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第6話

「クロム、明日は……山菜を採りに行きたいんだが」 一人で仕事をしていた頃は、思いつきで仕事に関わりのないことに一日費やすこともあった。 けれどクロムが来てからは、何となく毎日きちんと仕事をしないといけないような気がしていたのだ。 こんな事を言い出せるようになるまで、随分かかった。 俺の言葉にクロムは目を輝かせた。 「私は山菜採りはしたことがありませんが。お邪魔にならないよう気をつけますので……連れて行ってくださいますか?」 言葉はお願いだが、口調は完全に一緒に行くと決め込んでいるようにしか聞こえない。 けれどそれも、やる気からくるものだと思えば微笑ましい。 俺の笑顔を了解と捉え、クロムがキュっと俺の手を握った。 「何か用意するものがあったら、教えてくださいますか?服装など師匠が当たり前だと思ってらっしゃることも全てです。お願いします」 そう言って、気の早いクロムは俺の手を引き準備を始めた。 クロムのように俺に気軽にふれてくる人間などいなかった。 それだけクロムが俺に気を許しているということだと思うと、俺のクロムへの親しみも増した。 ◇ 今日は日差しが強めだ。 けれど、山へ入れば気にはならないだろう。 クロムは採取用のかごに道具を入れ、山歩き用の靴を履いて、ツバの大きな畑仕事用の帽子をかぶっている。 当然だが、どうにも似合わない。 しかし、本人は満足げだ。 ここでの生活で新しいことに挑むのが嬉しいのだろう。 山道の入口に向かってすぐに葉の大きな山菜が生えていた。これも茎を煮ると美味い。 けれど採るのは帰りだ。 わかっているかも知れないことも、ひとつひとつ丁寧に教える。 クロムもそれを興味深げに聞いている。 山道を登って行き、目についた山菜や木の芽、果実などを教え、少しづつ森に分け入りながら採取していく。 採取に夢中になりすぎて、山道から離れすぎないことも注意する。 俺ならば多少道を外れても大丈夫だが、そう険しくないとはいえ山に慣れないクロムはどんな危険に合うかもわからない。 仕事よりも、余程丁寧に教えてしまっていた。 様々な事を教えながら採取をすすめると、すぐに昼近くなっていた。 木々の間から差し込む太陽の光は強めだが、陽の下に出たとしてもつらいというほどではないだろう。 昼食をとるために、開けた高台へと向かう。 途中、川に出て、採った果実を洗った。 「山で迷った時には、川沿いに下ると良いと聞いたことがあります」 ふと思い出したようにクロムが言った。 「確かにそういう話はあるが、このあたりの川は落差の激しいところが多く遠回りになるので向かない。また、山頂へ向かうといいという話もあるが、かなり体力に余裕のある場合にしか勧められないな」 そう言って、遠くにある複数の山の見え方で、方向や大まかな標高を知るすべを教えた。 「わぁ……」 昼食のためにと足を運んだ高台で、クロムが無邪気な感嘆の声をあげた。 王都はもとより、遠方の霊峰まで見渡せる絶景だ。 眺めがよく、開けているからと何となくここで昼食にしようと思ったのだが、こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。 すう……と胸いっぱいに空気を吸い込んで俺を振り返る。 「素晴らしい眺めですね!」 太陽まで吸い込んでしまったかのようなキラキラとした笑顔だ。 そこで俺たちは工房から携えた昼食と、採取した果実を食べた。 クロムはどうやら、木から採ったままの果実を口に運ぶというのが初めてだったらしく、妙におっかなびっくりと口を付ける様子が可笑しい。 「このようなところで食事をするのは初めてです。自分の足で山を登り、美しい景色を眺めてとる食事がこんな素晴らしいものだとは思いませんでした」 俺はいつも一人で山に入り、この場所で食事をする。 そのときも山で食べる飯は美味いものだと思っていたが、クロムとともにとる昼食はそれに加えて楽しさがあった。 きっと俺と同じ楽しさをクロムも感じてくれているのだろう。 食事が終われば、再び採取をしながらの下山となる。 そこまで登ってはいないが、途中木の根がはびこっていたり、ふかふかの腐葉土が水を含み滑りやすくなっていたりと、足場の悪いところもある。 不慣れなクロムに気をつけるよう伝えた。 あえて行きに手を付けなかった山菜を下る道すがら採っていく。 痛みやすかったり、柔らかく傷つきやすいものたちだ。 炒め物などによく使われる実を取ろうと、手袋をはめたクロムがツタに手を伸ばした。 かぶれやすい植物だから、気をつけるように言ったが、そちらに気を取られすぎて、すぐ側に伸びていたとげの生えた枝が跳ね、ちょうど(そで)の隙間からのぞいていたクロムの手首を傷つけた。 「あっ……」 二人声を揃えた。 もしこれが自分の怪我ならぞんざいに血を拭うくらいで済ますが、クロムと俺とでは育ちが違う。 俺はクロムの肌に傷がついたことに慌て、荷から水と布を取り出した。 けれど、当のクロムは全く気にしておらず、 「ああ……しくじってしまいました」 などと恥ずかしそうに頬を掻く。 毒性の無い植物だから大丈夫だろう。傷は浅いようだが、血が垂れてしまっている。 傷口に軽く水を流して布で拭く。 それだけで、つぷつぷと血が浮く程度になった。 腕を掴み、まじまじと傷口を確認する俺にクロムが、 「この程度の傷は『舐めとけば治る』のでしょう?」 と、小さな失敗が見つかってしまった子供のような笑顔で言った。 ふもとの町に買い出しで訪れた時にでも聞きかじったのだろう。 けれど、少し慌てていた俺は、言葉通りにその傷を舐めてしまった。 「えっ……」 クロムが目を丸くして頬を染めた。 「あ……」 傷口を舐めれば逆に雑菌が入る可能性がある。 せっかく傷を洗ったのにまた汚してしまうようなものだ。 とっさに手を引いて、俺は一歩後ろへとさがった。 その足元に木の根があり、ふらりと少し体勢を崩してしまった。 すぐに体勢を整え直したのだが、俺がふらついたのを見て、クロムが手を差し伸べた。 そのせいで、クロムが背負っていた籠から収穫物がごそりとこぼれ落ちる。 慌てて山の幸へ手を伸ばしたクロムが小さな段差をズルリと滑った。 それを今度は俺が手を伸ばし支える。 クロムがかぶっていた帽子がはらりと脱げた。 焦ったクロムが俺の腕を引いて起き上がった弾みで、今度は俺のほうが1メートル強の段差から転がり落ちてしまった。 怪我などはしていないが、すっかり泥だらけだ。 一体、何をしているのか……思わず苦笑いが浮かぶ。 しかしクロムは俺が落ちたことに動転して必死の形相で助けようとしている。 滑りやすくて苦労はするが、自力で登れる程度の段差だ。 とはいえ、安心させる意味合いも込めて、差し伸べるクロムの手を取った。 思わぬ強い力でぐっと引き上げられる。 貴族で官吏だったことから、勝手に力仕事などはかなり無理をしているのでは無いかと思っていたが、そうでもないらしい。 「お怪我はありませんか!?」 引き上げた俺の肩を両手でぎゅっと掴むと、心配げな表情で顔を覗き込んでくる。 そんなクロムの頭についた木の葉を取ってやり、頬の土汚れを拭う。 「大丈夫だ。クロムは?」 「身体は大事ありません。私のせいで師匠を危険な目にあわせてしまい、本当に申し訳ありません」 「怪我をしていないならいい。こういった失敗も山の楽しみの一つだ」 「失敗が……楽しみ?」 俺の言葉にまたクロムが目を丸くした。 そんなに不思議なことを言っただろうか。 さらに頭についた小さな小枝などを取ってやると、クロムも俺についた木の葉などを取り払ってくれた。 「潰れたものもあるようだが、落ちた山菜を拾ってから、工房へ戻ろう」 「はい」 まだ先ほどの事を少し気にしているようだが、クロムも小さく笑顔を見た。 そのまま下山しながら採取を続ける。 蛇に遭遇し、顔を引きつらせてはいたが、工房に来てすぐの頃のように、大きな虫程度では驚かなくなったようだ。俺の頭に落ちてきた虫も平気な顔でさっと払ってくれた。 そしてすぐに先ほどの失態の気まずさも忘れ、明るい表情で採取に夢中になった。 工房へ戻ると、処理が必要な山菜にだけ先に下処理をし、それからすっかり汚れてしまった身体を洗った。 クロムが俺の入浴を手伝いながら、俺が転げ落ちたときに身体にできたであろう痣をみて申し訳無さそうな顔をする。 けれど、俺にはそれも含めて楽しい出来事だった。 思わず微笑みが出る。 「今日は、楽しかった」 それだけ言うと、クロムもニコリと笑った。 「私も、失態は冒しましたが、とても楽しい日となりました」 「失態は……繰り返さないよう気をつければいい」 「はい。心に刻みます」 クロムと目が合い、また笑った。 クロムの笑顔と比べれば、笑っているうちに入らないと言われるかも知れない。 けれど、この日一日で、きっとこれまでの俺の一年分は笑ったはずだ。

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