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第8話

クロムが去って、あっという間に半年が経った。 その間にも三度王都に行って、オーダーを受けた。 納品でも、少なくとも月に一度は王都に出向く。 クロムの実家であるキハ家の屋敷に行ったこともあった。 けれど訪ねることも出来ず、遠巻きにそっと屋敷を眺めただけだった。 自分はなんと女々しい人間なのだろうと、どうにも情けなくなる。 キハ家の屋敷を見て、俺はかつて受注のためにここを訪れたことを思い出した。 剣や弓の方が似合いそうな快活な少年が、こんな腕輪が欲しいのだと頬を赤くしながら一生懸命に話してくれた。 図案を引く俺の横にぴたりと張り付いて、『シロガネ』の繊細さや優美さがありながらも、自分が持ってもおかしくないような『男らしさ』と『カッコ良さ』がほしいんだと、目をきらきらさせていた。 なぜ忘れていたのか。 新たな知識に楽しげに目を輝かせるクロムはあの日の少年のままだった。 確かに彼は、将来俺に弟子入りをしたいと言っていた。 けれど貴族の子息だ。当然本気になどしていなかった。 それだけ強い意思で弟子入りした彼が、何故あんな風に突然出て行ってしまったのか。 クロムは俺を支える自信をなくしたと言っていた。 やはり俺が彼を失望させたということなんだろうか。 キハ家の屋敷を眺めながら、少しでもクロムの姿が見えないか、道を通りはしないかと期待をしてしまっていた。 何故出て行ったのかだけでも聞きたかった。 とはいえ、いざ見かけても俺はクロムに声をかけることなど出来なかったかもしれない。 クロムに紹介状を書いた貴族の屋敷に伺う機会もあった。 しかし先方はクロムのことを口にすることもなく、俺も自からクロムの消息を教えてほしいと口にすることができなかった。 一度だけ王宮のそばの通りでクロムらしき人物を見たこともあった。 工房でのクロムよりずっと貴公子然とした姿で、美しい女性とともに歩いていた。 本当にクロムだったのかも定かではない。 けれど、これがクロムの本来の姿なのだと、自分がクロムを探すこと自体が身の程知らずなことのように思えた。 以前は、オーダーを請けるために王都に来た時には一人ディナーを楽しんで帰っていが、クロムが来てからはすぐに工房へ戻ってしまうため、レストランへ足を向けるようなことも無くなっていた。 そして今でも、まだその癖が抜けていない。 もしかしたら、クロムが工房に戻って来ているのではないか、そんな考えが頭をよぎり、どこかへ寄っていく気分にはなれないのだ。 けれど、もう半年。 クロムのことは諦めるべきだ。 そう自分に言い聞かせ、俺は良く通っていたお気に入りのレストランへと足を向けた。 価値ある調度品をさりげなく置いてあり、高級でありながら、店員の物腰も柔らかく暖かみがある店だ。 皿を飾る美しい料理に、目も舌も満足し、すこしだけ心が満たされた気がした。 しかしすぐに、クロムのことを忘れられない自分を思い知らされてしまう。 会計に向かう途中で、ちょうど開いたドアの隙間からチラリと厨房が見えた。 そこに居た調理人が、クロムと似た背格好で同じような少しだけゆるくウエーブする焦げ茶の髪だった。 それだけで俺はその人物を『クロムだ』と思ってしまったのだ。 同じ髪の色で似た背格好の人物くらい、王都にならばいくらでもいるだろう。 それこそ、王宮そばにも、城下町のレストランにだって。 「もうしばらくは王都に来たくない」 仕事がある限り無理だとわかっていながらも、そんな泣き言を漏らしてしまうほど、自分を情けなく思い、落ち込んでしまっていた。 ◇ 王都に行きたくないと思ったところで、受注も納品もある。 レストランでクロムに似た人物を見て、何日も経たないうちにまた王都へ出向くことになった。 憂鬱な気持ちで納品にまわり、今度はどこにも立ち寄ることもなく、足早に工房に戻った。 ふもとの町から谷の細い道に入り工房に近づくにつれ、だんだんと心が重くなる。 王都に行きたくないのは、クロムを思い出すからという理由もあるが、それにくわえて工房に戻ったときに、やはりクロムは居ないのだと思い知るのが辛いのだ。 けれど、この日は工房の様子が少し違った。 鳥や虫の音が少し遠巻きに感じる。 それに気付いて、ドキンと胸が大きく跳ねた。 期待と不安に、工房へ向かう馬の足を速め、また、止まる。 そしてついに工房の入口近くまで来た時、不意に工房の中から人が飛び出してきた。 幻覚ではないかと思った。 そのまま地面に伏せるのは、ずっと俺が再会を待ち望んでいた人物だ。 「師匠、勝手を言って、飛び出してしまい申し訳ありませんでした!」 手を地面に付き、美しい顔にさえ土がついてしまいそうだ。 すぐに起こしてあげたい。 そう思っているのだが、目の前のクロムが本物なのか……手を伸ばすことすら怖かった。 ゆっくりと馬から降りてクロムに近づく。 クロムにはそれが、急な再来にも動揺することなどない、余裕のある態度に見えたかも知れない。 「お帰り」 伏せるクロムの目の前に立つと、自然と言葉がでていた。 頭上に降り注いだ言葉が意外だったのだろう、目を見開いて見あげてくるクロムの頭を、俺の手は優しくゆっくりとなでていた。

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