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第7話

貴族からのオーダーを受けるのは二ヶ月に一度だけ。 アクセサリーの場合、本人に直接会って細かく寸法やデザインを決めなければ、せっかくのからくりが機能しない場合もある。 オーダーを受けるために、王都に赴き一日で数軒の貴族の屋敷をまわる。 貴族に会うのだから、その日は朝早くから理容室へ行き、髪をととのえ、きちんとした装いで御用職人として見苦しくない姿を繕う。 繕ったところで、あまり見開くこともない細い目と、痩せて骨張った頬は貧相でどうにもならない。 しかし、クロムに身の回りの世話をしてもらうようになったため、理容室へ行くまでの道すがら、あまりのむさ苦しさに目をそらされる事は無くなった。 貴族の屋敷をまわる日には綺麗に身支度を整えているので、仕事終わりに一人少し上等な店でディナーなどを楽しんだりもしていた。 だが、今では工房で俺の帰りを待つクロムとの、お世辞にも美味いとは言えない夕食の方が楽しみだ。 以前は、週に一度はふもとの町の飲み屋にも飲みに出ていた。 飲んで騒ぐどころか、自分から話をするようなこともほとんどないが、みんなのお気楽な酔っぱらい話にうんうんと頷いているだけで充分に楽しかった。 幼い頃は実家の農家で多くの兄弟に囲まれ、修業をした工房でも、つねに十名程度の弟子や職人たちと寝食を供にしていたのだ。 ずっと人に囲まれていたため、長いこと多くの人のいる場所に顔を出さずにいると落ち着かなかった。 けれど、それもクロムが来る前までの話だ。 クロムを連れ、飲みに出たこともあったが、田舎の酒場ではどうにもクロムが浮いてしまい、最近では足を向ける事もなくなった。 それでもクロムと過ごすうちに、自然と俺の笑顔は増えた。 もちろん、この工房で一人仕事をしていたときに笑い出すようなことが無かったのは当然だ。 けれどクロムの前では、日常のささやかな感動も、楽しい気持ちも、ほかの誰と過ごしたときより素直に表に出すことができた。 一般的に師匠が弟子に自らの感情を見せすぎるというのは、あまり感心できた事ではないが、俺の場合は元の感情表現が乏しかったのだから、少し感情を出しすぎたくらいでもまだ足りないのかも知れないと思う。 貴族の屋敷をまわった帰りに、様々な店の建ち並ぶ地域を通った。 その時、茶器を売る店が目に止まり、そのまま物色を始めた。 こういったものを眺めるのは嫌いではないが、これまでは手元に置いておきたいという欲がなかった。 クロムに茶をいれてもらうのにふさわしい、クロムに見合った茶器を……。 クロムを想い、美しい茶器を眺めているとそれだけで楽しくなった。 うちの工房に置くなら焼物の方がいい。 金属ばかりを見て仕事をしているのだ、息をつく間くらい暖かみのある焼物で茶を楽しみたい。 そう思って見るが、俺ではさっぱりわからない。 こういうスタイルならばこれを、こちらの場合はこうで……と、店員が教えてくれるが、よりわからなくなるだけだった。 下積み時代には、ティースプーンからポットに至るまで茶器も作ることがあったが、それがどのように使われているのかなど、考えたことがなかった。 店に展示されている状態を見て、初めてこれはこういう使い方をするのかと納得するものもある。 結局よくわからず、本格的な茶器は諦めて、良く見る庶民的なポットとカップを買った。 これだけでも、今よりずいぶんマシなはずだ。 けれど店員が包装のため、そろいのカップを二つ並べた時に、なんとも言えない気恥ずかしさに襲われた。 誰かのために自分とそろいのものを購入するなど初めての事だった。 まとめて購入するのだから、カップが揃いであっても普通のはずなのに、そんな事を気にしてしまう自分をさらに恥ずかしく思った。 谷あいの工房へ帰る道すがら、俺の心は妙に浮き立っていた。 今日のこれは、ただの備品の買い替えにすぎない。 けれど正式な弟子となった暁には、俺の元で働いてくれるクロムのために何かを贈りたい。 そうだ、これからは王都での仕事の際にも連れて行こう。 彼は王都にもくわしい。 以前聞いた、クロムが好みだと言う菓子屋の前を通ったが、あのかわいらしい店構えでは、俺は店の前に立ち止まる事すら出来なかった。 だが、クロムと一緒ならば入れるかもしれない。 これまでは、何か考え事をするとしても、毎日の仕事や生活についてしか考える事はなかった。 クロムと過ごす明日を思う……。 俺にとってなんと大きな変化だろう。 初めはすぐに居なくなると思っていたのに、クロムは修業と山での生活に耐えた。 今では俺も表情豊かな弟子のクロムが可愛くてしょうがない。 俺は、師匠と弟子という関係を超えて、クロムと過ごす毎日を楽しく感じていたのだった。 ◇ 二ヶ月目となる今日で、クロムは正式な弟子となる。 俺は、そんなクロムのためにあるものを用意していた。 ヘラやニッパー、ヤスリなど細かな作業をこなすため、特別に製作してもらっているオリジナルの道具たちだ。 『シロガネ』の技術を受け継ぐなら、これらが必ず必要となる。 クロムに『シロガネ』の弟子となる記念として、専用の道具を贈ることにしたのだ。 クロムももうすぐ正式な弟子になれるという事で、本人は隠しているつもりなのかもしれないがあきらかに張り切り、肩に力が入っていた。 別に試験などを行って採用を決めるわけではないのだし、ただこれまでと同じように働いてもらえればそれでいい。 俺からしてみれば、二ヶ月もっただけでもありがたかった。 けど、クロムの張り切りようも微笑ましい。 小さな失敗に落ち込み、それを慰めれば感動したような目で見つめてくる。 俺の言葉にこんなに反応を返してくれるという事だけでも、なんだかくすぐったい。 午前中の仕事を終え、クロムが昼食を持ってきた。 野菜とソーセージを焼いただけだが、どうにもクロムは料理が上達しない。 最近まで俺も料理をしていたが、クロムが自分だけで作りたいと言い張って、ここ数日なんとも言いがたい食事が続いていた。 料理を前にして、ちょっと眉をゆがめてしまった。 野菜に塩やその他の調味料が固まって付いている。 食べる前から不味いとわかる仕上がりだ。 それでも一口食べて…………動きが止まった。 「ぁくっぅ……」 微妙な声を漏らし、噛むこともできずに顎が小さく震える。 塩を入れすぎたと思ったからなのか、その対策として砂糖がたっぷり入っていた。 塩辛くて、甘くて、匂いのきつい肉を焼く時に使うハーブまで入っている。 舌が痛く、鼻をハーブにやられた。 そんな俺の様子を見て、うっすら涙目になったクロムがお茶を差し出してくれた。 クロムのいれる茶は安物でも俺がいれたものよりずっと美味い。 そんな美味い茶で、必死に口をすすいだ。 「クロム……味見って知ってるかい?」 俺の言葉にクロムが首を横に振る。 今までクロムも俺が調理の最中に料理を口に運ぶのを見ていた。 だが、それをクロムは俺が空腹だからつまみ食いをしているのだと思っていたらしい。 俺にはそんなクロムの勘違いが可愛く思えて仕方がなかった。 ああ、しょうがないなぁ。 微笑ましい思い違いに、笑いを含んだため息がこぼれる。 けれど、そのため息をきっかけにクロムが肩を震わせ始めた。 「どうした?クロム?」 とうとう床に伏せてしまい、まるで泣いているように見える。 けれど……クロムの料理が不味いのなんていつもの事だ。 一体何故こんな反応を見せるのか、さっぱりわからない。 床に頭を付けるようにして、クロムが震える声を絞り出した。 「私がこの工房にお世話になって二ヶ月になります。ようやく今日から正式な弟子として、師匠のおそばに居れると思っていました。 けれど、今、私は師匠のおそばで支え続ける自信がありません」 クロムの急な言葉に俺は固まった。 泣きそうな声でクロムは長々と感謝の気持ちを口にする。 けれど、その前に口にした言葉が衝撃的過ぎて、それらは全て俺の耳を通り過ぎていってしまう。 クロムはしばらくそのまま肩を震わせ頭を下げ続けた。 もしかしたら、本当に泣いているのかもしれない。 俺は状況が理解できず、なんと声をかければいいのかもわからなかった。 とにかく顔をあげてくれと、どうにかそれだけクロムに言った。 しかし、ようやく顔をあげたと思ったら、クロムは来たときと同じ唐突さで工房から出て行ってしまった。 俺はその後ろ姿を呆然と見送り、かなり経ってからはっと我に返って工房の外を見た。 けれどクロムの姿は無い。 わけもわからず、何も考えられず、俺はそこでしばらく立ち尽くした。 日が傾き、空が少し赤みがかっていた。 仕事をしようとしたが落ち着かず、馬小屋へ行き、集落の入口をうろつき、改装済みのクロムが住むはずだった家を覗いた。 昼過ぎにクロムが立ち去った時の様子が、まるで遠い記憶のように思い出される。 荷物を持ち、自分の馬も引いていた。 本当に出て行ってしまったのか……。 どうにも現実感が無い。 けれど結局、そのままクロムが工房へ戻ってくることはなかった。 ◇ 俺にとって、クロムとの二ヶ月は経験したことのないものだった。 クロムは常に笑顔とともにあった。 修業した工房でも、他の弟子や職人達と共同生活はしていたが、クロムのような暖かさを俺に向けてくれる人間など居なかった。 まるで息子のようだとすら思っていた、まっすぐ自分を慕う存在が急に消えてしまった。 『心にぽっかりと穴の空いたような』という表現はなんとも現実に即した言葉なのかとつくづく思った。 本当に身体の一部がどこかへ行ってしまったような気がするのだ。 『クロムが居なくなった』という事実が、言葉として頭をよぎる。 それだけで混乱と不安が背中に張り付く。 本当はクロムはまだそばに居て、だけどなぜか居ないと思い込んでいるのではないか……などと考えてしまう。 それでも淡々と、クロムが来る以前と同じ生活をおくる。 一ヶ月、二ヶ月……。 クロムと過ごしたのと同じだけの日数があっさりと過ぎていった。 生きて、息をして、いつも通り生活をしているのに、一日一日が本のページをめくるかのように薄っぺらいものに感じられた。

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