そうに返す。
「でも俺はもうカミングアウトしてるし、お前との噂だって、これからどんどん広まる」
俺が笑いの種にされるのはかまわない。でも、真面目な恋愛がしたい、なんて望む泉原を巻き込みたくはなくて。
「そのうち教師も本気にしたら……また騒動になるかもしれない」
「また、って……もう高校生だし、恋愛は自由だろ」
不思議そうな泉原に、俺は想像からの不安を語る。
「そりゃあ、同性愛禁止! なんてはっきり言われなくても、堂々と男同士で付き合ってたら、周囲に悪影響を与える、とか言われるんじゃないのか?」
泉原の苦い過去を再現するような、真面目な恋愛からの学校内の騒動。そんな事態に発展するのも絶対に嫌だった。
「あとはお前の親にまで知られたら、なんて言われるんだよ。それでも……」
「心配ばっかりしてんじゃねーよ!」
俺の言葉を遮って、勢い良く泉原は立ち上がった。
「せっかく、また恋愛できる、って嬉しかったのに……」
ふにゃふにゃと座り込む。ぶん殴られるかと思った。それ位の迫力だった。
「俺は女子が苦手だから竜司を選んだんじゃない。昔の彼女とは本気で恋愛してたし、クラスにいる女子にだって、他の男子と同じような眼で見てた」
さっきの勢いは無くしたのか、淡々と語る。
「じゃあ、なんで彼女を作らなかったんだよ」
真面目な女子からも告白されていたはずなのに。
「俺はまだ、恋愛したら駄目だったから」
そんな返答をした泉原の表情は、どこか切なそうだ。
小学生の頃の彼女でも、学校の女子でもなく、自分自身を責めていたのか。
過去の苦い経験から、恋愛感情を心の奥底に封じ込めていたのか。
きっかけは違うけれど、なんだか俺と似ているな。
「でも、もう大丈夫なんだな」
嬉しそうな声で泉原は言う。その満面の笑顔を見て、
「本当に大丈夫なのか?」
俺は尋ねると、泉原の笑顔が疑問の表情に変わった。
「俺との恋愛も、普通の恋愛とは違うんだし……」
「ふつーの恋愛? なんだよ、それ?」
俺の眼の前にどかっと腰かけると、目と目を合わせて喋る。
「クラスの奴等がやってるような付き合いか? 俺の父ちゃんと母ちゃんがやってたみたいなやつか? 少年漫画のラブコメみたいなノリか? 普通の恋愛、なんてこの世にないだろ」
怒っているのか泣いているのか分からない。
「俺は、誰にも言えなかった秘密も、竜司には話したくなって、それを聞いてくれた竜司も、俺に昔の話をしてくれて、それからキスして……。そういうのをもっとずっとしたい! って思ったんだよ! それって、恋愛って言えないのか?」
全身全力で語り終えると、息を切らしながら、緑茶を一気に飲み干した。そんな泉原の本心からの叫びが嬉しくて。
「……ありがとな。それから……すまなかった」
まず謝ろうかと思ったが、それより先に、感謝の言葉を呟いた。泉原となら、俺も真面目な恋愛が出来る、と教えてくれたから。
「こっちこそ、ごめんな。いきなり怒鳴りつけて。せっかく、俺の家まで来てくれたのに」
落ち着いた泉原も、しょんぼりしながら謝ってきた。そんな流れに思わず俺が吹き出すと、泉原も笑った。
ふたりで思いっきり笑い、疲れた喉を緑茶で潤す。すると、マグカップを持つ俺の両手が、泉原の大きな両手でゆっくりと包み込まれる。そのまま自然とマグカップは床に置かれて、泉原は俺の身体を優しく引き寄せた。
なんだか力が抜けた俺は、泉原の肩にぽすん、と頭を乗せた。
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