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第2話
俺が突然の来訪者にどう対応するべきか困っていると、
「谷は日が落ちるのが早いと聞きます。先に工房の周囲を案内して、それから内部を見せてください」
と、クロムのペースで勝手にどんどん話が進んでいく。
促されるまま、工房の周囲の薪置き場や、油などを置く倉庫、馬小屋、そして自分が食べる分だけを植えた畑などを見せた。
すると、薪はどこから調達するのか、馬の餌は、畑の世話は……など、クロムのほうから次々と質問をしてくる。
俺はそれにぽつりぽつりと答えるだけで、どうにかそれなりに案内らしきことができた。
工房内を案内しても、同じようにクロムが設備や資材について説明を求めてきた。
今まで弟子を案内したなかで、一番きちんと工房の紹介をできたと言えるだろう。
しかし、同時に弟子に案内をしているというより、公的な視察を受けているようにも感じていた。
「何故このような所に工房を構えていらっしゃるのですか?」
これもよく聞かれる質問だった。
俺は人付き合いは得意ではないが、だからといって人嫌いな訳でもない。
なのにこんなところに引きこもるのは、どうしても響くカーン、カーンという音のせいだ。
金属加工を生業としていて、彫金だけでなく独自の合金まで行うのでどうしても大きな音が出る。
大きな工房なら、厚い壁と広い敷地、そして高い壁にかこまれ、さらにその権威から近隣からクレームが入るようなこともない。
けれど俺が独り立ちした時には、金もなければ権威もない。
人の迷惑にならない場所を探して、ようやくここに工房を構えることができたのだ。
王都までは、馬を使えば一時間もかからない。
ふもとの町ならなお近い。
自然に囲まれ、制作に集中が出来る、理想の工房だった。
「音がうるさいからな」
ただ、それだけ答えた。
言葉足らずの俺の説明に、クロムは物言いたけではあるけれど、一応納得した素振りを見せた。
だが本当のことを言えば、修業をした工房を追い出されたからということになる。
さらになぜ追い出されたのかと聞かれれば、口下手な俺は長々とまとまりのない話をする事になってしまうだろう。
俺は昔から話す事が苦手だった。
農家の四男として生まれ、十歳になると同時に大きな工房に修業に出された。
そうやって幼い頃からずっと多くの人の中で過ごしていたが、おしゃべりな人間におされて俺は聞き役にまわり、どんどん話すことが苦手になった。
もう少し成長してから修行を開始していれば、幾分かマシだったかもしれない。
しかし、口ごたえもせず、黙ってなんでもコツコツとこなすので、いいように使われていた。そんな下積み時代に俺の無口さに拍車がかかったことは間違いない。
工房の案内が終わり応接室に通せば、当たり前のように茶を所望され、貴族に出すにはみすぼらし過ぎるカップに安い茶をいれる。
茶を出すだけで、こんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてだった。
この部屋も応接室などと呼ぶのは人が来た時だけで、ソファがあり、収納棚に『シロガネ』の作品を展示するように並べてはいるが、実際のところ物置だった。
そして飾っているのは試作品を磨き仕上げしただけのものだ。
製品には劣るが、それでもクロムは興味深げにそれらを眺めていた。
俺の銘 である『シロガネ』の代表的な作品はクリップと呼ばれるシリーズだ。
工房を立ち上げた当初、簡単だけれど驚きのあるものをと考えて生み出した製品で、ティースプーンなどに装着して用いる。
カップに角砂糖を置いたスプーンを入れ、それに茶をかけ溶かす。
上質な砂糖はただ甘いだけではないらしく、茶に半分溶けた砂糖をスプーンに載せたまま取り出し、甘味を楽しむ。
その茶をかける時にクリップはスプーンを支える役割をする。
上流階級が客をもてなす時に遊び心を見せるための飾りだ。
一番人気のバタフライクリップは、お茶の熱がティースプーンへと伝わることによって、レース編みのように細い金属で作られた蝶が優雅に動き始める。
美しい装飾と金属が愛らしく動き出すという驚きで人気となった。
そして顧客の要望によって次第に鳥や、蛙、蛇など様々なバリエーションも増えた。
熱によって動くという仕組みは俺の得意とするところだ。
そんな中で、特に技術が必要とされるのは、工房を追い出されるきっかけともなってしまったアクセサリー類だ。
ペンダントや腕輪を飾る花のつぼみが、身に付けて少し経つと体温によってふわっと開く。
つけている間は開いたままだが、そのふわっとひらく瞬間に、自分の美しさも花開くようだといって、貴族の間で人気なのだ。
「シロガネ殿、ふもとの町には宿はありますか?」
少しくつろいでから、クロムが言った。
「宿……どうかな」
俺には必要がないので、ふもとの町に宿があるかどうかなど気に留めたことがなかった。
民宿のようなものがあったような気もするが、確かではない。
だが、たしかに弟子になるのだとはいえ貴族であるクロムを、工房と一続きの粗末な俺の部屋に住まわせるというのは無理がある。
これまでの弟子と同じようにふもとの町に家を借りることを勧めたが、なんとクロムはすでにこの集落にある空家を買い取っており、住める状態にするため明日から改装をする手配まで済ませているという。
その改装が済むまでの間、ふもとの町に宿をとるのと、この家に住むのとどちらがいいかなどと聞いてきた。
「宿があるかどうかわからないのですか?私がふもとに降りて、もし宿がなかった場合、引き返してこちらにたどり着く前に陽が暮れてしまいますね」
そんなことはない。
行って帰って一時間もかからない。
そう思ったが、不慣れな道であることと、宿を探す時間を考えれば陽が落ちてしまう可能性がないとは言い切れない。
不案内な者に、日の落ちた谷あいの細い道は危険だろう。
結局クロムは俺の家に泊まることを決めてしまったようだった。
突然の来訪者に中断させられていた仕事を、そのあとどうにか再開することができた。
貴族の相手をするというのはどうにも疲れる。
しかし、カンカンと耳慣れた音をたてて金属を鍛えていると、その疲れも吹っ飛ぶようだった。
俺は遅れを取り戻すかのように仕事に集中し、そばで見つめるクロムのことなどすぐに忘れてしまっていた。
◇
体内時計が仕事の終わりの時刻を告げる。
日没から一時間くらい経っていただろうか。
ふっと顔を上げると間近にクロムの顔があった。
見慣れぬ美しい目にぎょっとなる。
そうだ、この青年が今日、この粗末な工房に泊まるのだ。
急に様々な問題に気付いた。
俺はいつも夏場は仕事終わりに近くの川で汗を流して風呂の代わりにしている。
けれどこの貴族の青年は、きっとシャワーを浴びたいと言い出すだろう。
しかし、ここにはシャワーなどない。
夏の間は川だが、それ以外の季節は湯を張った深めのたらいにしゃがんで尻までつけ身体を流す。
工房の奥には部屋が二間あり、入口から見て手前が作品などを置いている物置部屋で、左奥が生活のための居室だ。
奥の居室は寝室でもあり生活の多くをここでまかなっている。小さな土間で煮炊きが出来るようになっており、食事もこの部屋でする。
俺が一人で生活するには広すぎるくらいだが、貴族の広い屋敷と比べれば、玄関か衣装部屋程の広さだ。
寝台も一人寝るのがやっとのものしかない。
居室の壁に立ててヒモで括り付けている寝台を、寝る時に下ろして使用しているのだ。
何から手をつけるべきか迷ったが、とりあえずクロムを居室に案内することにした。
想像通り土足で入ろうとするクロムに靴を脱ぐことを教える。
俺が弟子に何かをきちんと教えられたのはこれが初めてだった。
クロムには適当に座るように言って、居室と一続きの土間で、湯浴みのための湯を沸かしながら、夕食の準備をする。
俺が貴族の口に合う夕食など作れるはずもない。
とにかく野菜を煮て、たまたま昨日買っていたパンを切った。
湯が沸いたので外へ出て、板で仕切られただけの湯浴みのスペースでたらいに熱湯を張り、食後に湯浴みができるよう自然に冷めるにまかせた。
はっと気付くと、居室にいたはずのクロムが、湯を張る俺を見ていた。
遅いからと様子を見にきたのかもしれない。
あわてて戻り食事の準備を整えた。
小さな座卓に向かい合って黙々と二人食事をとる。
美味いとは言いがたいが、食べられないほどではないだろう。
クロムは文句も言わず、古い器が骨董品に見えてしまうような上品な仕草で煮物を口に運んでいる。
器を持ち上げるようなことはしない、貴族の所作を目の当たりにすると、自分のつくった煮物を食べるだけなのに変に緊張をしてしまった。
「バターかジャムは……」
「え……?」
俺のキョトンとした表情を見て、クロムが口をつぐんだ。
けれどすぐにまた口を開く。
「ああ、自分でトーストしなければならないんですね?トースターはどこにありますか?」
「え……焼くなら……炭があるが」
俺の言葉にクロムがくっと口を引き結んで、それからニコリと笑った。
「そうですか、ならば明日の朝、もし余裕があれば挑戦してみましょう」
きっとパンをそのまま炭で焼けば、あっという間に焼けこげになってしまうだろう。
そのことを教えるべきかどうか迷った。
けれど俺は何も言えず、うつむいてパンを口に押し込んだ。
食事の後、クロムにどうにか湯浴みの方法を教え、俺は川に身体を洗いに行った。
そして、その後クロムに寝台を使うようすすめた。
素直に寝台に入ったクロムだが、俺が床に寝ると知ると急にごね始めた。
俺はもう、すっかり疲れ果てていたため早く寝たくて仕方がないのだが、なかなかクロムが譲らない。
結局、二人並んで板張りの床で寝ることとなった。
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