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第10話

師匠にあわせる顔がない。そう思いながら、なんとも情けない気持ちで王都へ戻った。 けれど、一日も経たずに、師匠のいるあの谷あいの工房へ戻りたくて仕方がなくなってしまう。 何も手に付かず、師匠の顔ばかりが脳裏に浮かんだ。 すぐに工房へ取って返して、地面に頭をこすりつけて謝れば、優しく心の広い師匠は私を再び受け入れてくれるかもしれない。 とはいえ、今のまま戻って、それで私はいいのか。 『シロガネ』の下で学ぶには、準備不足であったと痛感したはずだ。 しかも、自分の思い上がりや貴族意識に気付きはしたが、全く改善されていない。 ならばどうすべきか。 考えた結果、教師を雇って金属について学び、余った時間に料理も習うことにした。 師匠の元にいた期間と同じ二ヶ月、しっかりと金属についての座学と加工の基礎を学習した。 料理もプロについて基礎から習えば、あんなに苦労したのが嘘だったかのように、みるみる上達していった。 そして、私の中で最も大きな問題とだと感じたのが、貴族意識だ。 自分で自分が許せないのに、優しい師匠はこんな私をずっと許していてくれたのだ。 貴族の中に身を置いていては当然意識が変わるわけもない。 私は一度、市井で働いてみることを決意した。 しかし、働く場を得るためには貴族としての立場をしっかり活用させてもらった。 その結果、師匠が王都に来た時に利用するというレストランの一つで、貴族であることを隠し短期間働かせてもらえることになった。 彫金師を目指し修業をするために、レストランで料理人の修業をする。 私にとって、そこに何の矛盾もなかった。 それどころか、大切な師匠の舌を満足させるために、店の味を覚えることもできる。本来の目的以上の喜びとやりがいがあった。 料理の基礎を学んだ上での修業は非常に効率がよかった。 そのことを実感すると、金属加工の基礎を学んだうえでの修業の再開が楽しみで仕方がなくなる。 レストランでの仕事を終えた後に、自室で深夜まで『シロガネ』のクリップを模倣し彫金に励んだ。 『シロガネ』の工房を想いながら作業をすれば、疲れなど全く気にならなかった。 レストランで働く中で、やはり私の言動に若干の問題があることもわかった。 隠してみたところで、貴族であることはまるわかりだっただろう。 けれど、そういった問題を正したいのだと相談すれば、時に厳しく、時に優しく助言をもらうことができた。 正直に言ってしまえば、お門違いな指摘に腹が立つこともあった。 けれど、そんな出来事も、様々な立場で物を考えるための糧となった。 そうやって努力をつづけていたある日、働いているレストランに大切な人の姿があるのを見つけた。 師匠だった。 久々に見るその顔に私の胸は熱くなった。 その装いから、受注のために貴族の屋敷をまわった後だとすぐに知れる。 十年以上も前に買って少しレトロですらある服を生真面目に着込んだその姿が、私の目にはとても可愛らしくみえた。 他の料理人に頼み込み、私は師匠の口にする料理を一品だけ作らせてもらった。 新人が作らせて貰える程度の簡単な品だ。 それでも緊張した。 調理を終えると、食事をする師匠の様子を物陰から覗く。 工房で私の料理を口にし、その口を閉じられなくなった師匠の顔が脳裏をよぎった。 師匠は黙々と料理を食べすすめる。 その表情の変わらなさに少し不安になった。 私と一緒に食事をしていた時には、もう少し表情豊かだったはずだ。 けれど、最後の一口を食べて、ホッとため息をついた後、師匠がやんわりと頬を緩めた。 その表情を見て私の足から力が抜けた。 このレストランで働かせてもらう期間はまだ数日残っている。 しかし、私はもう師匠の元に戻る事しか考えられなくなっていた。 私にとっては半年の様々な経験よりも、師匠の元での二ヶ月の方が大きかった。 あの場所に戻れるなら、私はなんだってする。 まずは、無責任に飛び出したことを謝罪し、再び工房においてもらえるよう、許してもらえるまで何度も頼み込もう。 脳裏には「勝手に出て行ったくせに今さら……」と、悲しげな顔で工房の戸を閉める師匠の姿と、「良く帰ってきたね」と言って両手を広げてくれる師匠の姿が交互に浮かぶ。 どちらの想像でも、私はそのあと師匠を強く抱きしめ、またここにおいてほしいと懇願する。 頭を下げようと心に決めているのに、想像では師匠を抱きしめてしまっているのはなぜか、などという疑問は浮かばなかった。 残りわずかだったレストランでの就労期間を終え、とうとう工房へ戻ろうと決めたその日がきた。 あらかじめ調べ、師匠が納品で王都へ出る日である事がわかっていた。 師匠が出かけている間に、持ったままだった鍵で扉を開け工房に入り込む。 いけないことだとはわかっているが、何が何でも戻る事を許してほしかったのだ。 納品だけなら、そこまで遅くならないはずだ。 そう思って、持ち込んだ食材を使い、居室の土間で師匠のために料理を作った。 その日食べる料理だけではない。保存食なども少し作る。 その場限りの許しではなく、ずっとここに居させてほしいという願いがそこに込められていたように思う。 それとともに、王都で一人作った拙いクリップを師匠の作業台に置いた。 いくつか作った中で、一番出来の良かったものだ。 素人に毛が生えた程度のもので、『シロガネ』の作のように駆動もしない。 彫金への熱意を忘れたわけではない。そのことを伝えたかった。 けれど、そのクリップはシロガネの作業台に置かれるにはあまりに不相応に見えた。 クリップを手に取り、また置き、やはり手に取り、また置いた。 迷いと不安で落ち着かない。 自らの手でその出来を確認する。 シロガネの作品の滑らかな肌触りとは比べるべくもなく、(いびつ)なその感触は今の自分そのものだ。 工房の外にかすかな気配の変化を感じた。 谷あいの道を師匠が戻って来ている。 一気に緊張が高まった。 ドクドクと心臓が強く打つ音と、カッと一気に巡り始めた血で目が白む。 指先が震え、身体の感覚が無くなったようだ。 何も考えられない。 なのに、工房に師匠が近づいてくる気配だけが詳細に感じ取られる。 本当なら、師匠が工房へ入ってくるのを待つつもりだった。 しかし勝手に身体が動いた。 気付くと師匠の前に飛び出し、土に両手をついていた。 「師匠、勝手を言って、飛び出してしまい申し訳ありませんでした!」 下げた顔に土がつくのも気にならなかった。 ゆっくりとした動作で師匠が私に近づいてくる。 その数歩が、随分長く感じられた。 「お帰り」 優しい声が頭の上に降ってきた。 意外な言葉に、驚くと同時に涙が滲んだ。 見上げる私の頭を、師匠が優しくゆっくりとなでた。 私は許された。 師匠のために作った料理を二人で食べ、なぜ飛び出してしまったのか、恥ずべき自分の不遜な内面を吐露し詫びた。 しかし、師匠は私の無礼を咎めることもなく、戻ってきた事をただただ歓迎してくれる。 師匠の優しさに、私はなおさら自分の身勝手さを深く深く恥じ入ることとなった。 なにか、罰やけじめなどが必要ではないかと思うのに、師匠はそんな事を言いだしそうもない。 私は自ら師匠に罰を請うた。 しばらく頭をめぐらせた師匠がようやく口にしたのは「これから一年、毎日食事を作ること」という、私にとっては罰ともけじめとも思えないものだった。 さらに粘って許しの条件を請い、ようやく師匠の口から引き出したのは、 「一年で、合金から仕上げまで全て一人で行い『バタフライクリップ』を作ること」 だった。 『バタフライクリップ』は熱で駆動する製品のなかでは比較的簡単なものだが、そもそも師匠独自の合金と繊細な彫金技術を身につけねば制作することはできない。 一人試行錯誤していたからこそ、一年というのがかなり厳しい条件だとわかる。 けれど、私は嬉しかった。 これから正式な弟子としてシロガネの技術を教えてもらえる。 その喜びに、私の心と身体、全てが熱くうち震えた。

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