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第1話

カーン、カーン………。 谷あいに金属を打つ音が響き渡る。 ここは王都のからほど近い、山の中の小さな集落だった場所だ。 虫や鳥、獣のなき声、風の渡る音などがとても賑やかに感じられる。 しかし、今はそれらの音が非常に遠い。 何かの気配を感じ、仕事の手を止めふと入口に目をやると。 廃集落の古い民家を改築した彫金工房には似つかわしくない、華やかな貴族の青年が立っていた。 集落の最後の住人から家を譲り受け、工房をかまえてこの夏で十三年になる。 ここには俺以外、人は住んでいない。 人が訪ねて来るとしても、貴族などありあえない。 おもわず幻覚を疑った。 けれど、その人物は幻覚ではありえない、貴族独特の迫力を持って俺に近づいてきた。 爽やかな風をまとったようなその青年は、クロム・キハと名乗った。 こんな辺鄙な場所にある工房に足を運んでまで発注したいものでもあるのだろうか。 動揺はしていたが、俺はそう考えた。 けれどその青年貴族の用件は、瞬時には理解しがたいものだった。 何も変わらずここで暮らして来た。 変化がないことに不満などなかった。 このまま、ずっとこうやって暮らしていくんだろうと思っていた。 なのに変化は急に訪れたのだ。 ◇ 「ここに、ビスマス家の紹介状があります。今日から弟子としてお世話になります。」 貴族らしい自信と輝きを放つ青年に、一方的に弟子入りを宣言されてしまった。 紹介状を持たせた貴族のビスマス家には、発注を請け何度か屋敷に出入りをしたことがある。 格は劣るがクロムのキハ家もかなり裕福な中流の貴族らしく、ビスマス家と親戚のようだ。 だが、たとえ次男とはいえ、こんな彫金職人などに弟子入りが許されるような身分ではない。 俺は何も言えず、ただ紹介状を手に固まるばかりだ。 これまでも、『シロガネ』の噂を聞いて弟子入りしたいと言う若者が工房を訪ねてくることがあった。 そのときも、結局断りきれずに弟子として受け入れた。 しかし、元来無口なために、厳しくするどころか、どう指示していいかもわからなかった。 そして、弟子となった若者は俺の遠慮がちな態度を『何も教える気は無いのだ』と解釈して失意のうちに去っていってしまったのだ。 一度そんなことを体験すれば、もう、弟子をとるのはやめようと思うのだが、いざとなるとどう断ればいいのかすらわからなかった。 一般的に職人の弟子として正式に認められるには、まず二ヶ月ほど無給で雑用をこなす必要がある。 その後も二名ほど弟子希望が来たが、二ヶ月どころか一ヶ月もったものもいない。 しかも、今回弟子入りを希望しているクロムは貴族だ。 なおさらどう対応すればいいのかわからなかった。 俺の主となる顧客は貴族なのだから、当然、貴族と顔をあわせることも多い。 だが、美しい貴婦人や貴公子など、俺にはまぶし過ぎて、目を合わせることすら難しい。 採寸のために身体に触れるほうがまだ気が楽だった。 貴族の屋敷に出入りはしていても、製品のことについて説明する以外は会話らしい会話もせず、打ち合わせが終われば、俺は茶も断ってそそくさと退出してしまう。 そして、このクロム・キハという青年もまた、俺にはまぶし過ぎた。 健康的な明るい肌の色に、少しだけゆるくウエーブする焦げ茶の髪。 意志の強そうな眉と、切れ長な二重の目。 どうにかそれだけ観察するのがやっとだ。 貴族としては平均的かもしれないが、庶民に混じればそこだけ大輪の花が咲いたように見えるだろう。 そして、弟子希望者とは思えない貴族ならではの華やかさと迫力で、ただそこに立っているだけでも俺を圧倒する。 対して俺は、ばぼさぼさの頭に無精髭、なんともむさ苦しい風体で、四十過ぎだが実の年齢より十も二十も上に見らることもざらだった。 見開いても大して開かない目に、栄養の足りていない筋張った身体。 きっと吹けば飛ぶように見えるに違いない。 固まり、何も言わない俺に動じることなく、クロムは弟子入りの意志と動機を語り始めた。 その内容はおおよそ他の弟子希望の者たちと同じだ。 『シロガネ』の作品に感動し、憧れて自分も同じようなものを造りたいと思った…というものだ。 装飾品に触れる機会も多く、うぬぼれの強い貴族が考えそうなことだ。 少し修業をすれば、自分も作れるのではないかと勘違いをしてしまう。 けれど、俺が幼い頃から修業をして試行錯誤の上に編み出した技術だ。 俺と同じだけの彫金の技を身につけるのに一体何年かかることか。 そして、貴族が俺のような職人の下で何年も働くなんてことに耐えられるのか。 彼としては、本気なのかもしれないが、その本気が一体どれほどのものなのか………。 この貴族の青年にとって、弟子入りの最大の難関は周囲の説得だったようだ。 幼い頃から『シロガネ』の装飾品にあこがれ、弟子入りを希望していたが、当然周囲が認めるはずはない。 学生時代の主席の取得、官吏として十位以内で採用、昇格など、様々な条件をクリアして、二十五歳となった今、ようやく念願の弟子入りにこぎつけたというのだ。 官吏として十位以内で採用ということは、初めからかなりの地位を与えられ、将来政治の中枢を担う立場になることはほぼ間違いなかったはずだ。 普通なら、彫金師への弟子入りなど、なおさら認められなくなってしまいそうだ。 しかし、クロムはどうにか周囲を説得し、弟子入りの運びとなったらしい。 俺はまだ弟子として受け入れるなど言っていないが、クロムにとって弟子入りは決定事項であり、俺には拒むなどという選択肢は与えられていないようだ。 ……しかし、これが貴族だ。 輝かしい未来を捨てて、選んだ道にこの青年はどれだけ耐えられることか。 自分のせいではないはずなのに、何故か申し訳ないような気にさせられてしまう。

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