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第3話

のどかな盆地に子供たちの声が響いている。 高く作物が葉を伸ばした畑を走り回る頭がのぞく。 あれは……。 子供のころの俺の兄弟たちだ。 という事は、これは最近はあまり見る事もなくなった、幼い頃の夢か。 懐かしい土の匂いがする。 畑だけじゃない。 山や川でも声をあげて遊んだ。 遊ぶ子供たちの背景が次々と懐かしい風景に切り替わる。 真剣な顔をした父の顔……。 「だめなら何度戻って来ても良い。ただ、とにかく出来る限り頑張るんだ」 そう言い聞かされて、まだ幼い俺は大きな彫金工房へと修業に出された。 次に出て来たのは、共に暮らし修行をした工房の面々。 みんなが楽しそうに話す中、俺は端っこでただ頷くだけだ。 幼いうちから修業に出されたせいで、後から入った弟子はみな年上だった。 無口な俺は、何年も後に入って来た弟弟子にまでいいように使われていた。 だが幼い頃から真面目に修業をしていたために、若年でも技術はあった。 さらに他の弟子に仕事を押し付けられても文句も言わず働いたため、結果的に俺はどんどん力をつけていった。 修行をした工房では実力のある職人に名が与えられ、その(めい)で仕事をすることが許される。 俺は最年少で職人となり、ほどなく親方から『シロガネ』の名をもらい、オリジナルの作品も手がけるようになった。 親方にも『繊細な仕事をする』と誉められ、将来を期待された。 期待されれば、それに応えようと努力する。 当然のことだろう。 辛い修業の間、何度も思い出した故郷の情景……。 明るい太陽のもと畑を走り回る兄弟。 絡み付く豆の蔓に可憐な花。飛び舞う蝶に、鎌をもたげるカマキリ。 山道を横切るうさぎ。飛ぶ鳥に天候の変化を見た。 そんな大切な思い出たちが、不思議な揺らめきを見せたと思うと、溶けた金属となってシュルシュルと蔦をのばし、きらめき、絡まり、俺の作品に変わっていく……。 俺の作ったアクセサリーを身につけ、貴族の女性が微笑んでいる。 それまでの装飾品とは大きく違う世界観をもった、有機的なデザインの俺のアクセサリーは、繊細で優美だと貴族の女性を中心に人気となった。 親方……不機嫌そうな顔をしている。 そうだ……。 この頃から親方は俺を直視しなくなった。 はじめは俺の成功を喜ばしく思っていた親方も、工房の製品の枠から飛び出し、宝石などを使用していない装飾品まで、まるで高級ジュエリーと同列かのように賞賛されるようになってから変わってしまった。 カチャン……。 俺が制作中の香炉を親方が作業台から落とし、見下ろしている。 繊細さは脆弱性につながる。 親方は壊れやすい製品を世に出すことを嫌い、何度も直しを指示して、俺の装飾品の個性を殺していった。 装飾品としての繊細さ、そして優美さまで薄れ、納期も遅れる。 工房から出て、空を見上げ歩き、空き地で野の花を眺める。 それまでは仕事の合間に休憩を取る事も稀だった。けれど息をつかなければやっていけなかった。 客の期待には最大に応えたい。しかし親方の言葉は絶対だ。自分を殺し、どっちつかずの仕事をした挙句納期も遅れる。そんなことが続いた結果、客の信頼を裏切ったとして責任をとらされ、工房から追い出されてしまった。 追い出されることにはなりはしたが、疎まれていることに気付き、独り立ちを考え始めていた頃だった。 心の準備が全くなかったわけではない。 とはいえ修業をした工房の後ろ盾もなく、個人で工房を持つ苦労は、俺の想像を遥かに上回っていた。 ここは……最初にどうにか借りた工房だ。 ああ……申し訳ありません……。 はい……。 気をつけます。 ……結局ここは一ヶ月経たずに立退く羽目になった。 とにかく真面目に働いた結果、周囲の住民から騒音のクレームが寄せられたのだ。 どうにもならなくなって王都から離れ、一旦実家へ戻った。 納屋で音のあまり立たない細工の下請けと、彫金以外の仕事もした。 この地の情景が俺の作品の原点でもある。 豊かな自然にふれれば余計に創作意欲がかき立てられた。 それでも焦らずじっくりと工房にふさわしい場所探し、やっと見つけたのが現在の集落だった。 修業をした工房から追い出されて、この場所で最初のオリジナル製品を作り上げるまで二年近く経ってしまっていた。 木々の間から青い空がのぞく。 王都と同じ空のはずなのに、とても豊かに見えた。 一軒の古い民家が見える。 タダ同然で手に入れたこの家を自ら改修し、元からあった畑を蘇らせ、薪をこしらえ炭を焼いた。 使い慣れたものとは違うが、手を加えれば合金に使える窯もあった。 壁をいくつか取払い、床も抜いて今の工房へと変わった。 そして俺は、これまで溜まりに溜まった『作りたい欲求』にまかせて制作を開始した。 ここで生きるのにほとんど金はかからない。 畑を耕し、山河の恵みをいただく。 山に囲まれたこの場所では、生命を維持するためには何が必要なのか……などというところまで突き詰めて考えるようになり、逆に心に余裕ができた。 けれど、装飾品の材料となる貴金属を仕入れるためには現金が必要だ。 ある貴族の男に声をかけられた……。 以前の工房の頃から『シロガネ』の作品のファンだった……そう言って一度に複数の装飾品を発注してくれた。 紳士的な物腰と笑顔。 そして、知人にも俺を紹介してくれ、一気に仕事が増えた。 収入のほとんどを材料費につぎこみ、制作に没頭した。 男が笑う。 「キミの才能が認められ、自分の事のようにうれしいよ」 男が笑う……。 「どうしてもキミに作って欲しいものがあるんだ……」 この貴族の男のおかげである程度仕事がまわるようになり、時間的にも金銭的にも余裕を持って制作ができるようになったことは確かだ。 俺のアクセサリーをつけ、華やかに装った人たちがにこやかに話している。 パーティーだろうか? 同じ空間に立っているのに透明な膜に阻まれる。あそこは俺が生きる世界とは別の世界なのだ。 俺は誰かに呼ばれ、声の方へとすすんだ。 どこかの屋敷の扉を開けた。するとまた別の貴族の屋敷の部屋や廊下ヘつながっていた。 次の扉を通り、また次の扉へ。 今まで訪れた数多の貴族の屋敷の部屋を通り抜ける。 しかし、ハッと気付くと俺は自分の工房の作業台に向かっていた。 多くの貴族を顧客に持ち、今では王都に工房を構えることなど|容易《たやす》いが、俺は創作の刺激を与えてくれるこの地の自然と工房を愛していた。 姿のおぼろげな青年が幾人かこの工房に現れ、霞んで消えた。 彼らは……きっと弟子入りを希望した青年たちだろう。 そして入れ替わるように一人の青年が現れた。 強い存在感を示す彼は……そう、クロムだ。 ……顔もまともに見れなかったはずだ。 けれど、夢に現れた彼の顔は、まるで昔から見知っていたかのように鮮明だった。 彼は光が溢れるような心からの笑顔を俺に向けている。 そして、俺に手を伸ばした。 俺はその手を……。 ◇ 久しぶりに幼い頃の夢を見た。 修行中は繰り返し見た夢だが、一人前の職人となってから見ることは稀だった。 見るとすれば、大きな変化が起こった時。 ……疑いようもない、弟子希望のクロムが押しかけて来たからだ。 まるで何かを予感させるような……。 それとも振り返るべき何かがあったのか。 ……違う。 きっともっと単純な事だ。 昼間、何故ここに工房を構えたのかと聞かれた。だからに違いない。 そばで眠るクロムの顔を見る。 昼間は直視する事など出来なかった。なのに、夢の中でクロムは妙に鮮明だった。 俺に向けて、手を、伸ばしてきた。 夢の中で……俺はその手を掴んだんだろうか。 ……掴んだところで、この青年も他の弟子希望の者達と同じように、俺から何も受け取る事なくこの工房から去って行ってしまうのだろう。 クロムがここに現れたのは確かに大きな変化だが、俺は変わらず今迄通りコツコツと仕事を続けるのみだ。

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